第30話 売られた村
ベッド脇の椅子に座っているメイは、髪を手ぐしで丁寧に結い直しつつ、俺にどう話せばいいか考え込んでいるようだった。
瞼はさっきたくさん泣いたせいか、まだ少し腫れぼったい。
それでも、わずかな希望に縋ろうとする諦めの悪い俺を見ているうちに、彼女の涙はもう止まっていた。
「あるにはあるけど……伝説みたいな、嘘か本当か分からないものよ? 私たち回復魔法士の間では、信じてる人はいないわ」
「それでもいい、教えてくれ」
メイは俺の押しに負けたように諦めた様子で、小さくため息をついた。
「仕方ないわね……ここから北へ向かうと、最果ての村っていう場所があるの。そこよりもっと北に、命の泉が湧く森があるんですって」
「命の泉……か」
「うん、その湧き水を飲むと、治せなかった怪我が良くなるって聞いたことがあるわ」
魔法が当たり前に存在するこの世界だ……当然、そんな逸話があってもおかしくはない。
「でも、私の知ってる限りだけど、誰もその泉を見たことがないの。近くまでは行けるそうなんだけど、しばらく歩いたら森の入り口に戻されるらしいわよ」
「へぇ……魔法か結界か、泉自体を守るために封印が施されてるのかもしれないな」
「ケッカイって何よ……?」
「結界って言うのはな、俺が暮らしていた場所の言葉なんだけど……まぁ、今度詳しく説明するよ」
俺の説明を聞く気でいた彼女に不満そうな顔をされたけど、適当に笑って誤魔化した。
今はエイドの怪我の方が優先だから。
それにしても封印か……ファンタジーの世界じゃ、よくある設定だよな。
俺の現代人としての知識が役に立てばいいんだけど。
「本当に行くつもりなの、ユウマ?」
「ん……? ああ、もちろん行くよ」
メイは俺の返事を聞くと、眉間にシワを寄せ、なぜかまた泣きそうな顔をする。
ほんの一瞬表情が揺らいで、瞳が水を含んだように潤んだ。
もう行く前提で考え始めている俺をじっと見つめていた彼女は、拗ねたようにプイとそっぽを向いた。
「あれ? どうした、メイ……?」
「……なんでもない」
俺、何か気に障るようなことでも言ったかな……?
「言ってくれなきゃ分かんないよ……」
「……だって」
俺を憎らしそうに睨み付ける彼女の瞳は、また大量の涙を溜め始め、一度堰を切ると、またポロポロと零れだした。
「メイ……大丈夫か?」
「だって……だって、危ないかもしれないじゃない! ユウマまでいなくなっちゃったら、私、どうしたらいいの――」
子供みたいに泣きじゃくる彼女は、なんだかとても小さく見えた。
元気で少しちゃっかりしたメイの意外な一面を知ってしまった気がして、そこまで悲しませた自分たちの浅はかさに、心から申し訳なく感じていた。
「メイ……本当に悪かったよ。俺が必ずエイドを元に戻してみせるから」
俺は彼女の涙が乾くまで、ずっと頭を撫で続けた。
だけど彼女の震えを指先に感じながらも、胸の奥の答えはもう決まっていた。
ごめんな、メイ……やっぱり俺は諦めきれないよ。
コンコン――。
しばらくすると、病室の扉を軽くノックする甲高い音が、静かになった部屋に響いた。
「ユウマさん……入ってもいいですか?」
「アトーリオさん? はい、どうぞ」
小さな花束と鞄を抱えた彼は、メイの姿を見つけると、一瞬だけ気まずそうに目を逸らす。
「わざわざ来てくれたんですか? ありがとうございます」
「ええ……ユウマさんが大怪我したってギルドで聞いたんです」
また、彼がどこかに隠した指輪の場所が分からなくなったのかな……セリナ村へ行く直前も、それで依頼に来てたし。
「立ったままじゃゆっくり話せませんから……」
「あの、でも……」
病室の椅子に座るよう勧めると、アトーリオさんは最初こそ遠慮していた。
俺も話したいことがあったし、何度か促すうちに観念したのか、ようやくメイの隣に腰を下ろす。
座り心地が悪いのか、アトーリオさんは小さな椅子に体を無理やり収めるようにして、しばらく落ち着きなく身じろぎしていた。
ようやくしっくりくる姿勢を見つけると、彼は持参した鞄から一通の手紙を取り出した。
「これ……グレオルドさんから、ユウマさんにです」
「えっ!? アトーリオさん、あれからまたセリナ村へ戻ったんですか?」
「……いいえ。これは、早馬で届いたんです。あなたに直接渡すようにって」
早馬でって……到着まで2、3日はかかるはずだけど。
「今日って何日だったっけ?」
