第41話 異変の片鱗
「ユウマちゃん、また怪我しちゃったの?」
「う、うん……魔兎から逃げるときに、転んじゃって」
正式名称はイノール村だけど、世間では最果ての村と呼ばれるこの場所は、名前だけは美しい。
命の泉を探すと決めてから、もう何日か経っていた。
でも俺は、ここの厳しい寒さに、まだ馴染めそうにない。
雪の塊をいくつもまとって現れた怪しい人物に驚くこともなく、一目で俺だと見抜いたリリィちゃんは、両手を腰に当てて仁王立ちしていた。
呆れ半分・心配半分の表情を浮かべて、小さな眉を八の字にしてる顔が、ほっこりと心を温かくさせる。
「……アンタも懲りないねぇ。まぁ、気持ちは分からんでもないけどね」
「ヒルダ婆ちゃん……逃げるのに必死で、借りてた鎌は置いてきちゃった。ごめん」
「何だってぇ? 明日、朝イチで拾って来な」
「そ、そんな……アイツら、2メートルぐらい跳ねながら追いかけて来るんだよ!? ちょっと物音立てたらすぐ気付くし、逃げてもすぐ追いつかれるんだって」
ヒルダ婆ちゃんの家に戻って来た俺の頬は真っ赤で、髪には雪が張りついてるし、足元は泥でぐちゃぐちゃだった。
しかも、ここにはまともな武器がないから、唯一攻撃力の高そうな鎌まで無くしてしまった。
今の俺にはアレがないと、森の中じゃ本当に命が危ない。
新人君の短剣は預かっているけど、証拠品だから使うのは諦めた。
とはいえ、鎌を失ってしまった今は、念のため身につけておいた方がいいかもしれない。
服を着替えてきた俺を見て、ヒルダ婆ちゃんはグツグツと煮立ったスープをかき混ぜる。
大きなお玉ですくって器に注ぐと、無言のままこっちへ差し出した。
「熱いから気をつけな。それと、そこにヒナタが作ったパンケーキもあるからね」
「あ……うん。ありがとう、いただきます」
ヒナタは、ヒルダ婆ちゃんの家で暮らしている俺と年の近い女の子で、キラキラ光る銀髪が印象的だった。
俺は具のほとんど入っていない熱々のスープを冷ましながら、今日もこんがり焼けているパンケーキにフォークを突き刺す。
あれ……今日のは、少し柔らかい。
一口頬張ると、ほんのり焦げた生地の隙間からパンケーキの香りと熱が溢れ、ふわりと鼻を抜けていく。
「あ……ハチミツが甘くて美味しい」
ヒナタが作ってくれるパンケーキは、初めて食べたときはもっと焦げていて固かった。
フォークが刺さらない日もあったぐらい。
彼女は大きな瞳を潤ませながら、プラチナみたいな銀髪を揺らして謝ってばかりだった。
だから初めて一緒に台所に立った日、俺はなるべく何でもないことみたいに声をかけた。
「俺も作ってみたいから、一緒にやってもいい?」
「え……あ、うん」
俺だって正直、本格的な料理なんてほとんどやったことがない。
それでも台所で並んでいるうちに、少しずつ人見知りのヒナタとも仲良くなっていった。
「ユウマ……命の泉のことは、そろそろ諦めたらどうだい? 夏まで氷が溶けないんだろ?」
「それはそうなんだけど、もしたどり着けたら欠片だけでも持って帰って、火で溶かしてみようかなって思って……」
俺を心配して声を掛けてくれたロゼッタさんは、赤ちゃんを抱っこしたまま声を上げて笑う。
「そんなこと考えるのはアンタだけだよ。大抵の人間は大人しく待ってるもんだ」
リリィちゃんにそっくりな顔で呆れたように笑った彼女は、ケープを頭からすっぽりかぶり、ぐずり始めた赤ちゃんに授乳を始めた。
俺は命の泉を手に入れて、エイドの元に必ず持って帰るつもりだ。
だけど、夏まで氷が溶けるのをじっと待つなんてことも、やっぱりできない。
エイドは俺の言葉を信じて、きっと今頃リハビリを始めてる頃だろう。
立ち止まることも、何もせずじっとしてる自分も嫌だった。
もう誰かに庇われるだけの自分でいたくない……。
「ユウマちゃん、今日はどこまで進んだの?」
