第45話 守りの朝
空が白み始めると、ゆっくりと村の輪郭が浮かび上がり、肩の力がふっと抜けるような安心感に包まれる。
それまで独り占めしていると勘違いしていた夜の空気は、朝の気配に溶け込んでいった。
その名残がたまらなく惜しい。
「もう夜が明けたのか……結局、寝られなかったな」
昨夜の集会は、俺が魔獣への備えとして村の防衛強化を提案したのをきっかけに、思いがけず荒れた展開になった。
ヒルダ婆ちゃんの後押しもあって、村人のほとんどが協力を申し出てくれたのは本当にありがたい。
話し合いが終わってすぐに書類作成に取りかかったから、こんな時間になってしまった。
「このままついでに……いや、確認しておいたほうがいいな」
予定が書き込まれた書類を胸に抱えると、部屋の外へと向かう。
目の奥がじんじんするのに、不思議と歩く足は軽い。
眠気覚ましに思い切り冷たい空気を吸い込んで、気持ちを引き締めた。
今日から村を守るための準備を始めるつもりだった。
まずは国から補助金をもらえるようにするのが先だけど。
「村でできることは自分たちでやって、足りない分だけ国に補助金を申請します」
俺のこの言葉に、興味を持ってくれた人も多かった。
ただ、申請が通るまでは魔獣も待ってくれないから、村にある材料でなんとかやりくりするしかない。
まずは、村全体を囲む柵の補強と、南の一部を出入口として残した堀、あとは簡易の櫓を造ることが決定してる。
「ユウマ、おはよう」
「え? ヒナタと……リリィちゃん!?」
声のした方を振り向くと、畑のそばにふたりがもう姿を現している。
まだ眠たげな顔をしていて、手をつないだままこっちをじっと見つめていた。
「びっくりした……昨夜も遅かったのに、大丈夫?」
寝てないんじゃないかって心配で、アタフタと駆け寄って問いかけると、ヒナタは照れくさそうにはにかみながら、リリィちゃんの頭をそっと撫でる。
「えへへ、楽しみで眠れなくてさ。ユウマの姿が見えたから、つい出てきちゃったんだ。今から始めるなら手伝うよ」
「アタシも! アタシも一緒にやりたい。ユウマちゃん、いいでしょ?」
「リリィちゃんも手伝ってくれるの? じゃあ少しこの辺りを確認したいから、3人で散歩しよっか」
並んで歩き出した俺とヒナタは、道端に咲く小さな花に夢中になったリリィちゃんに、あっという間に置いていかれた。
半歩後ろを歩く彼女はほんの少しだけ静かで、どこか気まずそうな空気を漂わせているのが何となく分かる。
やっぱりあの、「実は、けっこ――」が影響してるのか……?
彼女の横顔を見るたびに、あの時言えなかった言葉が胸の奥をちくりと刺す。
どうしても気になってヒナタの方をうかがうと、彼女は気まずそうに視線をそらした。
「ユウマ……あの、私――」
「話したくなったときでいいよ。無理に聞き出そうとはしないし……それにヒナタが何を言っても俺の態度は変わらないと思う」
砂利道を歩く足音がひとつ聞こえなくなって後ろを振り返ると、彼女は今にも泣きそうな顔で目の周りを赤く染めていた。
「ありがとう、ユウマ……」
「……うん、行こっか」
朝の静けさの中で、彼女の声がかすかに震えて聞こえるのは、きっとこの寒さのせいだろう。
少し離れた場所から、無邪気に呼ぶリリィちゃんの声に引き寄せられ、俺たちは駆け出した。
まず手をつけるべきは、村を囲む柵の補強と、魔獣の侵入口になりそうな北側の堀の整備だ。
必要に応じて見張り台――櫓の設置も考えている。
「ユウマちゃん、ここ見て。板が割れてるよ」
「ほんとだ……ありがと、リリィちゃん。ちゃんと書いておくね」
目ざとく駆け寄ったリリィちゃんが、柵の隙間に指を差し込んで教えてくれた。
こうして見て回ると、遠目では分からなかった傷みがあちこちにある。
「去年の雨で土が流れたのって、ここだっけ?」
「あの時は裏山の水が一気に流れてきて、柵の下がえぐれたの。村の人たちが土を盛ってなんとかなってるけど……」
ヒナタの言葉どおり、地面のふくらみを足で軽く踏んでみると、ふわりと沈む感覚があった。
マズいな……もしここを掘られたら、村への侵入なんか一瞬じゃないか。
「ねえ、ユウマちゃん。あっちって櫓にするの?」
