第16話 流れを塞ぐ《ふさぐ》もの
俺は契約書の該当箇所を指でなぞりながら、首をひねった。
「えーと……この森の面積って、こんなに小さかったかな。書かれてる区画も、全然合ってないような気がするんだけど」
グレオルドさんの執務室のソファに座って、契約書を読む俺の頭上から、村の古株が顔を寄せ合って、書類を覗き込む。
「……こりゃひでぇ。ゴールドライン商会ってのは、こんなやり方すんのかよ?」
「最初から、村を騙す気で来とったんかもしれんのう……」
俺は契約書の腹立たしい内容に、眉間にシワを寄せつつ、集会では説明しきれなかった内容を彼らに説明していた。
そのたびに村人たちは呆れた声を上げたり、何かしらの反応を見せる。
会社のプレゼンでも、こんなに真剣に聞いてもらったことってないんじゃないかな?
「それで、この契約書なんですけど……写しを一通、作ろうと思うんです」
川へ出発するまで、まだ少し時間がある。
俺の提案に、彼らは驚いたように目を丸くした。
「ユウマさん……それをどう使うつもりなのかね?」
「記録として残しておくんです。この契約書には、村にとって不都合な条件が記載されているし、不自然に空白が多いんですよ」
俺は、契約書の原本を見やすいように両手で高く持ち上げる。
「この書類は、いずれサディロスさんの手元に戻ります。もし契約することになったら、悪用される可能性が高いと思うんです」
「しかし、もう契約はしないと思うがなぁ……」
村人のひとりがポツリと呟くと、周りの人たちも顔を見合わせる。
「あくまでも用心のためで、何も起きなければそれでいいんですから。まずは何が書かれているのかを記録に残しませんか?」
中身を読んで、不自然な箇所もチェックしてある。
サディロスさんはこの書類を忘れていったけど、きっと取り戻しに来るだろう。
その前に、こっちも準備しておきたい。
正確に書き写した後、俺はギルドを通して国に訴えようと考えていた。
元々ギルドの依頼だったわけだし、正式な手続きを踏めば、適切な対処をしてもらえるはずだ。
そのとき、この写しがきっと役に立つ。
村人たちに囲まれながら、俺は契約書を机の上に広げ、写しを作り始めていた。
「ここにいる皆さんに、証人になって欲しいんです。私が写したものに違いがないか、一緒に確認してください」
俺は、用意してもらった紙とペンを手に取る。
村人たちは複雑そうな表情を浮かべながらも、静かに見守ってくれていた。
文章の細部まで、一文字ずつ丁寧に筆を進めていく。
これで、後から何かを書き加えてもすぐに気づけるだろう。
最後の一文字まで書き終えると、俺はペンを静かに置いた。
「……できました。原本と見比べて、違いがないか確認をお願いします」
村人たちに手渡すと、彼らはその両方を手に取って、慎重に見比べ始めた。
「……うん、大丈夫。全部、同じ内容になってるよ」
この世界にはコピー機だとか、スキャンできるような道具はない。
もちろんスマホなんて便利な物も。
身内の証言だけじゃ弱いかもしれないけど、彼らの目と証言が、この写しの正当性を裏付けてくれる唯一の頼みの綱だ。
完成した写しと原本の違いは、サディロスさんの羽と蛇の印章が押されていないことだけだった。
「ユウマさん、そろそろ行きましょうか?」
朝からひと仕事終えた俺たちが執務室を出ると、太陽はすでに高く昇っていた。
「やっぱり日中は少し暑いですね、夜はあんなに寒いのに」
手の甲で額を軽く拭うと、俺は思った以上に汗をかいていた。
◆
「……くっ! 結構キツイな」
何とか急斜面を登り切った先は、村から少し離れた山の奥深くだった。
木々に囲まれていて、日差しも届かず薄暗い。
うわ、まだ登るのかよ……。
見渡す限り開けた場所はほとんどなくて、ゴツゴツとした大きな岩が辺りに転がっている。
言い出したのは俺だけど、その歩きにくさに、自分の発言を少しだけ後悔した。
崖のような場所を足を踏み外さないように、一歩一歩慎重に進む。
岩に手をかけ、バランスをとりながら歩き続けると……わずかに水の流れる音が聞こえてきた。
息を切らしながら顔を上げると、陽の光が差し込む先に、柔らかく照らされた川の流れが目に飛び込んでくる。
「はぁ、はぁ……や、やっと着いた」
「お疲れ様でしたな」
「村の皆さんは、やっぱり慣れていらっしゃいますね」
日頃の運動不足のせいで、俺はその場にどさりと座り込んだ。
後ろからついてきていたグレオルドさんに、ハハハと、また笑われてしまう。
「グレオルドさんって、笑い上戸でしょう?」
「ああ、いや……ゴホン、これは失礼。もしかすると、あなたが来てからかもしれませんな」
「え、それってどういうこと――」
俺の声をかき消すように、マイロさんがグレオルドさんを呼ぶ声が、森の静寂を破るように響き渡る。
「代理! 大変です、ちょっと来てください!」
「ふむ……何かあったようですな。急ぎましょう」
グレオルドさんがそっと差し出してくれた手を、俺はしっかりと握り返して立ち上がる。
彼の後について駆け出すと、その先に、一緒に来ていた村人たちが集まっているのが目に入った。
何だろ……ただごとじゃなさそうだ。
「……どうした、何があった?」
グレオルドさんの声に振り返ったマイロさんは、ホッとしたような表情を浮かべて駆け寄ってくる。
「代理、見てください……川の水がずいぶん減ってるんです。ここまで来て、初めて気づきました」
俺も慌てて、村人たちが集まっている方へ向かった。
そっと横から覗くと、彼らは腕を組みながら川を見下ろしている。
グレオルドさんたちは他の村人たちと熱心に話し込んでいて、途中で口を挟むのは気が引けた。
「あの、すみません。どういうことなんですか?」
俺は近くにいた年配の村人に声をかけてみた。
「この川だが、水の量が減り過ぎとるんじゃよ」
「そんなにですか?」
「いつもはもっと流れが強くて、水かさもあったんじゃ。こんなに静かなのは初めてじゃよ」
村人のひとりが川辺にしゃがみ込んで、両手で水をすくい上げていた。
「……いや、少ねぇな。今年の夏は、雨があんまり降らなかったんだっけ?」
「いや、むしろ多かっただろ。春は雪解けも順調だったし、夏までは安定してたはずだ」
じゃあ、今のこの状態は異常ってことなんだ……。
彼らの話では、秋はもともと雨が少なく、川の水量も自然に減る時期らしい。
それでも昨年末から雪が多く、春の雪解け水も十分過ぎるほどで、夏も雨の日が多かったそうだ。
それなら今年も水量は例年並みか、それ以上にあってもおかしくないだろう……なのに、減ってる。
「誰か、最近この辺りに来た者はおるか?」
「ああ……俺が前に来たときは、川の流れは普通でしたよ」
グレオルドさんが問いかけると、若い村人のひとりが声を上げた。
……そうなると、その後に何かが起きたのかもしれないな。
例えば土砂崩れや落石で、もっと上流の流れが堰き止められてる可能性がある。
「……もう少し先まで見に行ってみるしかねぇな」
川を見下ろしていた村人の男性がそう言うと、彼らはうなずきながら上流へ視線を向けた。
「よし、先へ進むぞ」
グレオルドさんの合図で、俺たちはさらに先へと進む。
「……なんだこれ。誰がこんなことを」
さらに上流の川辺にたどり着いた俺たちは、目の前の光景にただ立ち尽くすしかなかった。
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