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逆流者の旗  作者: 秋月 爽良


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第19話 壁に踊る影たち

 作業台の上には、手のひら大の真鍮(しんちゅう)の塊が置かれていた。

 表面はすでに軽く研磨されていて、光を柔らかく反射している。


「こんな感じで……ほら、この曲線のあたり。ここは、もうちょっと丸みを出してもらえると、たぶん気づかれにくいと思うんです」


 俺は横から覗き込みながら、彫金師の手元――彫刻刀がわずかに刻んだ模様の端を、指先でそっと示した。

 

 俺の目の前で小さな椅子に腰かけているのは、この村で一番腕がいいって言われている、彫金師の男性だった。


 彼は無精ひげを撫でながら、苦笑交じりに言う。


「ずいぶんと細けぇんだなぁ……で、これは一体何に使うんだ?」

「うーん、そうですね。これは、ちょっとした資料を作るために使いたいんですよ」


「へぇ……まぁ、俺は聞かねぇ主義だけどよ」


 シュッシュと金属を削る軽快な音が、小屋の中に乾いたリズムを刻んでいた。

 俺はその光景を見つめながら、窓から見える外の様子に目をやった。


 村の若者たちはそれぞれ荷物を担いで、グレオルドさんの屋敷前に集合し始めている。 

 

「ユウマさん、そろそろ行きましょうか?」

「あ……はい。それじゃあ、よろしくお願いします。できあがりを楽しみにしてますね?」


 俺は促されるまま荷物を背負い、準備万端でこっちを眺めている村人たちの元へ歩き出した。


「あとは任せる――」


 俺の後ろでグレオルドさんは彫金師に声を掛けていたけど、その内容はよく聞こえなかった。

 彼は何度もうなずきながらヘイヘイと答えると、早速続きの作業に取りかかっていた。



「おぬしがユウマか?」


 頭上から声を掛けられて見上げると、背負われた椅子の上で、ウタ爺と呼ばれていた老人が俺を見てニカッと笑っていた。


 トワ爺と違って、少しほんわかした雰囲気の明るい男性だ。


「はい、そうですよ」

「そうか、やっぱりな……ワシのこの目は騙されんぞい。ふひゃひゃ」


 前歯が1本抜けているせいか、ウタ爺が笑うと空気が漏れて、なんとも変な笑い声になる。


「ウタ爺……またユウマさんに同じこと言ってんのか。悪ぃな、付き合わせて」

「いえ、大丈夫ですよ。はは……」


 実はウタ爺にさっきの言葉を掛けられるのは、これで4回目だ。

 

 ……俺、頑張ってるよな?


「なんじゃ、ワシに嫉妬しとるのか? そうじゃろう、そうじゃろう」

「……だめだこりゃ。悪ぃけど適当に相手してやってくれ」


 大丈夫かな……ウタ爺と村人の会話が全くかみ合ってない。

 村人の背中に担がれた椅子に座る彼は、ニコニコと上機嫌だった。

 

 俺たちは今、例の廃坑の内部を調べるため、数人でダムへ向かっている最中だ。

 トワ爺が昨日、ウタ爺も覚えてるかもって言ってたから、彼にも同行してもらっている。


 だけど、この道を足の悪い年寄りが登るのは無理だ。

 村の力自慢の男性が、椅子に座った爺さんたちを背負う流れになった。


 早朝の空気は思っていたより冷たくて、ふうと吐いた息が、目の前に白いもやを作る。

 