リリィちゃんが、柵付近の少しだけ高くなった場所を指差して聞いてくる。
まだ何も建っていない草地だけど、見通しが良く、確かに見張り台を設置するには悪くない場所だ。
「よくそんな難しい言葉を覚えてたね? たしかに、そこにも立てられると理想かな。北側の視界が開けるし、村の出入り口も見えるから」
「えへへ、昨日ちゃんとお話を聞いてたんだ。じゃあアタシ、見張りの練習したい! 魔獣が来たら『そこだー!』って叫ぶの」
「ふふ、それは頼もしいな。頼りにしてるよ」
子どもらしい無邪気さに笑いながらも、ふたりの存在がこうして横にいてくれることに救われていた。
誰かと一緒に戦う準備をするという感覚は、ただひとりで走り続けていた頃とは全然違うものに思える。
「長さを測れそうな物って……市場に行けば見つかるかな」
「ユウマ、これって使える?」
考え込む俺に、ヒナタが短くちぎれた太めのロープと、細く裂いた布の切れ端を持って来てくれた。
彼女はロープに印をつけて、足りない部分は一定間隔で色の違う布切れを器用に結びつける。
「すごい……これなら村にある材料だけで、簡単に柵の間隔を測るのに使えるよ。ヒナタ、ありがとう」
リリィちゃんは測量に興味津々みたいで、積極的にロープの端を持って手伝ってくれた。
将来、彼女は測量士か設計士になったりして……建築家かも。
「ねぇ、アンタたち! もうお昼だよ、休憩したらどうだい?」
「えっ……もうそんな時間か」
作業に没頭していると、道具を持った村人たちが少しずつ集まってくるのが見えた。
その光景を見るだけで、防衛計画が実際に動き始め、村全体が少しずつ変わりつつあるのが分かった。
「この人数じゃあ、道具が足りないねぇ……どうする?」
「木の枝なら、いくらでもあるんだがね」
村人のひとりが、腕を組んで困ったように呟いた。
いま手元にあるのは、俺たち3人が使っていた、ロープと布きれをつなぎ合わせたものだけだ。
「じゃあ、なるべく真っ直ぐな枝をたくさん用意して、このロープと同じ長さにすればいいだろ?」
道具がないなかでも、枝や灰、石で代用してしまう――その柔軟さに驚かされる。
リリィちゃんが走り回って目印を置きたがるのを、みんな微笑ましく見守っていた。
村の出入り口を北側から南へ変更することになったんだけど……実は昨夜、これが一番揉めた。
もともと南側には道がなく、木を切り倒さないといけないこと、そもそも出入口を変えること自体に難色を示す人が多くて、説得にはかなり苦労した。
「アンタたち、話を聞いてんのかい……魔獣は北から来ることがほとんどって言ってんだろ?」
「ヒルダ婆ちゃん、そうは言っても村の南側は道さえないんだよ?」
「アイツらが来るたびに畑を荒らされてんだ。だったら北なんか穴を開けとく理由はないさ。今日から南が玄関だよ、文句あるかい?」
ヒルダ婆ちゃんの一言で、議論はあっさり決着した。
そこからの動きは早かった。
集会の2日後、イデルさんが村にいる間にということで、さっそく男たちで木を切り倒す作業に取りかかった。
人手は多いに越したことはなく、村の男たちは声をかけ合いながら、南側の木を一本ずつ倒していった。
「おーい! 倒れるぞ、気を付けろ!」
ドォン……。
一本の大木が、体に響くような音と地響きを立てて倒れる。
「これで、道ができるな……ユウマ」
「南門を作ったら、このまま北側は閉じる。木材は予定通り、柵と櫓に回すよ」
「あとは弓だっけ? ロゼッタも張り切ってるって、リリィが言ってた」
「……あんまり無理して欲しくないんだけどな」
女性が多いから、遠距離攻撃が中心になるだろう。
櫓の上とか柵の内側から、弓や槍で攻撃するのが安全だし効率もいい。
木材の手配や南門の作業と並行して、俺は補助金を申請するための書類も仕上げ、イデルさんに託した。
そうして村の守りが少しずつ形になり始めた、ある日の夕暮れ時。
村の外れで枯れ枝を拾っていた女性の悲鳴が、風に乗って村中に響き渡る。
「……ま、魔獣がこっちに近づいてるよ!」
「来た……今度は、前回みたいにはさせない!」
その声を聞いた瞬間、俺たちはそれぞれ決められた場所へと駆け出していた。
もう備えはできている、あとは守り抜くだけだ。




