第35話 踏み絵
「終わったな、お疲れさん。ついでで悪ぃが、俺の質問にも答えてくれると嬉しいんだがな」
「あ……はい。先日の依頼の件ですよね?」
俺は軽く頷いて、気持ちを落ち着けようと息を吐き出す。
誤解のないよう丁寧に説明しつつも、支部長への警戒は解かずにいた。
「そうか……よく分かった。しかし、本来は大人しいはずの魔鼠が、急に群れで動き出したっていうのが腑に落ちんな」
「やっぱりそうですよね……特に私たちが、何か刺激するような行動を取ったわけではなかったんですけど」
刺激さえしなければ、群れで襲ってくることはないって、エイドが言っていたのを俺もよく覚えている。
魔狼に関してもそうだ……あいつらは、魔鼠を追う。
獲物を狙って動き出した可能性が高い。
「他になにか気付いたことはなかったか? なんでもいい」
支部長は俺の顔色をうかがうように、じっと見つめてくる。
無言のアトーリオさんがそっと腕に触れてきて、その意図に俺は気付いていた。
ここで話してしまった方がいいって、彼は伝えたかったんだろう。
でも、不確かなことには賭けたくない……この人が確実に味方だとわかるまでは。
俺は深く息を吸い込み、ゆっくり吐き出してから、支部長の視線を正面から受け止めた。
「いえ、いまのところは……それと、レブラン副部長から何か聞かれてませんか?」
「レブラン……? いや、何も聞いてないが」
とぼけた顔とその言葉が、本当なのか嘘なのか……彼の表情からは読み取れない。
「今回の薬草や依頼の件では、特に何もありません……それ以外で私があなたにお話したかったことは、副部長さんに預けた書類にすべて記載してあります」
これは支部長に対する踏み絵だ――。
もし彼がレブランと同じ立場なら、すでにあの報告書の内容を知っていて処分しているはずだ。
逆なら……副部長への疑いを引き起こすきっかけになるだろう。
もっといい方法があるんだろうけど、今の俺にはこれくらいしか思いつかない。
「書類……そんなものがあったのか? レブランとはギルドに戻ってから一度顔を合わせたが、何も言ってなかったな」
あれ……本当に知らないのか?
「……そうでしたか。でしたら彼に直接確かめてください」
オラロワ支部長は「ふむ」と短く頷いて、腕を組んで考え込むように目を伏せる。
少なくとも今の反応を見る限りでは、報告書のことは知らなかったように見える。
「今はレブランの奴が不在でな。戻って来てからにはなるが……ところでその書類には、一体何が書かれてるんだ?」
落ち着いた声だったけど、後半はほんの少し探るような聞き方だった。
「私がある商人と訪れた、セリナ村の現状について書かれてます」
「セリナ村……ですか?」
それまで、紙の上をなめらかに滑っていたキレアーノ調査官の手がふいに止まった。
「……ユウマさん、その商人の名前を伺っても構いませんか?」
声の調子は変わらないままだったけど、その目には明らかな関心が浮かんでいる。
予想に反して彼が食いついてきたことに驚きながら、少し迷った末に俺は覚悟を決めた。
「同行していたのは、サディロス・ゴールドライン、という商人です」
サディロスの依頼は正式に受けてないから、少なくとも俺に守秘義務のようなものはないはずだ。
力を貸してくれる相手だと分かれば、いくらでも情報提供する。
ヤツの名前を聞いても、キレアーノ調査官はピクリとも表情を崩さない。
だけどその指先が、ごくわずかにペンを握り直したのを、俺は見逃さなかった。
「……その名を、書類に記録として明記されましたか?」
「それは、その……」
これ以上、この場で話してしまって大丈夫だろうか。
俺は口ごもって、チラリとオラロワ支部長の方へ視線を向ける。
それに気が付いたキレアーノ調査官は、ああ、と呟いて眉間にシワを寄せた。
「オラロワ、いい加減にしろ。彼が何も話せなくなっているじゃないか」
「俺は何もしてないだろ……わかった、わかったよ」
支部長はさらに文句を言い出しそうなキレアーノ調査官に、もう分かったと言いたげに片手を上げると、気まずそうな表情を浮かべながら俺の方へ向き直る。
「いいか……これだけはハッキリ言っておく。ユウマ、俺はお前の敵じゃねぇ。今はまだ詳しくは話せねぇんだが、レブランについて俺ひとりで調べていることがある」
「ほ、本当ですか……?」
「ああ。キレアーノの仕事にも関わってくるんだが、まぁ端的に言えば金の流れだな」
金か……。
頭に浮かんだのは、セリナ村で見た、誰かに鍵を付け替えられていた古い廃坑の扉。
あれが隣国へ繋がってて、密輸のために使ってるんじゃないかって考えたこともあった。
ふたりが彼らに関心を持っているってことは、サディロスとレブラン副部長が繋がっているのか?
