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逆流者の旗  作者: 秋月 爽良


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第39話 祈りの果て

「嘘だろ……なんでだよ!? こんな時間に、なんで魔猪(まちょ)が出てくるんだよ!」

「そんなこと言ったって俺にも分かんねぇよ! とにかく逃げろ、弾き飛ばされる!」


 盗賊たちは大声を上げて慌てふためき、逃げ惑う情けない姿をさらしていた。


「……アンタ、こっちだってば! ほら、早く手を出して」


 囁く声に気づいて、殴られて腫れた片目をなんとかこじ開けて顔を上げると、いつの間にか荷台に飛び乗っていたイデルさんが、心配そうに覗き込んでいた。


 俺は辺りを見回して、盗賊たちの様子を軽くうかがうと、彼の腕にしがみつく。

 支えられながら片手で荷台を掴んでよじ登ると、魔獣の突進を間一髪でかわすことができた。


「大丈夫か……?」

「……はい」


 動くたびに激痛が襲ってくる体を引きずりながら、何とか乗り込むと、すぐに一家の様子を確認する。


 リリィちゃんはロゼッタさんに抱きしめられて震えていたけど、俺の顔を見ると、短剣の鞘を手に持って駆け寄ってくる。


「これ……さっき落としたでしょ?」

「ありがとう……持って来てくれたの? よく気が付いたね」


 彼女は小さく「うん」と頷いて、泣きそうな顔のままえへへと笑うと、すぐにロゼッタさんにしがみつく。

 

 ……よかった、みんな無事で。


 俺が震える手で短剣を鞘に収めている間に、ロゼッタさんは素早くカーテンを閉じて、フックを掛けた。


「……イデル、今のうちに早く!」

「わ、分かった……みんなしっかり掴まってろ。このまま振り切る!」


 イデルさんが御者台に飛び乗り、手綱を手に取ってかけ声を掛けると、馬が地面を蹴って(ほろ)馬車は大きく揺れながら走り始める。


 体長が2メートル以上もある魔猪(まちょ)と併走するように、必死で走り続けた。

 

 お、大きい……これが魔猪(まちょ)か。

 実物を見るのは初めてだ。


「きゃあ!」


 リリィちゃんの悲鳴が響いて振り返ると、魔獣から逃げ惑う盗賊のひとりが馬車に手をかけ、今まさに乗り込もうとしていた。


「……お前が乗る席は、ここにはないんだよ!」


 俺は荷台に積んであった大きめの棒きれを掴むと、さっきの仕返しとばかりに、そいつの手や顔をしこたまぶん殴ってやった。


 眉間や鼻も狙われ、痛みに思わず手を滑らせた盗賊は、フカフカに積もった雪に投げ込んだ雪玉のように、こんもりと茂った草むらへ吸い込まれていく。


 ……めちゃくちゃ爽快だ、ざまあみろ!


 まだ夜が明けきらない見通しの悪い街道を、スピードを上げ、わずかな月明かりを頼りに、ただひたすら走り続けた。


 もしカーブでもあれば、今頃横転していたかもしれない。

 

 荷台に目を向けると、緊張した面持ちでこっちを見ていたロゼッタさんと視線が合う。

 覚悟を決めたような表情の彼女は、リリィちゃんを強く抱きしめた。

 

 しばらく走って周囲に誰もいないことを何度も確かめると、イデルさんは手綱を引いてゆっくり馬車を道の端に止める。


 俺たちを気にするように、後ろにちらりと視線を送る馬の吐く息が、小さな白い塊となってやがて消えていく。


 盗賊の姿も、魔獣の気配も……もうどこにもない。


「……アンタ、なかなか無茶するじゃねぇか。だけど、家族を守ってくれてありがとな」


 御者台に座っていたイデルさんが、すぐ後ろの荷台にしがみ付いていた俺に、手を差し伸べてくれた。


「お礼を言うのはこっちの方です。俺のせいで申し訳ありませんでした……ロゼッタさん、どこか痛いところはありませんか?」


 荷台の中を振り返ると、リリィちゃんも安心したのか、母親にしがみ付いて思い切り泣きじゃくっている。


 こんな小さな子に、本当に怖い思いをさせてしまった。

 彼女のトラウマにならなきゃいいんだけどな……。


「アタシのことよりアンタだよ、早く怪我の手当てをしないと。えらく顔が腫れて――アイタタタ」


「えっ、え……大丈夫ですかロゼッタさん。どこが痛いんです?」

「う……ダメ。産まれそう!」


 ……そのあとは大変だった。

 

 我慢できずにここで産むと言い出したロゼッタさんと、アタフタするしかない男ふたり。


 唯一冷静だったリリィちゃんは、彼女の背中をさすり続けた。

 最果ての村までそう遠くないことを思い出したイデルさんは、すぐに馬車を走らせる。


 ロゼッタさんの様子を気にして荷台をのぞいたり、パニックになるイデルさんのいる御者台へ駆け戻ったりを繰り返すばかりで、俺は結局、何の役にも立てなかった。


「ううう……もう、ダメ。無理……」 

「ロ、ロゼッタさん、もうちょっとですから我慢してください……! イデルさん、あとどのぐらいかかりそうですか!?」


 本当は怖かった……。

 

