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逆流者の旗  作者: 秋月 爽良


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第38話 守りたかった命

「うーん、そうですかね……?」


 そのときの俺は、ちょっと大げさなんじゃないかと軽く受け流していた。

 

 でも今になってみると、セルジオ神父の忠告は確かにもっともだったと分かる。

 リスクを避けるには、正しい判断だった。


 かなり卑怯で強引な手ではあったけど、サディロスがラオスと交わした契約は、正式なものとしてすでに行政に処理されてる。


 ……もちろん、「今のところは」だけど。

 

 国に提出する予定で、俺が徹夜して仕上げた書類は、もうレブラン副部長に破棄されているだろうな。


 ダムも、もう撤去されてるだろうし……村が洪水の被害に遭わずに済んだのは嬉しいけど、それとはまた別の話だ。


 仮にここでもう1部書類を作成したところで、その内容を証明するには証拠が弱すぎる。

 グレオルドさんを襲った連中が捕まれば話は早いけど……それがいつになるかなんて、誰にも分からない。


 いいさ、今はそれで……グレオルドさんの体調さえ戻れば、例の仕掛けを最大限に使って、ひっくり返してやる。


 考え事をしながら、これからの予定を立てていたけど、ゴトゴト揺れる荷台の中は案外居心地が良かった。


 いつの間にか眠ってしまった俺は、どうやら相当疲れていたらしい。

 

 目を覚ますと馬車は止まっていて、パチパチと薪がはぜるたき火の音と、本来聞こえるはずのない男たちの話し声が耳に届いた。


「あれ、俺、寝ちゃったのかな……?」

「しっ……静かにしてな。絶対にそこを動くんじゃないよ……」


 頭上から聞こえてきたロゼッタさんの言葉に、緊急事態だとすぐに察して思わず息を呑む。

 

 彼女は人差し指を唇に当て、泣いて嫌がる娘のリリィちゃんを、俺のそばへグッと押しやった。

 すぐに大きなシーツを素早く広げて、包み込むように頭からすっぽりと被せる。


 向こうが透けて見えるほどの薄い布越しにじっと目を凝らしてみると、外はまだ夜が明けていないようで、荷台の中も暗い。


 俺の腕にしがみついたまま離れないリリィちゃんが、カタカタと震えているのが伝わってくる。


「おい! 荷物を見せろって言ってんだろうが!」

「ま、待ってください……荷台には金になるようなものは、なにも積んでおりません」


「そんなこと、この目で見なきゃ分かんねぇだろうが!」


 まさか、盗賊が出たのか……嘘だろ。

 複数の話し声が聞こえるから、少なくともふたり以上はいるのか?


「邪魔な野郎だな! そこをどけっ!」

「うっ……ロ、ロゼッタ、リリィ」


 イデルさんの苦しそうなうめき声が聞こえて、乱暴に地面を踏みつける重たい足音が、俺たちの隠れている荷台にゆっくりと近づいてくる。


 一瞬の静寂のあと、それまで外気を遮っていた荷台のカーテンが、何者かによって勢いよく開け放たれた。


 薄いシーツ越しに、男の顔の右半分がぼんやりと浮かび上がる。

 真っ暗なはずなのに輪郭がわかるのは、焚き火の勢いがまだ強いからだろう。


 炎はてらてらと奴の頬を照らすけど、窪んだ目元に落ちた影のせいで、瞳の奥までは分からなかった。

 

「なんだい、アンタたちは。ここには、金目の物なんてひとつもないよ!」

「ふん……あいにくと、俺たちの狙いはそこじゃねぇんでな」


「何だって……一体何が目的なのさ?」


 セルジオ神父の「途中で襲撃される可能性もある」という言葉が、俺の頭の中で何度もこだました。


 まさか、狙いは俺だっていうのか……だとしたら、この家族まで巻き込んでしまった。

 それに、なんでこの馬車に乗っていることを知っているんだ……?

 

 このことを知っているのは、俺とイデルさんたち、それに神父だけのはずなのに。

 

 ……まさか、あの教会は一日中、サディロスの手下に監視されていたってことか?


「まぁ、アンタはそこで黙って見てろ。おい、お前ら……荷台の中を探せ!」

「よっしゃあ! 任せとけ」


 盗賊たちの愉快そうに騒ぎ立てる声が響く中、奴らは次々と乗り込んでくる。

 積まれていた木箱や麻袋を引きずり出しては、手当たり次第に叩き壊していく。


「ちょっと! 何もないって言ってるだろ!」

「ママ……」


 聞こえてきた母親の声に反応して、小さくリリィちゃんが呟いた。

 ロゼッタさんの悲鳴に近い甲高い声が響くと、彼女は俺の腕にギュッと爪を立てしがみつく。

 

 激しく揉み合う気配がして、誰かが倒れる音がすると、辺りは静まり返る。


 今の音……まさか。

 ダメだ、彼女のお腹には赤ちゃんがいるんだ!


