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逆流者の旗  作者: 秋月 爽良


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第22話 ユウマ、オヤツ職人になる

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

「これ……俺が書いた契約書の写しですね?」

「ええ、そうです。印章を押すなら、こちらを使われるかと思いまして」


 マイロさんが朱肉を持ってきて、テーブルの上に置いた。


「ありがとうございます、今から押しますね」


 俺は契約書の原本と見比べながら、位置を確認して写しに印章を押した。

 息を止めて、ズレのないように慎重に──ただ、それだけを考えて。


 俺の両隣に座っている村人たちが書類を押さえてくれていたおかげで、失敗せずに押せたと思う。

 ゆっくりと持ち上げると、綺麗に麦と羽が写されていて、俺は息を吐き出した。


「良かった……最初って緊張しますよね」


 苦笑していると、隣に座っていた村人に腕をいきなり掴まれた。

 驚いて固まっていると、彼はグレオルドさんみたいにニヤリと笑う。


「次は俺の番だ。責任をアンタひとりにおっ被せるのはダメだって、村のみんなで決めたんでな」


 そう言って彼は、俺が作った写しの次のページをめくる。


「え……あ、あの」

「さあさ、どいたどいた」


 俺は座っていたソファから無理矢理立たされて、呆気にとられた。


 グレオルドさんや周りの村人たちの顔を見渡すと、みんな口元を緩めていて、その優しい視線に思わず涙がこぼれそうになる。


「ありがとう……ございます」


 笑い飛ばしながら背中を軽く叩かれて、泣きそうになるのを必死で堪える。

 あたたかい空気が胸の奥にじわりと広がっていった。


 でも泣いてる場合じゃない、彼らのこの優しさを無駄にしたくない。

 今、俺にできることは、知識を総動員してこの人たちを救うことだ。

 

 減っていた井戸の飲み水や畑に回す分は、上流に溜められていた水を坑道側へ逃がすことで、少しずつ戻り始めているし、契約書も対策してある。


 食料は野菜が少しと、小麦の収穫が始まったから何とかなるらしい。


 あとは、なかなか減らせないダムの水のリスクか。

 もっと早く水を抜ければ安心だけど、もし見つかれば今度こそただじゃ済まない気がする。


 俺がギルドを通じて国に報告するまで、現状のままなんとかもたせたい。

 ヤツらをダムに近づけないようにする、いい案はないだろうか。


「……よし、終わったぞ。ユウマさん、確認してくれんか?」

「は、はい!」


 目の前のテーブルに並べられたのは、サディロスが持っていた契約書の原本と、俺が写したもののふたつだ。


 原本には羽と蛇の印章、写しには羽と小麦の印章が同じ位置に押されている。

 よく見なければ気付かないほど、見事な仕上がりだった。


「これは、厳重に保管しておいてください」


 グレオルドさんに契約書の原本を手渡すと、彼は唇を引き結び表情を硬くすると、無言で一度だけ大きくうなずいた。


「……皆さん、本当にありがとうございました。ここから先は、俺の役目です」


 俺は深く頭を下げ、その重みを確かめるように、写しを胸に抱きしめた。


 ……これでいいんだ。


 村人たちは、それぞれ複雑な表情を浮かべたり、不安げな様子を見せたりと様々だった。


「ユウマさん、さっきから難しい顔をしていますけど、何を考えているんですか?」


 しばらくして部屋の緊張が少し和らぐと、俺はソファに腰掛け、ダムの水位を下げることについて考え込んでいた。


 俺の隣に座ったアトーリオさんは、顔を覗き込んでくる。


「あの水をもう少し減らしたいと思ってるんですが、監視役の盗賊をどうにかできないと、見つかる可能性があるじゃないですか……なかなか良い案が浮かばないんです」


 最後に印章を押し終わった村人が、手に付いたインクを丁寧に拭き取っているのをぼんやり眺めながら言うと、彼は綺麗になった手をヒラヒラしながら、俺たちの方へ視線を向ける。


「そういや、アンタたちが行ってる間にクマが出たそうじゃねぇか。イノシシで構わんから、こっちにも降りてきてくれるといいんだがなぁ……」


「ほんとだよ。そもそも盗賊なんて、クマにやられちまえばいいのさ」


 村の女が吐き捨てるように言ったその言葉が、妙に俺の耳に残った。


「……クマ、か」


 ぽつりと呟いた俺の言葉に、彼女は当然だと言わんばかりの顔でさらに語気を強める。


「だってそうだろ? いっそのことクマを集めて、盗賊を退治してもらったらいいんだよ」


 クマが退治……!?


