第23話 異臭の狼煙《のろし》
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「……これだ、これがあればいける。味見はしてないけど、あの味を……再現できるはず」
俺は自分の鼻を頼りに、少しずつ材料を選んでいく。
「ち、ちょっと、ユウマくん!? アンタ何やってんの……!? 倉庫の中で四つん這いになって匂い嗅いでる人、初めて見たわ」
空き倉庫の一角に急きょ作ってもらった作業場から、なかなか戻って来ない俺の様子を見に来た村の女性が、呆れたように笑いながら駆け寄ってくる。
たまたま見回りをしていたグレオルドさんは、こっちに背中を向けて肩を震わせていた。
「いいんです、嗅覚が頼りなんですから。あ……これもいけそうですね」
「なんか楽しそうだねえ、アンタ」
子供みたいに夢中になっていた自覚があって、俺は思わず照れ隠しのように苦笑いをして誤魔化す。
ここに来る前に、村一番の野生動物に詳しい老人から知恵を借りようということになって、数人で彼の家へ押しかけていた。
「クマは特定の果実や匂いに弱いぞ」と教えてもらって、まるで獣の宴でも開くかのような環境を、ダムの周囲に作ることになった。
そうして俺は今、自分の鼻を頼りに、材料を探しにこの倉庫の中にいる。
この倉庫は普段ほとんど使われておらず、行商人が来なくなったことで廃棄するしかなくなった食材がたくさん置かれている。
案内役の村人が倉庫の重い扉を開けた瞬間から、香ばしい穀物と古びた木の匂いが鼻をついていた。
「これって、畑の肥やしにできないんですかね?」
「そりゃ、そうしたいのはやまやまだが、そもそも水不足で作物が育てられないんだよ」
村の男性に問い掛けると、彼は両手に持った食材を一瞬落としそうになる。
収穫しても一度に消費もできないし、よそに売れないなら、結局腐らせてしまう物も出てくるらしい。
中には小麦粉、傷んで干からびかけている魚、獣の肉、強い匂いのする薬草――バルドと出会った時に使ったものと近い素材がいくつか見つかった。
これから、選ばれた村の精鋭たちで集まって、クマのオヤツ作りに入る。
「これで本当に大丈夫なのかねぇ……?」
隣で食材の説明をしてくれていた村の女性は、不安げに首を傾げる。
「大事なのは匂いです。いや、正確には異臭ですけど。強烈に臭ければそれでよし……きっと飛びつきますから」
「そうかい? まぁ、アンタが言うんならそうなんだろうねぇ」
真顔で話す俺を横目に、彼女は呆れたように笑って、後ろでずっと見守っていたグレオルドさんは吹き出した。
俺、これでも結構真面目にやってるんだけどな……。
目を閉じ、倉庫の中に満ちる匂いに神経を集中させていると、意識が自然と深く沈んでいく。
そしてあの日、バルドが荒ぶった時に食べさせたあの強烈な匂いが、記憶の底からふっと立ち上がってきた。
これだ……あの匂いと、そっくりじゃないか。
「……これでクマを引きつけられる」
ひとつ、またひとつと素材を手に取るたび、胸の奥で小さな確信が積み重なっていく。
これで本当に呼べるのか……そんな迷いは、匂いを確かめるたびに薄れていった。
この匂いなら……クマの嗅覚に届くはず。
そう思えた瞬間、背中を押されたような気がした。
夢中で匂いを確かめていると、周りの村人のざわつきが、いつしか興味に変わっていくのが分かった。
「大丈夫なのか……ユウマさん、様子がおかしいけど」
誰かの小さな声が聞こえたけど、俺は気にせず素材を抱えて立ち上がる。
きっと心配じゃなくて、期待してくれてるんだと思うことにした。
「皆さん、心配には及びません。この材料で必ず完成させてみせますから」
調理の準備をお願いしていた厨房の方から、熱した油の匂いが漂ってきて、ふわりと鼻をくすぐる。
――よし、あとはこれを調理するだけだ。
そう思った瞬間、心のどこかがふっと軽くなって、俺は少し急ぎ足で厨房へと向かった。
◆
「……くっさ!」
厨房に設置された大鍋の中へ、俺が持って来た薬草を最後に放り込むと、肉と薬草を煮込む生暖かい匂いが立ち上る。
くどいほど強烈なその香りに、誰もが顔をしかめた。
「これ、本当に寄ってくるのかねぇ……」
「逆に逃げたりしてな?」
あまりの臭さに、周囲から冗談交じりの声と苦笑が漏れる。
俺は一度経験してるから平気だと思ったけど、今回のはなかなか手強い。
「う゛っ……かなりキツいですね、これは」
鼻をつまみながら黙々と鍋の中をかき回して、材料の割合と火加減を調整していった。
粘度の感触を確かめるたびに、少しずつ手応えが増していく。
「ぶはっ……ゲホゲホ。こ、この粘り気が重要なんです。地面に撒いた時に風で飛ばず、雨でも流れにくいように――ゴホッ」
咳き込みながら説明し始めると、村人のひとりが鼻をつまんだまま、濁点だらけの声でからかってくる。
「ざっきから細かいな、アンタ。まるで……そのへんの料理人より、ずっと熱心じゃないか?」
ブハハハって、みんな鼻をつまんでるから、へんな笑い声が厨房に響き渡る。
