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逆流者の旗  作者: 秋月 爽良


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第21話 刻印と契印《けいいん》

 大柄な男は、自分の膝の上にボロボロとこぼれ落ちたパンを拾っては、また口に放り込んでいた。

 隣の男に汚いと言われたせいか、今度は前を向いて話し出す。


「でも、話し合いは(こじ)れたらしいじゃねぇか。まぁ、ここまで準備しちまった以上、今さらどうにもならねぇけどよ」


 もしかしてサディロスは、俺が失敗したら最初からダムを決壊させるつもりだったのか……。

 もっと近くでふたりの会話を聞かないと。


 俺はもっとヤツらに近づこうと、慎重に立ち上がる。

 

 ジャリッ――。


 しゃがんでいたせいで足が痺れ、体がよろめく。

 その拍子に小さな石を蹴ってしまい、カランという乾いた音が坑道に響き渡った。


「……今、なんか聞こえなかったか?」


 小柄な男の声に、全身が凍りつく。

 

「ネズミかなんかじゃねぇのか……ここ、やたら多いしよぉ」

「んー? そうか?」


 盗賊は警戒しているのか、雑草を踏みしめながら少しずつ廃坑の入口へ近づいてくる。

 俺たちの隠れている場所まで、もうほとんど距離はなかった。

 

 背中越しに、アトーリオさんが小さく震えているのが伝わってくる。

 横目で見ると、その顔は恐怖に歪んでいた。


 俺のせいだ……せめて彼だけでも逃がさないと。

 

 男の気配を見失わないように、神経を集中させて廃坑の入り口を睨み付ける。

 気づけば、目の前にあった少し大きめな石を握り締めていた。

  

 最初の一撃で、確実に動きを止める――!


 先の尖った部分が相手に当たるように、俺は震える両手で、何度も石を持ち替えては調節する。

 

「あれ……こんなもん、あったか?」 


 薄汚れた茶色のブーツのつま先が、草むらを押し分けるように、入口へとにじり寄ってくる。

 薄く開けられた扉に手がかかった瞬間――。


「……おい! あれクマじゃねぇか!?」

「なんだと!?」


 盗賊たちは慌てふためき、すぐに(きびす)を返して駆け出した。

 遠ざかっていく足音が聞こえてくる。


「……今のうちに行きましょう」


 俺は小声で囁くと、まだ震えているアトーリオさんの袖を軽く引く。

 身体を支えると、彼は何度も小さくうなずいて、そっと立ち上がった。


 ランタンの心もとない灯りを頼りに、俺たちは息を殺したまま、つまずきそうになりながら坑道の奥へと急ぐ。


 分かれ道を見つけてその先へ飛び込み、雑に置かれた木箱の陰に身を潜めた。


 心臓が破裂しそうなほど鳴っていたのに、それすら聞こえなくなるくらい、じっと声を殺して耳を澄ませる。


 ずいぶん長い間そうしていたけれど、結局アイツらが追ってくる気配はなかった。


 俺たちはお互いに顔を見合わせ、ホッと胸を撫で下ろす。

 それから慎重に来た道を戻り、廃坑の扉近くまで進んで、そっと外を覗いてみた。

 

 誰もいない……助かった!


 そうしてやっと、大きく息を吐いた。


「危なかったですね……」

「……すみません、俺のせいです。でも、収穫は大きかったと思います」


 震える身体を坑道の壁で支えながら、ポケットからメモ帳を取り出した。

 不思議そうに俺の顔を見つめるアトーリオさんに、何とか笑ってみせる。


 たぶん引きつった、変な笑顔になってるんだろうな。


「今の会話を忘れないうちに、全部書き留めておかないと」


「かなり酷い内容の会話でしたけど、ユウマさんの予測が見事に当たっていましたね。他に、気になることはありました?」


「ええ。それに、もうひとつ気になるものを見ました」


 ヤツらの手の甲に見えたのは、剣と鎖の……タトゥー?

 街に帰ったら、ギルドで聞いてみないと。


 それに、ダムの水位をもっと下げないといけないかもしれないな。

 今回は運良く逃げられたけど、今後のことを考えると、ここに来る頻度を減らしたい。


 廃坑の出入り口も、内側からも鍵を掛けられるように、すぐにグレオルドさんにお願いしよう。

 万が一鉢合わせたとしても、ここに逃げ込めばいい。


 そんなことが起こらないのが一番だけど……。


 国でも警察でも全部ぶちまけてしまえたらどんなにいいか。

 でも今はまだ、証拠が足りていない。


 サディロスに直接ぶつかって、村に被害を広げるわけにも、投げ捨てて自分だけ逃げるわけにもいかないんだ、絶対に。

 