その後、オラロワ支部長たちと情報交換をすることになったけど、さっき聞いた以上のことは教えてもらえなかった。
一介の冒険者でしかない俺に、これ以上の情報は漏らせない……調査の途中ならなおさらだろうけど。
「書類には、彼の名前と村の土地に関する言動を記載してあります……ただ、これは私が迂闊だったせいなんですが、レブラン副部長の手に渡ってしまいました」
キレアーノ調査官は静かに書類を閉じると、少し間を置いてからゆっくりと口を開く。
「……ありがとうございました、とても参考になりました。お話は、以上でよろしいですか?」
「はい」
彼の口調は柔らかかったけど、その目には、不正を見逃さな鋭い光が宿っていた。
「今回いただいた情報で、今後の調査はかなり前進すると思われます。ただ、申し訳ないのですが、現時点ではこちらとしても、まだ動くわけにはいかないのです」
証拠としてまだ弱い部分があるから、サディロスなら、いくらでも抜け道を思い付きそうだ。
「……ということは、調査は続けるけど、まだ手は出せないってことですね?」
「むやみに動けば、相手に勘付かれる危険もありますから。もう少しだけ時間をいただけませんか?」
どうか分かってほしい──そんな想いが、彼の穏やかな眼差しににじんでいた。
「レブランについては、こっちで引き続き探らせてもらう……アイツは、ずっと怪しいと思ってたんでな」
オラロワ支部長は、伸びをしながらゆっくりと立ち上がった。
「支部長さん、キレアーノ調査官、ありがとうございました」
「ユウマ、俺もできる限りの手は打つつもりだ。まあ、心配するな」
冗談っぽい口調だったけど、オラロワ支部長の言葉は心強かった。
ふたりが調査をしてくれている間、俺がやることはもう決まっている。
ポケットの中にそっと手を入れると、グレオルドさんから届いた手紙が指に触れた。
「今は動かず、機会を待て」──それはきっと、焦るなという忠告だ。
ふたりに挨拶を済ませた俺たちは、ギルドを出て、3人で治療院までの道をゆっくりと歩く。
「ねぇ、ユウマ……私がいない間に、とんでもない事件に巻き込まれてたのね?」
「まあな、俺もこんなことになるとは思ってなかったよ」
メイには、この件に関わらせたくなかったな……いまさらだけど。
ヘタレな俺は、今からエイドと新人君に会いに行く。
ずっと怖くて顔を見ることができなかった……同じ診療所にいたのに。
「でもユウマさんの機転で、村は何度も助けられたんです。土地は売却されてしまいましたけど、何か秘策があるんですよね」
「もちろんです。信頼できそうな協力者も見つかりましたし、俺はやるべきことをやるだけです」
だから俺は旅立つ。
命の泉を探すために。
エイドの未来を、俺の手で変えてみせる……その覚悟は、もう揺るがなかった。
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