「ユウマさん……私たちがセリナ村からこの街へ帰って来てから、もう10日以上経ってます」
「と……10日!? いや、冗談ですよね?」
アトーリオさんは悲しそうに目を伏せると、黙ったまま静かに首を横に振る。
その隣で少しだけ俯いて唇を噛み締めるメイの様子を見れば、ふたりが本当のことを言ってるのは疑いようがなかった。
じゃあ、俺は……そんなに長い間、意識不明だったってことか。
「……とりあえず、この手紙を読んでみてください」
アトーリオさんから受け取った手紙を震える手でそっと開くと、読みやすい整った文字が目に入る。
――拝啓
ユウマさん、貴方は今どうしているだろうか。
無事でいてくれることを、ただ静かに祈っている。
私は先日、何者かから襲撃を受けてしまった。
詳しいことはここでは話せないが、今は床から離れられず、こうして手伝ってもらいながら筆を取っている。
だが、この文を送らねばならない理由がある。
セリナ村の土地が、息子ラオスの手によって、サディロスへと売却されてしまったからだ。
村の合意もなく、一方的に――まるで、我らの存在など初めからなかったかのように。
貴方がこの知らせに、どれほど憤るかは想像に難くない。
だが、どうか今は安易に動かず、じっと時を待ってほしい。
焦燥にかられて進めば、見落とすものも増えるだろう。
ユウマさんの誠実さと、胸に抱く熱を私は信じている。
その力が、正しく届く日が必ず来るはずだ。
貴方の選ぶ道が、誰かを傷つけぬように――。
それだけを、私は願っている。
敬具
グレオルド・ヘルダイン――
「は……えっ!? 売却!? どういうことですか、アトーリオさん!」
俺は今にも身を乗り出しそうな勢いで、彼の腕をぎゅっと掴んだ。
「落ち着きなさいよ、ユウマ!」
「そうですよ、ユウマさん。ちゃんとお話しますから」
ふたりがかりで押さえられながら、激しい動悸と荒い呼吸に襲われた俺は、ズキズキとした頭の痛みに顔をしかめた。
「グッ……頭が割れそうに痛い」
「ユウマ、少しお水飲んで。ちゃんと息をするのよ?」
俺は、差し出されたコップの水を一息に飲み干した。
でも、それだけでは足りないほど喉の奥はカラカラで、それでも水を求める余裕すらないほど、気持ちは高ぶっていた。
「……じっとしてなさいよ?」
メイが俺の頭上にかざした手から放たれる温かな光が、ゆっくりと全身に染み渡っていくのを感じる。
その癒しの光が少しずつ痛みを和らげていくと、俺は震える指先で額の汗をぬぐった。
気がつけばアトーリオさんもメイも、心配そうに俺の様子を見守っていた。
「……ごめん。少し、取り乱した」
俺の言葉に安心したらしいメイは、また小さな椅子に座り直す。
彼女の隣に座るアトーリオさんは、静かに語り始めた。
「……すべてお話ししますから、落ち着いて最後まで聞いてください」
◆
「……じゃあ、売却の手続きをしたのって、本当にラオスさんなんですか?」
「ええ、代表者はすべて彼の名前で署名されていました。村は抗議するかどうか、住民の意見が真っ二つに分かれて、今は話し合いの途中だそうです」
抗議か……民間の売買だと裁判にまでなるんじゃないか?
「……正直、私も信じられませんでした。でも登記局に確認を取ったら、署名済みの売買契約書が提出されていたんです」
サディロスの動きが早すぎる……厄介だな。
アトーリオさんが鞄から取り出した少し大きめの封筒の中には、数枚の書類が入っていた。
「この書類……街にある行政局で照会してきたんです。記録には、土地の所有者の名義変更がすでに終わっています」
差し出された書類を手に取って見ると、登記局という文字が書かれていた。
「メイ……悪いんだけど、花を花瓶に生けたいんだ。水をもらってきてもらえないか?」
「え……ええ、いいけど」
近くにあったカップを手に取って、彼女に差し出す。
メイはじっと俺の顔を見つめていたけど、すぐに察したのか小さく頷いた。
「じゃあ、行ってくる……アトーリオさん、ゆっくりしてってくださいね?」
彼女が病室を出ると、部屋はまた張り詰めた静けさだけが残った。
アトーリオさんは椅子をベッドに近づけ、俺の方へ顔を寄せてきた。
「ユウマさん……」
「メイを巻き込みたくないんですよ……万が一ってこともありますから」
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