 寒さから耳を守るために被った大きめのフードが、視界を遮るのが鬱陶しい。

 何度も軽く直しながら、山道を一歩一歩登っていった。


 先を歩くグレオルドさんの背中は、普段と変わらないように見えたけど、チラリと見える横顔は、どこか緊張しているようにも感じられた。


 そのすぐ前を、案内役の村人が無言で進んで行く。

 ふとウタ爺の顔を見ると、揺れが心地良いのか眠っているようだった。


 ……いくら体を椅子にくくりつけられているとはいえ、背負われた村人が崖を登っている最中に眠れるものなのか。


 たまに覚醒するウタ爺の相手をしながら、俺たちは何とか廃坑の近くへ辿り着いた。


「……この先です、代理」


 地図で示された位置まで来てみたけど、ダムの近くにあるという廃坑の出入口は、背の高い草に埋もれている。


 俺たちは足元に気をつけながら、慎重にその場所へと近づいていった。


「……ここで間違いないのか?」

「おお、そうじゃ。ここじゃったな、ウタ」


 椅子から降ろしてもらったトワ爺は思ったより足取りがしっかりしていて、ウタ爺も相変わらず耳は遠いけど、案外元気そうだった。


 全員で手分けして、爺さんたちが示した場所の草をかき分け、入口を探した。


「……代理、ありました!」


「では鍵が開き次第、内部を確認する……マイロ、図面と照らし合わせてくれるか?」

「承知しました」


 グレオルドさんが指示すると、村人のひとりが手に持った鍵を鍵穴に差し込んで、慎重にひねっているのが見える。


 予想外に扉を開けるのに手間取っていて、手持ち無沙汰だった俺はふと足元の地面が気になった。


「……あの、これって何の足跡ですか?」

「ああ、イノシシじゃねぇかな。そっちはクマだろ」


 村人によると、少し湿り気のある地面に残された足跡は、少なくとも3頭分はあるそうだ。


「……イノシシとクマですか」


 集会では、獣を村の近くで見かけなくなったって聞いたけど……この辺りにはいるのか。

 少し怖くなった俺は、辺りをそっと見回した。


「おーい、開いたぞ!」


 村人の呼ぶ声に振り向くと、かつて使われていたという廃坑の入口だけが、ぽっかりと開いていた。


 村人たちに付いて坑道内に数歩足を踏み入れた瞬間、冷たい風が頬をかすめていく。

 

 寒くて底冷えすると言えばいいのか、身体の芯までじんわりと湿った冷気が染み込んできて、少しずつ体温を奪われていく。


 安全が保証されてない空間だけど――初めて入る坑道に、俺はすっかり魅了されていた。


 俺もグレオルドさんと大してかわらないな……。


 少しだけ苦笑しながらも坑道を奥へ進むと、少しカビっぽい匂いと、時が止まったかのような静寂が広がる。


「おい、みんな。足元に気を付けろよ?」


 村人たちが、それぞれ持っていた松明(たいまつ)に火を付け始める。

 持って来たランプだけじゃ暗すぎて、さっきから何度か転びそうになっていたから、正直ありがたかった。


 ようやくよく見えるようになって、周りをゆっくりと見回すと、左手の壁に錆びついたランプの金具がひとつ、かろうじて残されていた。


 昔はここに灯りが吊るされていたのかな……。


 木材で組まれた支柱はところどころ崩れていて、落ちた瓦礫(がれき)に混ざって、ひび割れた工具の柄が埋もれている。


 今さらだけど、松明ってあんなに簡単につけて大丈夫なのかな……酸素が無くなるとか。

 ガスとか溜まってたりして……。


 そう思ったけど、言葉にしても理解してもらえないのは何となく分かるし、言い出しにくかった。

 何かあっても、どうせもう逃げ場はない――なんて考えながら、村人たちの背中を追って歩いていた。


「……どうした、若いの。疲れたか?」


 声を掛けられた方を見ると、トワ爺さんが穏やかに微笑んでいた。

 俺は少しやけになっていたのもあって、つい余計なことを口走ってしまう。


「あの……こういう場所って、火をつけると爆発することがあるっていうか、最悪、全部吹っ飛んで木っ端みじんに――」


「吹き飛ぶじゃと!? な、なんじゃそれは、本当か!?」


 トワ爺さんが大きな声を出してしまって、周りの村人たちはギョッとして俺の方を見る。


「どういうことだ……!?」

「おい、止まれ! 吹っ飛ぶらしいぞ!」


 あああ、やってしまった……。


「……ユウマさん、詳しく説明してもらいますよ?」


 足元は暗くて、よく見えていないはずだった。

 だけどマイロさんは、なぜかほぼ一直線に、俺の方へものすごい勢いで迫ってくる。


「あの……はい、すみません。今から説明します……」


 村人たちに囲まれた俺は、一体どう話せば伝わるんだろう……頭の中は、そればっかりでぐるぐるしていた。


 ◆


 俺の説明を村人たちは呆然としながら聞いていたけど、安易に松明をつけたことに顔を引きつらせていた。


「……まあ、今のところは坑道に風が通っておるし、すぐに爆発ということもなかろう」


 トワ爺の言葉に、安心したように誰もがうなずいた。

 

 確かに、この廃坑に足を踏み入れた時から、風が通ってる感覚はあった。

 奥へ向かっても、顔に当たる冷たい空気の流れは途切れていない。


 湿気の多い空気は感じられるけど、こもった嫌なにおいもないし……どこかから空気が入ってきて、換気はされてるってことなのかも。


 少なくとも、今すぐ吹っ飛ぶってことはなさそうだ……いや、そう思い込むしかないよな?


 全員が少し落ち着いたところで、俺たちは再び歩き出した。


 松明の炎がゆらゆらと揺れ、坑道の壁に人影が踊る。

 その光景は幻想的で、思わず見入ってしまった。


 俺たちは静かに、慎重に、少しずつ奥へと進んで行く。


「この風、どこから吹いてるんでしょうね? どこかから空気が流れ込んでるとか」


 さっき、もう誤魔化しきれないと思って、俺の知っていることを彼らに話した。

 ほんの少しだけど、図でも描ければ、もっと上手く伝えられたかもしれない。


 みんな最初は不思議そうな顔をしていたけれど、聞き慣れない話に強い関心を持ったようだった。


 特にウタ爺は「大爆発」や「酸素」といった単語を、さっきからやたらと口にしている。


「……ここにはの、内緒の通路があるんじゃ。ふひゃひゃ」


 彼は昔のことはよく覚えているみたいで、さらりととんでもないことを言い出した。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます

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