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逆流者の旗  作者: 秋月 爽良


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第46話 白き影、三たび

 ざわりと風が木の葉をもてあそぶように揺らす音が、柵の内側の張り詰めた空気をすり抜けていく。


 声をひそめて震えながらも、健気に武器を構える村人たちの耳を、まるで撫でるように掠めながら。 


 誰もが息を呑んで微動だにせず、何かが現れるその瞬間まで、森の一点をただじっと見つめていた。

 

 さっきの女性の悲鳴のような警告が嘘だったかのように、村のそばの森は沈黙を守り続けている。

 

 ……かえって、その静けさが気味悪かった。


 茜色に染まる夕暮れだけが、気を付けて見ていないと気付かないほど穏やかに、村の柵や(やぐら)の影を長く細く伸ばしていく。


「ねぇ……やけに静かみたいだけど、魔獣がいたって本当なのかい?」

「アタシにも分かんないよ……でも伯母さんが見たって」


 近くで槍を構えていた村の女性が、隣で同じように武器を持て余している村人に、ひそひそと囁くのが聞こえてくる。

 

 そのささやきが火種になって、沈黙だったはずの柵の内側がじわじわとざわつきはじめた。


「おい! 来たぞ!」


 枝を踏み砕く乾いた音がやけに辺りに響いて、俺の胸の奥で鼓動がひとつ大きく跳ねると、打ち乱れるように早鐘が鳴る。


 森の奥から、何かが地面を駆け抜けるような音――最初はかすかだったそれも、近づくにつれて次第に大きくなっていった。


「あ……あれ、見て!」


 カピバラみたいな巨体を揺らしながら、群れでこっちへ向かってくるのは、エイドの怪我の原因となった、魔鼠(まそ)の群れだった。


「ヒルダ婆ちゃん、アイツら魔鼠だ! 群れの後に、魔狼(まろう)が襲って来るかもしれない!」


「何だってぇ!? こりゃ、ちとマズいね……誰か、子供たちを避難させな、早く!」


 ヒルダ婆ちゃんの合図で、村人たちが駆けだしていくのが視界の端にチラリと見えた。

 魔鼠(まそ)の群れは、こっちの都合なんかお構いなしに、じわじわと村へ迫ってくる。

 

 俺は矢筒を背負い直すと、柵の側に用意されていた予備の木槍を拾って、罠の方へ走り出す。

 