「ユウマさん、大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ?」 

「あ……すみません。じゃあ、帰りましょうか」


 俺は曖昧に笑ってその場をやり過ごすと、アトーリオさんの肩を軽く叩く。

 廃坑の扉がしっかり施錠できたのを確かめ、辺りに人影がないことも見届けてから、村への帰り道を急いだ。


 着実に戦える材料は揃ってきているけど、あともう少しだけこの村でやるべきことがある。

 ……それを終えたら、街へ戻って全部を伝えよう。


 ◆


「……鍵の件については、すぐに対応しましょう。マイロ、手が空いている者を呼んできてくれ」

「承知しました」


 俺は村へ帰り着くとアトーリオさんと共に、すぐにグレオルドさんの執務室へ向かった。


「クマだ!って叫んで逃げていきましたけど、俺たちが外を確認した時には、もう何もいませんでした」


「そうでしたか……何はともあれ、ふたりが無事でなによりですな」

「あんな強そうな盗賊でも、クマは怖いんですね……」


 アトーリオさんは思い出して、苦笑いを浮かべる。


「以前行ったときは、イノシシの足跡もたくさんありましたよね。今はあの辺りに集まっているんでしょうか?」


「長いこと、この村で生きてきましたが……こんなこと初めてですな」


 ダムが造られた年に、野生動物の行動範囲が変わったってことか。

 木材を大量に使ってたから、環境が変わってエサがなくなったとかかな……。


「あの辺りって、クマやイノシシのエサになる物があるんですか?」

「いえ、川の上流は岩や石だらけで、むしろ少ないぐらいですよ……ですよね、代理」


 アトーリオさんが同意を求めると、グレオルドさんは考え込んでいるようだった。

 腕組みをして目を伏せたまま、一度だけ深くうなずく。


 あの辺りには、クマやイノシシのエサになる物は少ない。

 それなのに足跡が残るほど集まっている。


 そういえば、盗賊はパンを食べてたよな……それにボロボロこぼしていた。

 クマが山を下りてくるのって、人間の食べ物が目当ての場合もなかったか?


 まさか、盗賊のヤツらが食べこぼした食い物を、狙ってきてるのか?

 だとしたら、これからますます増える可能性がある。


「だから、村の近くで見かけなくなったのか……!」

「ユウマさん?」


 隣に座るアトーリオさんは、首を傾げて俺を見つめていたけど、目の前のグレオルドさんはやっぱりニヤッと笑っていた。


「……それで、今回は何を思い付いたのですかな?」

「あ、いや、まだそこまでは……でも、どうにか考えます」


 彼はもうそれ以上何も聞かずに、ただ目の前で笑っていた。

 

「こちらでも、できる限りのことは協力させてもらいます。ああ、それと……」


 グレオルドさんはソファからゆっくりと立ち上がると、背後の執務机の引き出しに手を伸ばして鍵を開けた。


「あ……もしかして、完成したんですか?」

「少しお待たせしてしまったが、そのぶん精巧に出来ておるようです」


 彼が手のひらに乗せて運んできた印章には、セリナ村のシンボルとも言える小麦と羽の意匠が、真新しい光を帯びていた。


 鍵までかけて大事に保管してくれていた、彼のその気持ちが嬉しかった。


「これは……ユウマさん、あなたに託します」


 グレオルドさんは印章を俺の手に持たせると、指先でそっと押さえながら静かに呟いた。


「ありがとうございます……無理を言ってお願いした彫金師の方にも、あとでお礼を言っておきます」


 印章を受け取ると、しんみりとした静かな余韻が室内に漂った。

 そんな空気を破るように、複数の大きな足音が響いて、扉が勢いよく開け放たれる。


「おい、まずはノックをしないか」

「おっと、すいやせんマイロさん。つい……」


 大きな身体の男性が叱られて、シュンとしている場面を見るのは、社畜時代の俺を見ているようで何だか胸が痛い。


 さっき村人を呼びに行ったマイロさんが、廃坑の扉の鍵を作れそうな人たちを連れて帰ってきたみたいだった。


 ぞろぞろと部屋に入ってきたその数に、俺は思わず目を見張る。

 思った以上に人数が多い。


 5、6人かと思ったら、職人さんも合わせて10人以上はいるんじゃないか?


「……マイロ」

「はい」


 なんだ……何が始まるんだ?


 マイロさんは数人の村人に声をかけ、彼らをふたつのグループに分けた。

 一方の村人たちにはグレオルドさんが鍵の件について何か説明し、残った人々は俺の周りに集まってくる。


 みんながニコニコと微笑んでいるなか、状況を理解できない俺だけは首を傾げるばかりだった。


「申し訳ない、お待たせした。鍵の件は彼らに任せておけば安心でしょう」


 グレオルドさんは再びソファに腰を下ろし、見覚えのある書類の束を差し出してきた。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます

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