第29話 明日を取り戻すために
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
俺はもう一度、大声を出そうと深く息を吸い込んだ。
「う……ここです、ユウマさん」
「新人君!? ど、どこだ……」
耳にそっと手を当てて、かすかに届く声を頼りに、目を閉じて全神経を集中させる。
「ユウマさん、あちらに」
「えっ……え? いつの間に登ったんだ?」
ネリオが指差したのは、魔鼠の群れが襲ってきたとき、エイドが新人君を抱えて持ち上げようとした場所だった。
彼はぐったりと横たわっていて、俺と目が合うと、まだ生きているとでも言いたげに薄く笑って、弱々しく片手を上げた。
良かった、無事だった……。
俺は力を振り絞って壁を登り切り、倒れたままの新人君の側にひざまずく。
自分の手で確実に、彼の無事を確かめたかった。
震える指先でそっと彼の口元に触れると、微かに感じる吐息がそこにあった。
ちゃんと息をしてる――それだけのことが嬉しくて、涙が出そうになる。
「……よかった、生きてた」
俺は目を閉じて大きく息を吐き、隣で覗き込んでいたネリオと視線を交わして、独り言のように呟いた。
肩の力が抜けるのと同時に身体中から力が抜けて、その場にへたり込んだ。
「あの……すみません。動けないんです」
「まったく……心配させるなよな?」
新人君の肩を軽くつついて、ふたりで力なく笑いあった。
「ユウマさん、彼もエイドさんの所へ運んでしまって、傷の手当をしましょう」
「あ、そうですね……新人君、まだ動けるか?」
彼は一度だけうなずくと、俺たちの助けを借りながら、まだ震える身体をゆっくりと起こす。
周囲を不安そうに見渡して、魔鼠がいないか確認する彼に、ネリオは優しく微笑んだ。
エイドは半分気を失いかけていたけど、俺たちの姿を見つけると、腫れ上がった顔でニヤリと笑った。
「おふたりとも、ありがとうございます……あの、こちらの方は?」
「ああ、彼はネリオさんだ。危ないところを助けてくれたんだよ」
俺の口から出る言葉は安堵と疲労が入り混じって、自分でも驚くほど弱々しかった。
震える声で説明してやると、新人君のまぶたがゆっくり瞬きした。
「……エイドさんもありがとうございました。あなたがあの時、俺を投げ飛ばしてくれたから、何とか生き延びられたんです。でも俺のせいで、魔獣にやられてそんなに顔が腫れるなんて……」
新人君は目に涙をいっぱい溜めて、今にも泣き出しそうだ。
そうか……あの一瞬でエイドは、新人君を群れの外へ押し出していたのか。
でもエイドの顔の腫れは……たぶん、顔から地面に倒れ込んだからじゃないかな。
だけどここで言うのは止めとこう。
「3人とも生きてるだけで十分だ。ほんとに……よかった」
俺は3人のリュックから包帯や水を全て取り出して、応急処置をしながら、同じ言葉を何度も繰り返していた。
今、ふたりの手当に必要な知識を少しでも持っているのは、おそらく俺だけだ。
それでも、このやり方で本当に合っているのか分からなくて、知識だけしかない自分がもどかしかった。
不安に揺れながら、この場にメイがいてくれたらと、どれだけ願ったか分からない。
必死に手当をするなか、ふと思い付いて顔を上げた。
「そ、そうだ……ネリオさんのあの魔法。あんなにすごいんだから、回復もできたりしませんか?」
縋るような気持ちで彼に問いかけると、ネリオは困ったような顔をする。
「すみません、私は魔術師であって、治癒の奇跡を行える者ではないのです。回復の力は、私のものとは相反します」
「そうなんですか……じゃあ、早めにふたりを連れて帰らないといけないな」
この世界の魔法にも、やっぱり系統があるのか……確かにメイの回復魔法は白っぽかったし、ネリオは赤だった。
ぼんやりとし始めた頭をフル回転させて、この先どうするべきか考えていた。
まずは、ふたりを外に運び出して……いや、それより助けを呼びに行った方が早いか?