「……あ、あの! 今、なんて言いました!?」


 俺は勢いよく立ち上がり、思わず彼女の方へ身を乗り出した。


「え? いや、クマにアイツらをやっつけてもらえたらって……」


 そうか……これなら、ヤツらをダムの周りに近づかせずに済むかもしれない。


 俺の頭の中で、やるべきことが一気に繋がっていく。


「ち、ちょっとアンタ、大丈夫かい!?」

「あの……! 皆さんにお願いがあります」


 視界の端に映ったグレオルドさんは、もうすでに口元を緩めてこっちを見ていた。

 

「おう、どうしたよ。手伝えることがあるなら何でもやってやるぞ?」

「なんでも言ってみな」


 その場にいた他の村人たちは、やる気満々ですごく心強い。


「ふふふ……オヤツです。あの場所にクマを集めるためのエサを、村にあるもので作ります。皆さんに手伝ってもらいますよ?」 


「ク、クマの……オヤツ?」


 村人たちはぽかんと顔を見合わせていたけど、すぐに意味を理解したのか、目を丸くする。


「はい。あの場所にクマをおびき寄せるためのエサです。できるだけ匂いの強いものを作ります」

「本気で、あそこにクマを集める気かい……?」


 そう俺に問い掛けた女性は、呆れてそれ以上声も出ないようだった。

 頭がおかしいって思われるかもしれないけど……俺には経験がある。


 すぐに頭に浮かんだのは、魔獣の子どものバルドだった。

 メイたちには臭いって言われてたけど、俺の手作りのオヤツを食べてくれた。


「盗賊たちをあの場所へ近づかせないようにするために、やってみる価値はあると思っています。ただ、皆さんの同意が前提の話なんですけどね」


 彼らの賛成なしに、勝手に俺が動くわけにはいかない。

 でもこれからダムを守るのは、俺たちじゃなく……クマが野生の用心棒になってくれる。


 それに、盗賊たちと正面からやり合わない分、村人たちの危険も減る。

 俺たちにとってもその存在は脅威ではあるけど、最強の味方が手に入る。


 村人たちは困惑した表情を浮かべていたけど、黙って話を聞いていたグレオルドさんの反応はどこか違っていて、むしろ少しワクワクしているようにも見えた。


「ふむ……こちらが動かずとも自然が勝手に退治してくれるなら、それを利用しない手はありませんな」


「エサでおびき寄せて、盗賊たちの行く先をまるごと獣の縄張りにしてしまう……代理、やってみる価値はありそうです」


 慎重なイメージが強いマイロさんは、俺の予想外に、計画に賛成してくれているらしい。

 まるで悪だくみの天才みたいな顔をして、彼もニヤリと不敵に笑う。


「……なぁ、ちょっと待ってくれよ。本当に平気なのか? 相手はクマだぞ、クマ」

「そうだよ。それに、もしヘマをして盗賊が逆上したらどうするんだい?」


 ざわめいていた村人のひとりが不安を漏らすと、それをきっかけに、溜まっていた鬱憤を一気に晴らすように、反対の声が次々と上がり始めた。


 俺に向けて飛んでくるのは、戸惑いや焦りの(にじ)んだ言葉だった。

 

 当然だよな……こんな突拍子もない作戦、普通は怖くて当たり前だ。


 それでも俺は大きく息を吸って、村人たちの方へ向き直った。

 

「不安になるのも無理はありません。でも……今、こうして平穏でいられるのは、天が気まぐれに雨を降らせていないおかげだと俺は考えています」


 俺の言葉に部屋の空気が凍り付いて、すぐにざわざわと揺れ始める。


「……今日までサディロスが契約書を取りに来ない時点で、もう交渉は決裂していると考えた方がいいと思います。売買が白紙同然になった今、彼が計画を強行する可能性はかなり高いんです」


 少しでもわかりやすく伝えようと俺は慎重に言葉を選び、彼らの反応をうかがう。


「……とはいえ今の俺たちの戦力じゃ、盗賊に立ち向かうのは難しいのも事実です。猫がクマにケンカを売るようなものですから」


「せっかくだし、本音を話しませんか?」と提案すると、村人たちはしばらく顔を見合わせていたけど、やがてひとりの男性が気まずそうに頭をかいた。


「みんなが不安なのは分かるけどよぉ……俺、イノシシの肉が恋しくて、夢にまで出てくるんだよなぁ」


「お前なあ……今、この状況で食い気の話かよ? まあ、俺も食いたいんだけどな」


 思わず笑ってしまうようなやりとりに、その場の空気が一気に和む。

 肩をすくめる人、笑いながら隣を小突く人――ほんのひとときだったけど、彼らの表情は明るくなっていた。


「他に意見がある者はおるか? ……では話は決まったな」


 グレオルドさんの一言で、俺はクマのオヤツ作り担当に任命された。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます

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