 新しい命が産まれるのは、喜ばしいことなのに……そばにいてあげないと。

 そう頭では分かってるのに何もできなくて、この場から逃げ出したい自分も確かに存在していた。


 走る(ほろ)馬車の振動をもろに受けてフラつきながら、いよいよ産まれそうな気配に怖じ気づいて、イデルさんの方へ逃げ出してしまった。


 彼女はひとりで苦しんでるのに、俺はダメなやつだ……。


 胸が良心の呵責で締め付けられるように痛んで、どうか早く着いてほしいと願いながら、薄暗い道の先をじっと見つめた。


「もう少しだ……! もう少しで着くぞ、ロゼッタ!」


 俺の隣で両手で手綱を握りしめるイデルさんは、きっと何度もこの道を通ったことがあるんだろう。

 

 さっきまで切羽詰まった表情を浮かべていた彼の顔には、残りの距離がわかっているせいか、わずかな安堵が浮かんでいた。


 垂れ気味の目は瞬きもせずに、ただ一心不乱に前だけを見つめている。


 すぐに彼の言葉通り、遠くに小さな家々の灯りがぽつぽつと見え始めてくる。

 近づくにつれ、それは揺れる松明の光も混ざっていて、確かに人の営みを感じさせた。


 あれが、最果ての村――俺の目指していた場所だ。


「誰だ……って、馬車か。誰かいるな」

「つ、着いた……助けてくれ! つ、妻が……産まれる!」


「産まれる……妻が? あっ……もしかして産気づいてるのか!」


 誤解されそうなイデルさんの絶叫が夜空に響くと、村の門の両側の丸太で組まれた簡素な見張り台から、慌てたように松明を掲げる影が現れる。


 彼らのざわめく声は徐々に広がり、それに呼応するように、ぽつぽつと家の灯りが増えていった。

 

 街より少し肌寒いせいか、寝間着のまま上着を羽織った人もちらほら見え、村人たちが扉を開けて外へ出てくる様子が目に入る。


 馬車の近くまで駆け寄ってきてくれた若者のひとりが、俺の顔を見て一歩後ろへ引いた。


「うわ……な、なんだその顔」

「ちょっと、アンタ。大丈夫かい!?」


 声をかけてくれる人もいたが、どうやら俺の顔は相当ひどい状態だったらしい。

 寝ぼけ眼で出てきた村人たちは、驚いた様子でしばらく見つめ、動揺しているのがはっきり分かった。


「違うもん! この人は……ユウマちゃんは、ママを守ってくれたんだもん!」

「リリィちゃん……」


「おや、そうだったのかい。ごめんよ、もう大丈夫だからね?」


 小さな彼女が泣きながら叫ぶと、村人の女性がすぐに(ひざまず)いてその背中を優しく撫でる。


 何度も優しく声をかけられたリリィちゃんは、涙を流しながらその女性にしがみついた。

 俺たちがようやく安堵したのも束の間、背後から力強い足音が響いてきた。


「何してるんだい、アンタたち! さっさと担架持ってきな!」


 現れたのは、白髪をお団子に結った背の低いお婆ちゃんだった。

 背筋がまっすぐ伸びて姿勢が良く、威勢のいい声は村中に響き渡るほどよく通る。


「あ、スマン……! 今、持ってくるから待っててくれ!」


 駆け出した村人たちは、数分もしないうちに木枠に布を張った簡易の担架を運んでくる。

 ロゼッタさんは押し寄せる痛みに顔をしかめ、うっすら目を開けたまま浅い呼吸を繰り返していた。


「ゆっくり起き上がりな。もう少し我慢できるね……よし、上等だ」


 お婆ちゃんの声に、汗でびっしょりの彼女は大きく頷くと、背中を支えられながら体を起こす。


「アンタもママのそばにいておやり。アタシらがいるから、もう心配しなくていいんだよ」


 泣きやんだリリィちゃんの頭をお婆ちゃんが優しく撫で、村人たちに小さく合図を送ると、ロゼッタさんは温かな明かりの灯る家へ運ばれていった。


 良かった……これで、大丈夫だ。


 その場に残された俺は、糸が切れたように、力が入らなくなって膝をつく。

 全身がじわじわと痺れていて、痛みすらもよく分からなかった。


 何もできなかったことも、怖くて逃げ出しそうになったことも、誰にも責められず後悔だけが残る。


 ただ、助けてもらえたことがありがたくて、言葉がもう出てこなかった。


「おい、アンタどうした!? 誰か、もうひとつ担架持って来てくれ!」

「あ……ああ、だ、大丈夫……で、す」

  

 口ではそう言ってはみたけど、緊張が一気にほどけたせいか、自分でも信じられないぐらい腕も足も鉛みたいに重い。

 

 ゆっくり立ち上がろうとしても、目がぼやけてグラグラと視界が揺れる。

 俺の足なのに、まるで言うことを聞かなかった。


 神様……ローブ神様。

 どうか赤ちゃんとロゼッタさんが無事でありますように……。


 そう祈りつつ目を閉じた瞬間、俺の意識はすっと闇の奥に沈んでいった。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます

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