第28話 白銀のヒーロー、再臨
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「クッ……」
しばらく魔狼とにらみ合ったあと、俺はつまずいて転ばないように、少しずつ慎重に後ずさる。
逃げ切れるか分からない……でも、こんな場所でくたばってたまるかよ。
踵に当たった小石がカツンと音を立てたのを合図に、魔狼は一斉に走り出して俺に飛びかかった。
「ユウマ!」
目の前がふっと暗くなる。
それがエイドの身体だって気づいたのは、彼から香ばしいパンの匂いが漂ってきたからだ。
「グッ……くっそ、痛ぇな」
「……エイド? エイド! お前、離せ!」
必死でもがく俺を、彼はキツく抱き込んだまま、微動だにしない。
彼の背中から聞こえてくる唸り声で、そこで何が起こっているのか想像して息が止まる。
「離せって、エイド!」
めちゃくちゃに暴れると、小さなうめき声と共に、彼の締め付ける力が弱まった。
エイドを突き飛ばした俺の目に飛び込んできたのは、真っ赤に染まった彼の背中と、魔狼の爪で深く抉られた肩。
「――ば、かやろう……が」
そう呟いたエイドの口元は血にまみれているのに、彼は口角をわずかに歪めて笑う。
さっき、魔鼠の群れに巻き込まれたときに、口の中も切ったのか?
絶句して動けずにいる俺を、少しでも安心させようとしたんだろう。
だけど、エイドが笑う口の端から血がたらりと流れ出て、逆にそれが俺の恐怖を容赦なく掻き立てた。
「……エ、エイド。お前、血が――うわっ!」
横から飛び込んできた魔狼に押し倒され、俺は背中と右の側頭部を強く岩に打ちつけた。
痛いなんて言ってられない……今、この魔獣を押さえている腕の力を少しでも抜けば、あっという間に俺はコイツらの餌食になってしまうだろう。
「……うぅっ!」
必死に俺へ噛みつこうとする魔狼の牙は、刃こぼれした包丁みたいに所々欠けていて、見た目からして不衛生だった。
「一度も歯磨きしたことないだろ、お前! 近寄んな!」
噛まれてたまるもんか――。
変な病気でももらったら、命に関わるかもしれない。
俺は装備していた頑丈な左腕用の防具を、無理やり魔狼の口に押し込んでグイグイ奥へとねじ込む。
「ダメだ、力が強すぎる――!」
今にも噛み砕かれそうな顎の圧力に、気づいたら右手の拳で魔狼のこめかみと鼻先を、めちゃくちゃにぶん殴っていた。
くそっ、さっきぶつけた所が熱い――もしかして、岩で切ったか?
出血多量で死ぬかも……そんな考えが頭をよぎると、身体の熱が一気に高まる。
そこからはまるでブーストがかかったように、次々と魔狼に向けて拳をぶつけた。
何度も鼻先を殴られたからか、魔狼は俺の腕から口を離し、ギラついた目で悔しそうに低く唸ってくる。
「はぁっ……はぁっ!」
息を切らす俺の視界の端にちらりと映ったのは、あれほどの重傷を負いながらも、拳で魔狼を次々となぎ倒すエイドだった。
「諦めてんじゃねぇよ、ユウマ」
「……んなわけあるか」
俺がもっと強かったら……エイドにここまでの怪我はさせなかった。
いつも後ろにいろって言われて、そのまま突っ立ってた俺は……ずっとふたりに庇われてばかりで、何もしてこなかった。
そのツケが今ここで回ってきてるんだ――。
「……このまま、やられてたまるかよ」
もういい、かかってこい……どんなに無様でも、生き延びてやる。
俺は深く傷つき、意識がもうろうとしているエイドの肩を支える。
手にしていた新人君の短剣を鞘から抜くと、その柄を右手で握りしめた。
俺たちを囲むように散らばった魔狼たちは、一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
駆け出し飛びかかってきた先頭の1匹を、エイドが渾身の力で跳ね飛ばした。
応戦はしてる……してるけど、追いつかない。
俺も必死に刃を振るうけど、数が多すぎる……同時に相手にするのは無理だ。
声も出さず片膝をついたエイドは、そのままグラリと地面に顔から倒れ込む。
「――エイドっ!」
俺は魔狼から彼を庇うように、両腕を大きく広げて覆い被さった。
もうダメだ……ごめん、エイド。
ほんと、ごめん。
戦うって決めたのに……なんで俺、こうなんだよ。
ギャウッ――!