俺もつられて口元が自然と緩んだのは、きっとその言葉を褒め言葉として受け取ったからだ。
「ぶぶぶ……だってこれは、クマを味方に付けるための、最重要兵器ですからね」
兵器って言葉に村人たちは不思議そうな顔をしていたけど、何となく意味は伝わってるはずだ。
にやりと笑い返すと、周囲から「なるぼどなぁ」と笑いが漏れる。
誰の声もやたらと濁点が増えて聞こえるから、ハンカチで口元を押さえながら見守っているグレオルドさんもずっと肩を震わせっぱなしだ。
「……気になっておったのじゃが、なぜイノシシ用も作るんじゃ? あそこにいるのはクマじゃろ?」
そう問いかけたのは、鍋の匂いに耐えながらも、離れた場所から真剣に様子を見守っていた年配の男性だった。
鍋から立ち上る湯気のかなり向こうから、彼はずっとこっちを見つめていた。
「たしかにクマだけでもかなりの脅威ですけど、あの辺りにイノシシの足跡があったんですよ。しかも複数いるようでした」
息苦しさを感じて鍋から離れつつ答えると、村人たちは「へぇ……」と感嘆の声を漏らした。
「……アンタ、よく気が付くんじゃの」
「あ、えっと……えへへ。ありがとうございます」
この年配の男性も納得してくれたようで、少しだけ肩の力が抜ける。
「それに夢に見るほど、イノシシの肉を食べたがっている奴もいるしなぁ」
「そりゃ、俺のことだな」
村人の言葉に思わず視線を向けると、さっきグレオルドさんの部屋で重い空気を吹き飛ばしてくれたあの男性は、胸を張って名乗りを上げた。
吹き出すような声が厨房に広がると、室内の温度が一気に和らいでいく。
鼻をつく匂いは相変わらずなのにみんな笑っていて、俺にとって忘れられない時間となった。
「おーい! うちの畑に腐りかけの芋があったぞ……くっさ!」
扉を開けて入ってきた若い村人は、いったん外に出ると、えずいていた。
「悪ぃ。うちの爺さんが、芋持って行けって言うからよ」
「ありがどうございます。助かります!」
受け取った芋は、程よくグニャグニャしていて、ところどころ柔らかい。
多少の傷みがあったとしても、貴重な食料を差し出してくれた彼らに、頭が下がるばかりだ。
「ごれは、こっちの鍋に入れましょうか」
俺はそう言いながら、彼が手渡してくれた芋を刻んで、そっと鍋に加えてみる。
クマ用は肉が多めで、発酵臭の強いものがいい。
本当はチーズがあれば完璧なんだけど、そううまくはいかないんだよな。
困っていたところへ、村の女性が麦粕を持ってきてくれた。
「これを細かく砕いて、混ぜてみたらどうだい?」
俺も一人暮らしが長かったから、それなりの知識はあるけど、こういう応用はまだまだだ。
思いつかなかったアイデアに素直に感心する。
イノシシ用には、芋や穀物、果物の残りに山菜をブレンド。
ただ、この山菜がくせ者で……とにかく香りが強すぎる。
えぐみっていうのかな、あれがダイレクトに目にくる感じで、ずっと涙が止まらなかった。
「……この臭い、ちょっと調整すれば、もっと濃くなるかもな?」
「こっちの麦粕入れたら、脂の臭いがよく乗るんだよ」
このセリナ村って困窮はしてるけど、みんな誇りを持って生活してると俺は思う。
今回の件で元気をなくしていた村人たちが、最初はドン引きしていたのに、今では次々と食材を持ち寄ってきてくれている。
その姿を見ていると、微笑ましいだけでは済まないものが胸に込み上げてきた。
村のために何か役に立ちたい。
彼らのその思いだけで、知恵や手作りの温かさが生きてくる。
「ユウマくん。これで大丈夫か、確認してみてくれるかい?」
「あ、はい! すぐ行きます」
バルドのときは、ひとりきりの調理だったけど今は違う。
今回は、村全体を巻き込んだ共同作業だ。
エイド、メイ、教会のみんな。
少しずつ、俺と周りとの信頼関係は変わっていってる。
「ここで少しだけ……この干し草を。これでいいはずです」
「ちょっと腐りかけぐらいが、ちょうど良かったみたいだね」
「……まさかクマのためのエサを、皆で作る日が来るとはなぁ」
笑いがこぼれる中、俺たち調理班はついに究極のオヤツを完成させた。
「本当にこんなんで大丈夫か……クマだぞ? 襲われるかもしれん」
当然のことながら、まだ不安を拭えない様子の村人が、完成したオヤツを眺めながら声をあげる。
「……もしもの時はオヤツを投げ付けて、廃坑に逃げ込んでください。新しく扉の内側に鍵を付けてもらってますから」
正直なところ、こんなトンチキな作戦、信じろって言う方が無茶かもしれない。
でも、今は何とか理解してもらうしかない。
当たって砕けろなんて、無責任な真似はできないけど、やれることは全部やる。
「盗賊を追い払いさえすれば、山の獣たちも自然と元の姿に戻ってきます」
「……そうか、そうだよなぁ。まあ、あんたを信じてみるか」
鍋から立ち上る異臭……もうこれは、作戦開始の狼煙だと思うしかなかった。
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