「ユウマさん、座ってください。あなたも顔色が悪いですよ?」
「……だ、大丈夫です。俺は、大丈……うっ!」
言いかけた瞬間、視界が真っ白になって、パチパチと火花が飛ぶ。
頭の奥がズキンと痛んで、バランスを崩しそうになった。
「……ユウマさん、私が支えますから」
眩しさで片目が開けられなくなって、それでも何とか見上げると、ネリオがすぐ横で俺の肩を抱きかかえてくれていた。
「彼らを安全な場所へ運びますから、ユウマさんは、そのまま無理をしないでください」
「……あぁ、ありがとう。おねが……い、します」
声ってこんなに出しにくかったっけ……喉の奥からやっと絞り出した俺の声はかすれていた。
眠ったらマズい気がして必死に意識をつなぎとめようとしたけど、いつの間にか記憶が途切れて、次に気がついた時には、どこかの白い天井と柔らかなベッドの上だった。
「え……あれ? どこだ、ここ」
「ユウマ、目が覚めた?」
慌てて起き上がると、ベッドの横にはやけに青白い顔色のメイが、小さな椅子に腰掛けてじっと俺を見つめていた。
「あれ……メイ? 俺、どうしたんだ……」
「……覚えてないの?」
ぼうっとする頭で、目の前の白い壁の模様を眺めながら、さっきあったことをゆっくりと思い出す。
新人君を救助して……ふたりに手当をしたんだよな、たしか。
「あ……エイドは? ふたりとも無事だったのか?」
「心配しないで。この治療院の別の部屋にいるわ」
「そうか……良かった。ネリオさんが運んでくれた……んだよな?」
いつもなら元気に笑ってくれる彼女は、こくりとうなずいただけで、俺たちが無事だったというのにニコリともしなかった。
「メ、メイ……どうかした?」
俺をじっと見つめる彼女の大きな瞳は、今にも涙が溢れそうなほど潤んでいる。
「なぁ……メイ。大丈夫か?」
「うぅっ……エイドが、エイドが」
何かあったんだ――!
胸を叩く鼓動がはっきり分かるほど早くなり、呼吸は息苦しいほど浅くなる。
「メイ……メイ。落ち着いてくれ……頼むから」
震える手で、ベッドに突っ伏して泣きじゃくる彼女の髪に、そっと触れた。
いつもは綺麗に梳かしてある髪は少しだけ乱れていて、几帳面なメイにしては珍しいことだった。
俺たちが怪我をしたせいで、それどころじゃなかったんだろう。
どれだけ心配させたのか……特にエイドみたいな冒険者は、常に死と隣り合わせだ。
自分の知らないうちに仲間が大怪我をしたと聞かされたら、彼女のような優しい人なら、動揺して泣き出しても不思議じゃない。
俺はエイドの背中や肩に残る傷跡を思い出していた。
回復魔法士が治療したとしても、本当に完全に治せたのだろうか……。
「ごめんな、メイ……ごめんな」
「ユウマ……!?」
何度も謝罪を繰り返す俺の声が、小さく震えていることに気付いた彼女は、驚いたように顔を上げる。
「エイドのこと……教えてくれるか?」
目元の涙をそっと拭うと、メイは俺の手を握ったまま、言葉を探すようにゆっくりと話し出した。
俯いたままの彼女の声は震えていて、少しずつ言葉が紡がれていく。
「……エイドの背中の傷は綺麗に治ったわ。ユウマもあの子も同じ。でも、彼の肩の傷だけはどうしても間に合わなかったの」
途切れ途切れのメイの言葉に、俺の胸は一気にざわめいた。
「これから長い時間をかけて、治療を続けていかなきゃいけないの……それでも、前みたいには動かせないかもしれないって」
「じゃあ、もう冒険者としては……」
メイは目を閉じ、祈るようにそっと指を組むと、小さく頷いた。
「ええ……本人はパン屋になりたかったから、ちょうどいいって笑ってたわ。でもね……みんなが去った後の扉の隙間から、すごく悲しそうな彼を見たの」
ああ……想像できる。
真っ白なベッドの端に腰掛けて、あいつが諦めたように、力の抜けた目で窓の外をぼんやり眺めている姿を。
パンを焼けるのが凄い、って言った俺に向けた嬉しそうな顔。
どんなに絶望的な場面でも諦めを知らない、熱のこもった目。
全部思い出すたびに胸が締めつけられて、俺はベッドの上でキツく拳を握りしめた。
「メイ、他に治す方法はないのか? 何でもいい、知ってたら教えてくれ」
「え……? そうね……今ある治療方法では無理でしょうね」
「今あるってことは、他にも何かあるんだな?」
諦めてたまるか……!
焦りと願いを込めて彼女に問いかける俺を見て、メイの表情も真剣なものへと変化していった。
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