第34話 灰色の調査官
男性は暑いのか、羽織っていた黒のロングコートを手に持ったまま、ハンカチで額の汗をしきりに拭っている。
無造作ヘアが特徴のオラロワ支部長とは対照的に、彼の黒髪はきっちりと整髪料でなでつけられていた。
はっきりとした目鼻立ちに、わずかに寄せられた眉。
整った装いと、動きに無駄のない所作……それだけなのに、どこか威圧感があった。
視線が合うだけで背筋が伸びるような気がして、俺は思わず座り直す仕草まで意識してしまう。
別にやましいことはないのに……なんで緊張してるんだ?
彼は当たり前のように、一直線にコート掛けへ向かって、シワにならないよう慎重にハンガーに掛け始めた。
地図と鞄を手にしてこっちへ足早に歩いてきた彼は、鞄が倒れないように気を付けながら、空いているソファの端にそっと置く。
自分なりに納得がいったのか、小さく頷くと数枚の書類を手際よく取り出し始めた。
この人が、「灰印課」の調査官か。
神経質そうだし、うっかり余計なことを言えば、この世界の人間じゃないって一瞬で見抜かれそうだ。
そんな思いが背筋を伝って、息を潜めるように静かに彼の動きをじっと見守った。
「キレアーノ、やっと到着したか。いい加減ギルドの場所ぐらい覚えろって……それで、今日はどっちに行ってたんだ?」
き、きれあーの……珍しい名前だけど、彼に似合ってるな。
「ふん……ここの場所くらい覚えている。噴水から左、左、右、左――私の記憶に間違いはない。今日は、地図を逆に見て街に入ったせいで、到着するまでに42分ほどかかっただけだ」
その地図は……さっき手に持ってたやつだよな。
ふと隣を見ると、メイやアトーリオさんも、目の前で繰り広げられるふたりのやり取りに、戸惑いながら視線を泳がせているのが分かる。
「……な? 面白いだろ? こいつ、方向音痴なんだぜ」
オラロワ支部長は俺たちの方へ少し顔を寄せると、イタズラ好きな子供のようにコソコソと話しかけてくる。
面白いっていうよりは、まるで竜と虎がぶつかり合ってるみたいで、見てるこっちはハラハラしっぱなしだ。
キレアーノさんはそんなことは気にもせず、眉間にシワを寄せて目を細めると、一度地図を大きく広げる。
どうやら折り目を確認していたみたいで、しばらくじっと眺めた後、今度はその線に沿って丁寧に折りたたみ始めた。
本当に几帳面な人だってよく分かるな……でも俺もやっちゃうかも。
「このギルドの部屋の扉はどれも同じで判別がつきにくく、不親切だと思わないのか、オラロワ。案内板を設置するなど、訪問者の視点に立った対策を講じるべきだろう?」
「あのなぁ……ここで迷うのはお前だけだろうが。そもそも部屋ごとに扉が違ってたら、おかしいだろ。それに、そう簡単にギルドから金は出せねぇんだ」
「では、国に補助金を申請すれば済む話だろう」
……方向音痴の調査官、キレアーノさん。
堅そうな職業だからなのか、元々の性格なのか……その言い分は筋が通っているようで、なかなかにワガママだった。
でも彼が国に申請すれば、理屈を積み上げて本当にお金を引っ張ってきそうだけど。
俺が授かったスキルとは少し系統が違う、理屈で押し切るタイプだ。
「ああ……これは失礼。せっかく来てもらったのに、お待たせした」
彼が握手のために素早く差し出した手は、少し白くて指が長かった。
でもそこは男性らしく骨ばっていて、握り返せば硬さが伝わってきそうなごつごつ感がある。
「……いえ、大丈夫です」
正直、ふたりのやり取りを見ていたせいで、上手く返す言葉が浮かばなかった。
彼らに主導権を譲る形にはなったけど、特に嫌な気分でもない。
「そうですか、それは良かった。私は、キレアーノ・エニー・ギルマップ。中央監察局所属の調査官です」
オラロワ支部長もそうなんだけど、思わずツッコミたくなる名前が続くな……。
「ユウマと申します。よろしくお願いします」
俺たちが自己紹介すると、彼はすぐに覚えたようで、早くもその優秀さを垣間見せる。
さっきの会話もそうだったけど、その名前にふさわしく、反応も記憶も妙に鋭い。
それぞれ1枚ずつ彼から受け取った名刺は、少し厚めのつるりとした質感の紙に、淡い灰色の文字が浮かんでいた。
「これ、『かいんか』……って読むんですよね?」
メイが覚えたての名前を口に出すと、キレアーノ調査官の眉間のシワは少しだけ解ける。
「これは、よくご存じで。たまに『はいじるし』と呼ばれることもあります。主に、違法薬物や危険物の調査を専門としています」
褒められて嬉しかったのか、彼女は少し頬を赤らめて、照れたように微笑む。
「私たち、さっき支部長さんに教えてもらったんです」
「ああ、そうでしたか。ぜひ灰印課と覚えていただければ、我々としても日々の努力が報われる思いです」
このふたりを俺は信じてもいいんだろうか……。
あの契約を白紙に戻すために、また誰かが傷つけられるのか?