 途中、(やぐら)に立つロゼッタさんに、リリィちゃんの側にいるようにと、ヒルダ婆ちゃんが説得しているのが見えた。


 婆ちゃんの言う通り、参戦してくれるのはありがたいけど、命あってこそだ。

 それに、もし彼女に何かあったら、リリィちゃんが悲しむだろう。


 ……そんなの、俺だって嫌だ。


「目的は魔獣を倒すことじゃなくて、村を守ることです」


 それが正しいと信じて、何度も村人を説得してきた。

 ヤツラだって、一度痛い目を見れば多少は学ぶはずだと思った。


 そんな甘い期待を抱えながらも、生き物を傷つけることへの後ろめたさは消えなかった。

 自分の心の痛みと村人たちの暮らし、どっちを選ぶかなんて――最初から答えは決まっているけど。


 村人たち総出で数日かけて作業した(ほり)には、鋭く尖った枝がすでにいくつも仕込まれていた。


 俺たちが考えたのは、そこに魔獣を誘い込んで、落ちた相手めがけて上から弓を射るっていう、地味だけど確実な戦法だった。


「ユウマ! こっちは準備できてるぞ!」


 櫓の上からイデルさんが大声で叫ぶ。

 彼のすぐそばで、強まった風に矢尻がわずかに揺れ、ヒナタは真剣な顔つきで弓を引き絞っていた。


「よし、こっちだ!」


 俺は叫び声を上げながら野菜くずを堀へ放り込み、魔鼠を誘い出しつつ汗だくで駆け回った。

 策に見事にはまり、魔鼠たちはまるで順番待ちでもしているように次々と堀へ落ちていく。


 そこへ村の女たちが矢尻に火を灯し、炎で一気に焼き払う準備を整えた。


「みんな、準備はいいかい……合図したら、一斉に放ちな!」


 ヒルダ婆ちゃんが高く上げた片手を振り下ろすと、先端に火をまとった矢が次々と弓から放たれ、放物線を描いて堀へ落ちていく。


 燃えやすい乾燥した(わら)を敷き詰めていた堀の中で、炎が一気に燃え広がる。

 尖った枝に貫かれた魔鼠(まそ)たちは、逃げ場を失ったまま火に追われ、悲痛な叫びを上げた。


 そこはまさに、地獄絵図そのものだった。


「可哀想だけど、ここの村人たちも苦しんだんだ……すまない」


 俺たちはここを守ると決めた……感傷に浸っている場合じゃない。


 油断すれば、身を焼き尽くしそうなほどの炎の熱を浴びながら、村の誰もが無言でその美しさと残酷さに魅入っていた。


 こびりついて離れないんじゃないかと思うぐらい、焼け焦げる臭いに俺の鼻は少しずつ慣れていく。

 その先に待ち構えてることなんて、その瞬間は誰もが忘れていた。


 呆然と立ち尽くして安堵の表情を浮かべていた、その空気を切り裂くように、耳をつんざく咆哮が響き渡った。


 辺りを見回すと、木々の向こうから、いくつもの巨大な黒い影が跳ねるように姿を現す。


「ま、魔狼(まろう)だ……!」


 魔鼠(まそ)よりもひと回り大きな体で、その走るスピードと跳躍力は、堀なんて軽々と越えてくるだろう。


「上手くいってたのに……やっぱり出てきたか。みんな、早く避難を!」


 俺は槍を放り投げ、新人君の短剣を掴み、堀へと迫る先頭の魔狼と柵越しに炎を挟んで睨み合った。


 足がすくんで息も切れるけど、逃げるわけにはいかない。

 みんなが避難し終えるまで、俺はここで踏ん張るしかない。


「……村の中には絶対に入らせない!」


 俺の言葉に反応するように、風に煽られ、空高く炎が舞い上がる。

 村人たちが日頃から少しずつ準備していた『火の囲い』が、今まさにその役目を果たしていた。


「……お前ら獣は火に弱いんだろ? 一歩でも入ってきたら、俺が相手になってやる!」


 魔狼の一匹が耳をぴくりと動かした。

 まるで俺の言葉を待っていたみたいに、低く喉を鳴らすと、軽々と柵を飛び越えてくる。


 鋭い爪が腕に激しく叩きつけられ、俺はそのまま地面を転がった──肩に鋭い痛みが走る。

 ヒナタが俺の名前を呼ぶ声が聞こえた気がしたけど、額にも攻撃を受けて目の前が真っ赤に染まった。

 

 今回はエイドもいない、自分の命を守れるのは自分だけだ。

 

「……今回もやられっぱなしかよ!」

「おや、またお会いしましたね?」


 え、今の声って……?


 血でかすむ視界の向こうに、真っ白な外套の裾が風に揺れている。

 場の空気とは不釣り合いなほど、落ち着いた声だった。


 傷ついて倒れ込んだ俺の視線の先で、彼の足元は地面からわずかに浮いているようにも見えた。

 

 あれ、何だ……浮いてるのか?


 信じられない光景を確かめようと何度も目を凝らしたけど、砂煙の中で炎は揺れ、灰が舞い上がり、とても目を開けていられない。


 こんな状況で確かめるなんて、とても無理な話だった。


「ユウマさん、今日も血だらけですね。本気で彼らの相手をするのも、ほどほどにしておいた方がいいと思いますよ?」


「ぐっ……ネリオさん。あなた、何を言って――」


 相変わらずこの人は、少しズレてる。

 ネリオは、ふっと笑い声を漏らし、滑るように横をすり抜けて、俺と魔狼(まろう)の間に割って入った。


「しかし、少々お遊びが過ぎますね……ねぇ?」

「グウゥゥゥ……キュウゥ」


 魔狼は怯えているような声を出して、後ずさりする。


 どういうことだ……彼の言葉で魔獣が大人しくなったのか?


「ふむ……螺旋(らせん)焼却式ですと、せっかく皆さんが作った囲いまで吹き飛ばしてしまいますね」


 ひとり納得するように言ったネリオは、また聞き慣れない言語を短く呟く。

 意味は相変わらず分からなかったけど、前回とは違うものだとなんとなく感じられた。


 彼の差し出した右手は、オーケストラの指揮者のように、村の周りで燃えさかる炎を操る。

 その一部を自分の人差し指にまとわせるように奪い取った。


「……仕方ありませんね、少し痛いですよ?」


 魔狼はびくりと震えたあと、まるで叱られるのを恐れる飼い犬のように、また後ずさる。


 ネリオが指先にふっと息を吹きかけると、炎が一瞬で消え、魔獣たちは柵を越えて森の奥へと吹き飛ばされる。

 

「しばらくはこれでいいでしょう。大丈夫ですか、ユウマさん……あなたは本当に無茶をしますね」


 さっきの圧倒的な強さを微塵(みじん)も感じさせない、その穏やかな声を聞いた俺の意識は、村を守ることができた安心感から徐々に薄れていく。

 

 ヒナタの泣き叫ぶ声や、村人たちの俺の名前を呼ぶ声も、かすかに聞こえるだけ。


「……おやおや、これはいけません。どなたか――」


 何もかもがぼやける視界の中で、白い影はゆっくりこっちに近づいてくる。


 やっぱりちょっとだけ浮いてるじゃないか……この人、いったい何者なんだ?


 そこで、俺の意識は完全に途切れた。


 次に目を覚ましたとき、俺はガチガチに硬いベッドの上にいた。

 視界に映ったのは、いつもと変わらない見慣れた天井だった。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます

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