第20話 暗がりに潜む真実
坑道の奥へと続く道は、思っていたよりもずっと広かった。
体格のいい村人がふたり並んでも、余裕で通れるぐらいだ。
「……これも、ランタンを吊ってた跡ですかね?」
俺は壁に残されていた錆びたフックに、そっと触れてみる。
人差し指に付いたサビを親指で擦ると、少しザラザラとしていて、まるで指紋の隙間にまで入り込んだかのように、指を黒く染めていた。
「ユウマさん、足元気を付けてな?」
「あっ、ありがとうございます!」
同行している村人たちが、松明を掲げて足元を照らしてくれるおかげで、意外と歩きやすかった。
俺たちは一歩一歩確かめながら、ゆっくりと進んでいく。
石くれの中に混ざって転がるのは、誰かが落としたくぎ抜きや、小型のツルハシの柄の破片。
朽ちかけたそれらが、この坑道で人々が働いていた時代の遠さを物語っていた。
「ほれ、ここじゃここ。昔、ワシが村の連中に内緒で通ったのは、この辺りじゃ」
ウタ爺さんの陽気な声が聞こえてきて振り返ると、彼は懐かしそうに壁を撫でていた。
「通ったって……本当にこの真っ暗な坑道で、好きな人と会ってたんですか?」
俺が半ば呆れたように聞くと、彼は「よくぞ聞いてくれた!」とばかりに胸を張る。
「そらそうじゃよ。昔はな、親に黙って好きな子と会うには、こういう秘密の場所が一番じゃった。夜な夜なここまで来てな──よし、ちょっと腰かけて、ワシの昔話でも聞いていけ」
「ウタ爺……そのやり取り、さっきから何回目だよ。ユウマさん、悪いな」
村の若い男性が、松明を掲げながらウンザリした顔をする。
もう俺にも分からない……途中で数えるのをやめた。
名前の確認作業が終わったと思ったら、今度は昔話にウタ爺がハマってる。
「俺が驚いた反応をしないと、ちょっと拗ねてしまうのはなんでなんですかね……」
ボソッと呟くと、目の前を歩くグレオルドさんの肩が震えていた。
どうやら、必死に笑いをこらえているらしい。
「どうじゃ、若いの。ここに座ってワシの恋バナを聞かんか?」
「い、いや……それは、進みながら話してもらえると嬉しいんですが」
さっき俺がうっかり「恋バナ」って言葉を口にしたせいで、ウタ爺もそれを覚えてしまったらしい。
暗い坑道の中に、しばらくみんなの笑い声が響いていた。
「……当時のワシは村の決まりで、あの子と会うのは許されんかった。だが、そんなことで諦めるようなワシらではなかったのじゃ。ふひゃひゃ」
ウタ爺の話では、セリナ村の人々より少し身分の高い人たちが、川の上流に集まって暮らしていたらしい。
転んで膝をすりむいた彼女の手当を彼がしたことで、仲良くなったそうだ。
「……それでその人は、どんな女性だったんですか?」
「それはもう、華奢で物静かな子での……ワシにとっては、手の届かん存在じゃったんじゃよ」
ウタ爺は脇の岩陰に半ば埋もれていた、古びたツルハシの刃を引っ張り出した。
刃先は丸くなっていて、柄はもう失われている。
「……これで人ひとりが通れるくらい、少しずつ掘ったもんじゃ」
「へぇ、すごいな……大変だったでしょうね」
俺が感心していると、後ろにいた若い村人がからかうような声を出して、ウタ爺の背中をポンと叩く。
「……そりゃ、恋の力ってやつだな、ウタ爺」
「おっ、ええこと言うたな、ユウマ!」
ウタ爺が満足そうに彼の背中を叩き返すと、前の方でグレオルドさんが吹き出すのが聞こえた。
トワ爺は、息を吐き出して小さく咳払いをする。
「……ウタ、そいつはユウマじゃないぞ。お前の恋バナもいいが、この先本当に通じておるのか?」
「ん? ああ……天井は低いが通れるぞ。崩れておるとちょっと無理かもしれんがな……まあ、行ってみるしかないの」
他の人たちが不安そうに顔を見合わせるなか、ウタ爺だけはニコニコと上機嫌だった。
でも奥は複雑に入り組んでいて、闇に沈んだ先は、松明の明かりがなかなか届かない。
「代理、私が先に行きます――」
マイロさんが先陣を切って進むと、ひとりずつゆっくりと後を付いていく。
ウタ爺の言う通り、人ひとりがやっと通れるぐらいの幅しかない。
どうか崩れませんように……。
そう願いながら、それでも俺たちは村で待っている人たちのために進むしかない。
「おお……こっちじゃ。ここから村に近い方の崖に繋がっておると思うがの」
ウタ爺の言うとおり、彼が指差す方向から、わずかに風が吹いているようだった。
伸び放題のツタで覆われている出口にたどり着くと、村人たちは持参した鎌で手際よくツタを刈り取っていく。
「こんな場所から出入りしておったのか……」
その様子を見ながら、トワ爺が呆れたように声を漏らした。
ツタや雑草だらけかもしれないって、道具を持ってきておいてよかった。
真っ暗な坑道の中に、ツタの隙間から少しずつ光が差し込んでくると、眩しさでなかなか目を開けられない。
まるでモグラになったような気分だ。