「……それがさ、毎回同じ場所に戻されるんだよね。森の木に布を結んで目印にしてるのに、気づくといつの間にか入り口に立っててさ」
「ふーん、そうなの」
リリィちゃんが大人みたいに腕を組んで、不思議そうに首を傾げる仕草が可愛い。
「あの森は不思議な場所だからね。最後にたどり着いたヤツは、もう数十年前じゃなかったかねぇ……」
「そっか……まぁ、コツコツやってみるよ」
リリィちゃんの興味を示したような表情に気づいて、俺はヒルダ婆ちゃんとの会話を曖昧に切り上げた。
もし魔が差してひとりで森に入ったら危ないし……あとでヒルダ婆ちゃんだけに情報を共有しておくか。
「……婆ちゃん、今日ってギルドの方は営業するつもり?」
「ああ、イデルが街とここを往復してくれるおかげで、依頼が入るようになったからね。ユウマ、アンタが受けるかい?」
もちろん、と大きく頷いて、俺は急いで目の前の残りをかき込む。
「……ごちそうさまでした。これ片付けたら、すぐに向かう」
「ああ、待ってるよ」
ヒルダ婆ちゃんは年齢を感じさせない軽やかな足取りで立ち上がると、ニヤリと意味深な笑みを浮かべて部屋を後にした。
「ユウマちゃん、頑張ってね!」
「ありがとう、リリィちゃん。先に荷物だけ置いてくるよ」
俺は村の端にある、ヒルダ婆ちゃんから借りている古びた離れへ向かった。
屋根には穴が空いてるし、壁も隙間だらけだけど、雨風をしのげるだけで十分ありがたかった。
「好きに使いな、誰も住んでないしね」
「……ほんとに、いいんですか?」
「いいともさ。アンタ、命の泉が必要なんだろ?」
この村に滞在すると決めた日、ヒルダ婆ちゃんは離れの玄関先にスープと干し芋を置いていってくれた。
それから今日まで、俺は自分を鍛えるため、少しずつ森へ足を踏み入れるようになった。
運良く辿り着けば、氷の欠片を持ち帰れるかもしれない。
それに、森で魔獣を退治しながら、レベルアップもできると簡単に考えていた。
「なかなか上手くいかないもんだよな……」
悪戦苦闘する俺に、イノール村の人たちは驚くほど優しかった。
通りすがりに「これ余ったから」ってパンの耳をくれたり、畑の野菜を分けてくれたりする。
セリナ村みたいに、小麦っていう特産品があるわけじゃないし、村人たちの生活に余裕がないのは見てたら分かる。
むしろ、毎日の暮らしはギリギリじゃないのかな……。
それでも見ず知らずの俺を気遣ってくれる彼らに、胸が温かくなったのを覚えている。
村の人たちのためにできることがあれば、何でもやってみたい……そう思うようになった。
「あの……ここって、よく魔獣か獣が来るんですか?」
この村に来てからしばらくして、俺を案内しながら畑を見回っていたヒルダ婆ちゃんに、ずっと疑問に思っていたことを尋ねてみた。
「ああ……多いときは、月に何度か来るね。若いもんは街へ出稼ぎに行ってるから、アタシらだけじゃ、追い返すのも一苦労だよ」
やっぱり……畑が荒らされているから変だと思ったんだ。
「隣村を襲ってから、そのままこっちに向かうみたいでね……まぁ、アタシらはいつも連絡をとりあってるから、魔獣が来る前に準備だけはできるんだが」
連絡って……電話もスマホもないのに?
「一体どうやってるんですか?」
「ふふふ……見てな。今度お披露目してやるよ」
ヒルダ婆ちゃんは、口の端を吊り上げて自慢げに笑っていた。
この村には、俺の知らない知恵と強さが確かに息づいている。
そんなことを思い返しながら離れに荷物を置き、乾いた砂利道へ出る。
しばらく歩くと、小さな掘っ立て小屋と、大砲みたいな筒状の煙突が見えてきた。
「婆ちゃん、隣村の狼煙は上がってそう? 見張りなら、俺が替わろうか?」
腰に手を当てて、振り向きもせず遠くをじっと見つめる彼女は、その視線を外そうとはしなかった。
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