ギュッと固く目を閉じた瞬間、苦しそうな鳴き声が辺りに響き渡った。
「おやおや、イタズラはダメですよ?」
「えっ……?」
反射的に顔を上げた俺の視界に飛び込んできたのは、あの穏やかな笑みだった。
白銀のローブをまとったネリオが、そこに立っていた。
その手のひらには、炎が舞い踊るように揺れる真紅の渦が浮かんでいる。
「え……ネ、ネリオさん? どうしてここに……?」
「ユウマさん、それにエイドさんも……おふたりとも血まみれですが、大丈夫ですか?」
いや、この状況見たら分かるだろうよ……。
俺の腕にもたれかかるエイドは、うっすらと片目を開けて彼を見上げる。
「ぐっ、ネリオ、お前なんで……」
「エイドさんの背中、すごいですね……傷跡が服の柄と混ざって、そういう模様かと思ってしまいました」
「お、前……馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ」
「エイド、今は喋るな」
ネリオはふっと微笑むと、ちらりと魔狼に視線を送る。
その横顔は無表情で、静かに怒っているようにも見えるし、冷めているようにも見えた。
「おふたりはそのまま動かないでください。ふむ……このくらいなら螺旋焼却式で十分でしょうか」
相変わらず飄々とした態度の彼が小さく何かを呟くと、手のひらの真紅の渦はゴルフボールほどの大きさまで縮んだ。
今のは何語なんだ……独特な発音で、俺には聞き覚えのない言葉だった。
世界中の言語を全部知っているわけじゃないけど、人間の言葉とは違う……まるで呪文のような不思議な響きだ。
ネリオが軽く息を吹きかけると、真っ赤な渦は魔狼へ向かって、猛スピードで飛んでいく。
一瞬の静けさの後、派手な爆発音が鳴り響いて、魔獣たちは豆粒のように四方八方へ勢いよく吹き飛ばされた。
子供のときに映画館の売店で見た、ポンポンと跳ね回るポップコーンみたいに。
「嘘だろ……こんな簡単に。一撃で魔狼が、あんなふうになるなんて……」
俺たちは、あんなに必死に戦ってこのザマだって言うのに。
以前会った時もそうだったけど、彼の底知れぬ実力をまざまざと見せつけられる。
ヤバい人だと思っていたけど、実際はもっとヤバい人だった。
チートとか、そんなもんじゃないだろ……もしかして、レベルカンストとか?
「……ユウマ。お前の顔が二重に見えるんだが……いや、三重かも」
「エイド、大丈夫じゃないだろ……それ」
彼をゆっくりと地面に横たえ、傷ついた背中に持参した小さなタオルをそっと当てて押さえた。
「あだだだ! 痛ぇよ!」
「いいから、黙ってろ!」
確かこれで良かったよな、血を止めるのって。
くそ、頭が回らない……あとは、何するんだっけ?
「み、水だ……綺麗な水! でも先にエイドを運んだ方がいいのか!?」
「落ち着いてください、ユウマさん。彼は生きていますよ?」
「今は回復ができるメイがいないんです。それに新人君……彼を探さないと」
俺はヨロヨロと立ち上がって、魔鼠の群れが通り過ぎた痕跡の残る方へ向かった。
出せる限りの大声で、声が枯れそうなほど、新人君の名前を何度も呼び続ける。
「おーい、新人君! 返事をしてくれ……ゲホッゲホッ」
頭がクラクラしてきた……俺も、そろそろ笑えないレベルで危険かもしれない。
右手で頭を押さえながら周囲をくまなく探すけど、新人君の姿は見当たらない。
ネリオも一緒に手伝ってくれてはいるが、やっぱりどこにもいなかった。
「ネリオさん、見つかりました……?」
「こちらにはいないようですね」
彼は、一体どこへ行ったんだ。
頼む、無事でいてくれ……俺が倒れる前に絶対に見つけなきゃ。
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