周りの人たちも同じだったみたいで、みんな手で目元を覆っている。
片目ずつそっと開けてみると、周りは太い木々が立ち並ぶ林の中だった。
「ここに出るのか……マイロ、地図を」
「はい、こちらに」
グレオルドさんとマイロさんは、廃坑の出口の位置を地図と見比べ始めた。
「ここいらも、昔は人が住んでおってな。奥に水を流す溝があるじゃろ?」
トワ爺が指さした先を見ると、もう崩れてほとんど形を失った建物の間に、長く掘られた溝が見える。
俺はグレオルドさんたちの横から、そっと地図をのぞき込んだ。
「上流でせき止められている水を、坑道を通してここへ逃がせば……気付かれずに水位を下げられるかもしれないです」
呟いてふと顔を上げると、グレオルドさんとマイロさんの目には、もう迷いは見られなかった。
「ユウマさん、やりますかな?」
「ええ、やりましょう!」
その後は慌ただしかった。
俺たちは、村人たちが急ごしらえで整えた仮の拠点で休憩を取りつつ、対策を練る。
「ここは、水がよく抜ける場所じゃった」
「裏手にも、排水できる場所があったはずじゃ」
ウタ爺さんの記憶を頼りに、マイロさんは地図の上に素早く線を描いていく。
グレオルドさんは横目で彼の手元をちらりと見ながら、腕を組んでいた。
その顔にはどこか誇らしげで、満足そうな色が浮かんでいる。
ふたりの間にあるのは、積み重ねた時間にしか出せない静かな信頼だった。
そしてついに俺たちは、ダムの水をこっそり抜く作戦を今夜から決行することになる。
◆
朝露が残る地面を踏みしめながら、俺は川の上流に立っていた。
今日は、村の出身で土地勘のあるアトーリオさんにも同行してもらっている。
ここ数日でダムの水量は目に見えて減っている。
けれどそれは、ただの自然現象じゃない――村人たちが生きていくために、みんなで決めた手段だ。
「もう少し掘らないと……やるしかないよな」
今日俺たちは、水かさを確認するため、ふたりであのキツイ崖を登ってきた。
ダムに近い側の出入り口は外から施錠してあって、こちら側からしか開けられない。
予定通り減った水の量に安心して、ふたりで廃坑の入口へと向かう。
「うん……鍵も壊されてないようですよ? ユウマさん」
「念のために開けてみましょう……前のこともありますし」
たしかに、と彼はうなずいて、危なっかしい手つきで鍵を開ける。
中に入ると相変わらず冷たい風が、頬をかすめていった。
アトーリオさんとは、あのバルドの依頼から仲良くしてもらっている。
村の人たちとは、だいぶ打ち解けられたと思うけど、もうちょっとかな……。
「あーあ、眠ぃな……なんで俺っちが、こんなことしなきゃいけねぇんだよ? なぁ、お前もそう思うだろ?」
妙に気だるくて、聞いたことのない声が辺りに響いた。
坑道の壁に反射して、まるですぐ後ろから聞こえてくるようだった。
突然聞こえてきた声に、身体は固まって心臓はバクバクと鳴り始める。
アトーリオさんと顔を見合わせると、すぐにそばの壁の隙間に隠れた。
「ユ、ユウマさん……」
「しっ! 静かに」
見つからないように、ふたりでなるべく身体を寄せ合う。
寒いはずなのにどんどん体温は上がっていって、俺は短い呼吸を何度も繰り返していた。
坑道の奥で、しずくがぽたん、と落ちる音がやけに大きく響く。
誰だ……アイツら、サディロスに雇われている盗賊か?
「まぁ、いいじゃねぇか。たんまり報酬をもらったんだからよ。それにもう少しの辛抱だろ……あとは、せき止めた水を一気に流すだけだからな」
……やっぱりそうだ、俺たちの勘は間違ってなかった。
盗賊たちは地面に腰を下ろし、薄汚れた革の袋からパンを数個取り出した。
それをクチャクチャと音を立てながら、平らげていく。
大柄で体格の良い男と、少し小柄な男。
ふたりとも、その体つきからしてかなり鍛えているようだった。
口を動かしながら、大柄な男は、ぼんやりとダムの方を見つめている。
突然、咀嚼するのを止めたかと思うと、隣に座る男の方へ顔を向けた。
「でもよぉ……なんで最初は、話し合いで土地を買おうとしてたんだ? この水を流しちまえばよかったんじゃないのかぁ?」
「おい、口の中のもんがこっちに飛んでくるだろ、汚ぇぞ」
「おお、悪ぃな」
「サディロスは、ギルドからきたユウマってヤツが、村のヤツらとうまく交渉してくれるだろうって期待してたそうだ」
小柄な男は、パンを一口頬張って話し続ける。
コイツの方が、事情をよく知ってそうだった。
「いずれは、村全体を安く買い叩くつもりらしいぜ……まあ、俺は今すぐこの水を流しちまった方が、もっと安く手に入ると思うけどな」
コイツ……!
小柄な男の甲高い笑い声が、俺の神経を逆なでして、胸の奥に怒りが燃え上がった。
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