今、俺がやってることは、本当に正しいんだろうか。
投げ出す気なんて少しもないけど、グレオルドさんの手紙には「機会を待て」とあった。
俺にできるのは身の潔白を証明して、力を蓄えること……それが正解なんだろうか。
手紙を送っても大丈夫かな……グレオルドさん、会いに行きたい。
今すぐ、あなたと話がしたいです。
「……ユウマさん、ユウマさん? 聞いてますか?」
「えっ!? あ……すみません、少しぼんやりしてました」
俺の様子を一瞥したキレアーノ調査官は、手元の書類の束をパラパラと捲りながら、漆黒のペンをすっと走らせる。
その動きは滑らかで、長い指の白さと相まって、思わず見とれるほどだった。
ふと顔を上げた彼と視線が真正面からぶつかって、俺は慌てて目を逸らす。
鋭く冷静な眼差しに、言葉にしなくても心の奥まで見透かされそうで――首の後ろに、ぞわりとした感覚がへばりついた。
「……それではユウマさん。あの薬草をどうやって手に入れたのか、ゆっくりで構いませんから教えてもらえますか?」
彼の視線とは違い、キレアーノ調査官の声は穏やかで、まるで子供に話しかけるみたいに優しかった。
「は、はい……あれは、私が受けた一番最初の依頼でした」
◆
「なるほど……詳細は理解しましたので、こちらで引き続き調査いたします。ご協力ありがとうございました」
「は……はい、お忙しいところありがとうございました」
ソファに座ったまま窓の外を見ると、すでに太陽は高く昇っていて、日差しが部屋の中の空気をゆっくりと暖めていた。
キレアーノ調査官との話に夢中になっていて、かなり時間が過ぎていることに、まったく気付かなかった。
この人は、何をどこまで把握してるんだろうか?
今回の件にサディロスが絡んでる証拠は無いけど、その可能性には辿り着いているのかな。
しかも麻薬なんて……全てを彼に話すべきか、このまま黙って時を待つか。
チラリとオラロワ支部長の方を窺うと、彼はソファの背もたれに身体を預けて、眠っているかのように目を閉じていた。
寝てんのかな……その方が俺には都合がいいけど。
不安が拭えないまま、俺はじっとキレアーノ調査官を見つめ続けていた。
「あの……その薬草から作られた薬って、今は回収されているんですよね?」
となりで静かに成り行きを見守っていたアトーリオさんが、不安げに口を開く。
「それなんですが……まだ全てというわけではないんですよ。もし発見しましたら、回収にご協力を」
そっか……たしかに、回収自体に気が付かない人もいるだろうしな。
「しかし、冒険者の方々が競うように採取されていったおかげと言いますか、現在は生息場所には見当たらないようです。暖かくならないと生えてこないそうですし、しばらくは安心でしょう」
少し心苦しいけど、この件に関して俺に罪がないことは確定だろう。
やっと終わったんだよな?
ふうと小さく息を吐き出すと、その期待を打ち砕くように、低くかすれたオラロワ支部長の声が俺の耳に届いた。
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