 俺はすぐさまリリィちゃんを引き剥がすと、自らシーツを(めく)って小さな体を隠すように、奴らの前に飛び出した。

 

「おい! お前らが探してるのは俺だろ! その人たちに手を出すな!」

「ん? おお……やっぱりここにいたか」


「アンタ、何で出てきちまったんだよ……」


 雲の切れ間から差し込む月明かりは、麻袋にもたれかかるように倒れているロゼッタさんを照らし出す。

 

 その表情には、娘まで被害に遭うかもしれないという恐怖と俺の身を案じる気持ち、そしてこれで娘は無事かもしれないという安堵が入り混じった複雑なものだった。


 苦しそうにゼイゼイ肩で息をしながら、お腹をかばう彼女を見た途端、一気に全身の血が逆流するような衝撃が走って肌が総毛立つ。


「お……お前ら、妊婦さんに何してるんだ!」


 頭に血がのぼった俺は、さっきリュックから取り出しておいた新人君の短剣を勢いよく鞘から抜いて、盗賊めがけて突っ込んだ。


「うおっ! 危ねぇな!」


 大きく振りかぶった右手の剣が相手の鼻先をかすめて、勢いのまま奴にぶつかり、ふたりして荷台の外へ転がり落ちる。


 運良く奴が下敷きになってくれたおかげで、俺はほとんどダメージを受けずに済んだ。


「痛ぇ! この野郎、やりやがったな!」


 このままコイツにトドメを刺す――!


 頬や頭に何発も拳を食らいながらも、俺は意地でも奴に馬乗りになったまま、両手で短剣をしっかりと握りしめる。


 頭上より高く掲げると、そのまま叩きつけるように振り下ろそうと力を込めた。


「……おっと、ここまでだ」


 ほんの少し振り下ろしかけた瞬間、もうひとりの盗賊が俺の手首をキツく掴む。

 そのまま背中を蹴り飛ばされた俺は、その激痛に耐えきれずうずくまった。


「この野郎、ふざけやがって!」

「うっ……ぐはっ」


 何度殴られても蹴られても、短剣だけは握りしめていた。

 

「絶対に、これだけは離すな」


 頭の奥で響いたその声に突き動かされ、俺は握った手を放さなかった。


「……おい、その辺にしとけ。死んじまうぞ?」

「ははは、別に問題ねぇよ。こいつだろ、サディロスの旦那の邪魔をしたのは」


 サディロス……やっぱりあいつだった。


 盗賊は4人……殴られて倒れた体を必死に守りながら、かすむ視界の中で、奴らの手の甲に同じ刺青が刻まれているのを見つけた。


 あのダムの時と同じ連中だ……。


「コイツが邪魔しないように、始末すりゃいいんだったな? フヘヘ……このまま殺しちまっても問題ねぇってことだ」


「ヘッ……それもそうだな。まぁ、ほどほどにしとけよ?」


 奴らのひとりが腰から剣を抜いて、俺にとどめを刺そうと構えたその瞬間、低く風が唸るような音があたりに響き渡る。

  

「……おい、今何か聞こえなかったか……」

「あ? 気のせいだろ。今は魔獣もおとなしく寝てる時間だぜ、ギャハハ」


「いや……おい! あれ、な――ぐわっ!」


 何が起きたのか、俺にも分からなかった。

 

 目の前に突然ひとりの盗賊が転がってきて、地面にしたたかに頭をぶつける。

 ソイツは気絶したのか、微動だにしない。


「お、おい……大丈夫か!?」


 さんざん蹴りを放っていた盗賊は恐怖に顔をゆがめ、周囲を見回していた。


 ……今のうちに、立ち上がらないと。


 俺は必死に気力を振り絞って、馬車の荷台に手をかけながら、震える足を拳で叩いて立ち上がる。


 ボンヤリする意識の奥で、まるで大地の奥底から怒りが湧き上がるような、低く重い地鳴りが闇の中に響いた。


 次の瞬間、風を裂く音とともに、黒い塊が闇の中から飛びかかってくる。


「お、おい! コイツら……魔獣だ、魔猪(まちょ)の群れが来やがった!」

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます

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