第47話 日常と不穏の境目
「あれ、俺なんでここに……イテテ」
「あ……ユウマ! 起きたのね、よかった……!」
借りている離れの硬いベッドの上で目を覚ました俺は、疼くような肩の痛みに顔をしかめる。
真っ赤に腫れた目を潤ませながら、覗き込んでくるヒナタの銀髪が、サラサラと彼女の動きに合わせて揺れていた。
「目が覚めたのかい。アンタ、怪我のわりに出血がひどくてね。村の連中が心配して、さっきまで見舞いに来てたんだよ」
「……婆ちゃん、村は?」
「安心しな。ネリオが吹っ飛ばしてから、魔獣のヤツは一度も来てないよ」
村が無事だとわかり、全身の力が抜けると、思わず乾いた笑いがこぼれた。
「そっか……良かった。ネリオさんにもお礼を言わないとな」
暖かい部屋の中を見回すけど、彼の姿は見当たらなかった。
この前、エイドと一緒に助けられたお礼さえ、まだ彼に言えてない。
「俺、ちょっと行ってくるよ……って、イテテテ」
大したことはないと軽く考えてたけど、肩に走った激痛に思わず動きが止まる。
「ユウマ、まだ動いちゃダメだって」
ベッドで唸っていると、ヒナタが湯気の立つスープをトレーに載せて、慌ただしく戻ってくる。
彼女は俺のために、朝ごはんを用意してくれていたらしい。
「……あ、ありがとう、ヒナタ」
目の前に出されたお皿には、今日は久しぶりにしっかり焦げたパンケーキが山盛りに乗っていた。
何かあったのか、張り切りすぎたのか理由は分からないけど……ちょっと覚悟がいる見た目だった。
フォークはなんとか刺さった……この手のわずかな震えは、きっと肩の傷のせいだ。
意を決して一口食べたその瞬間、ガチンと口の中で嫌な音がして、俺は顔をしかめた。
「……ヒナタ。か、噛みきれない」
「えっ、ごめん。レシピ通りにやったんだけどな……」
こうして何度目かの戦いの翌朝は、また固すぎるパンケーキと、ヒナタの看護で幕を開けた。
「村を見て回るらしいから、ネリオもそのうちここに戻って来るんじゃないかい?」
「うん……じゃあ、もう少し待ってみる」
パンケーキを水で流し込んで、ムカムカする胃の辺りをさすりながら、俺は歩き回ることもできず暇を持て余していた。
ネリオの魔術に大興奮したリリィちゃんに連れられて、彼はいま村の中を案内してもらっているらしい。
「……しかし、魔鼠が来るとはねぇ。こっちは、魔鳥を想定してただろ?」
「うん。国から貰った補助金だけじゃ、魔狼の相手は厳しいってよく分かったよ、婆ちゃん」
俺が国に補助金の申請をしてから数日後に、ふたりの役人が、イノール村へ調査に訪れていた。
ひとりは真面目そうな青年で、もうひとりは妙にビクついてるオッサンだった。
「補佐役、もう少し話を聞いてみましょうよ」
「ひぃっ! わ、私はもうこんな場所こりごりだ、帰る!」
村に生えている背の高い雑草が揺れただけで、補佐役と呼ばれたオッサンは、ビクッと肩を震わせる。
到着して半日も経たずにふたりはまた、王都の方へ慌てて帰って行った。
「なんだい、アレは。ずいぶんと失礼じゃないか」
「婆ちゃんが、鶏をけしかけるからだろ……」
ヒルダ婆ちゃんは、口元をニヤリとゆがめると、ヒヒヒと魔女のように笑った。
「フン、櫓の数を減らせだの、作物を増やせだのうるさいからだよ。いくら作ったところで、魔獣に食われりゃ残るわけないだろ」
「たしかにそうだけど、若い人はちゃんと話を聞いてくれてただろ?」
「……アンタは甘いんだよ、ユウマ。下の連中がどれだけ優秀でも、上があれじゃ通るものも通らないんだよ」
結果、届いた補助金は、申請していた金額の3分の1だった。
弓や柵の材料は切り開いた森の木で賄い、わずかな食料の購入に補助金を回すことができた。
新しく罠や矢も作る必要があるけど、とりあえず今はネリオがいてくれるから安心だ。
正体は分からないけど、俺たちに危害を加える気はなさそうだ、となんとなく感じていた。
そんなことを考えていると、離れの外がにわかに騒がしくなる。
「ネリオちゃん、ほら、こっちだよ!」
「待ってください、そんなに急いでは転んでしまいますよ」
窓の向こうから、変わらない落ち着いた低い声が静かに響く。
元気よく開け放たれた扉から、リリィちゃんに腕を引かれ、ネリオが部屋に戻って来た。
「ただいま! あ、ユウマちゃん起きてる!」
「お目覚めになりましたか。ご無事で何よりです」
「助けていただいてありがとうございました……前回も、お礼も言わずに申し訳ありません。本当に助かりました」
俺を見る彼の眼差しは柔らかく、口元にはほんのり微笑みをたたえていた。
「いえいえ、偶然通りがかっただけですから。お気になさらず」
この村の近くをたまたま通る人は、そういないと思うけどな……。
「ネリオちゃんに、村のことをいっぱい教えてあげてたの」
「そっか、リリィちゃん偉かったね」
えへへ、と小さな頬を少しだけ赤く染めて、褒められた彼女は嬉しそうだ。
彼女が羽織っているケープの白い飾りが、動きに合わせて、ふわりと空中に舞った。
「ああ、そうだ……これ、落としましたよね。ユウマさんのでしょう?」
ネリオは、ふと思い出したように、ポケットから見覚えのある短剣を取り出すと、俺の目の前に差し出してくる。
「あ……すみません。気を失ったときに落としたみたいです」
彼から受け取った新人君の短剣は、鞘の宝飾が窓から差し込む日差しを受けて鈍く光っている。
「ユウマさんは、変わった趣味をお持ちのようですね?」
じっと眺めている俺に、ネリオは不思議そうに首を傾げた。
この派手な装飾のことを言ってるのか……この見た目じゃ、そう思われても仕方ないよな。
「これは俺の私物じゃないんですよ。治療院にいるもうひとりの冒険者の持ち物で、預かってるんです」
穏やかに笑っていたネリオは、笑顔のまま、目を細める。
彼は「なるほど」とだけ呟いて、納得したようにうなずいた。
「……どうかしましたか?」
ネリオの表情が妙に気になって、俺は彼に問い掛けた。
彼は正しい答えをくれる、そんな依存じみた期待も入り交じっていた。
……友達でもなんでもなく、顔見知りでしかないのに。
「いえ、実戦で使うには少し派手だと思いまして。それに、ずいぶんご自分に厳しい方のようです」
「……え? それって、どういう――」
「ネリオちゃん、一緒にご飯食べよ!」
リリィちゃんの元気な声に、会話はそこで途切れた。
ネリオが子どもたちに囲まれて部屋の隅へ連れていかれるのを見送りながら、俺は窓の外へ目を向ける。
昨日の戦いの片付けに励む村人たちを、俺は窓からぼんやり眺めていた。
「ユウマ、この村の『防衛隊長』を引き受ける気はあるかい?」
ヒルダ婆ちゃんは呆れたように笑う。
「村の連中が、アンタに頼みたいってうるさくてね」
「え……俺? 婆ちゃん、本気で言ってんの?」
「もういつも雪まみれだの、無鉄砲だの言わせないさ。アンタは、立派な村の用心棒だよ」
む、無鉄砲……雪だるまはまぁ、否定できないけど。
そんな風に呼ばれてたのか、俺。
「ユウマちゃん『たいちょー』になるの?」
「ユウマ、やってみたら?」
後押しされて、少し照れくさかったけど、この村にお世話になっているしな……。
「……じゃあ、お試しってことで。やってみようかな」
こうして俺は、最果ての地イノール村の、『初代・防衛隊長』に任命された。
◆
数日後の朝の食卓――ヒルダ婆ちゃんは、真っ黒に焦げたパンケーキを前に、腕を組んで唸っていた。
「……ヒナタが焼くと、なんでこうなるんだろうねぇ。教えた通りにしてるはずなんだが」
俺はヒナタが作ってくれた、ガチガチに焦げた目玉焼きと格闘中。
「婆ちゃん。ヒナタも頑張ってるし、あんまり怒らないでやって欲しいって言うか……」
「ああ、分かってるさ……仲が良くて羨ましいねぇ、フフフ」
俺は何も言い返せず、フォークが通らない焦げたパンケーキを手で掴んで、そのまま口に放り込もうとした。
「誰か、助けて!」
家の外から、ヒナタの悲鳴が響き渡る。
俺は反射的に立ち上がると、扉を蹴るように開け、外へ飛び出した。
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