第13話 言葉が、俺の中で意味を持った日
俺が今立っているのは、村の南にある細い獣道を抜けた先の、鬱蒼とした森の一角だった。
木々が密集していて地面はぬかるんでいるから、歩く度に足を取られる。
伸び放題の枝のせいで日差しも届かないし、湿気と腐葉土のような臭いが辺りに漂っていた。
周囲には農地どころか、住居すら一軒もない。
かろうじて流れる小さな川も、水量は少なく、近ごろは干上がりかけているらしい。
……なんで、こんな場所を購入しようとしていたんだ?
グレオルドさんたちに案内されたのは、サディロスさんが買いたがっていたという場所だった。
今夜の集会まで少し時間があったから、そのあいだに現地を見せてもらうことにした。
「……村の者、全員ですか?」
「ええ、できればですが。なるべく皆さんと話がしたいんです」
俺のお願いに目を丸くしたグレオルドさんは、何だかんだ言いながらも、今夜の集会のために村人に声を掛けて回ってくれた。
「ここ以外に、候補になりそうな場所は無かったんですか?」
「それが、もっと平地で見通しがいい場所が他にもあるのですよ」
周囲に開発向きな土地があるのに、なぜここなのか。
目を凝らして見ると、木々の切れ間から、ずっと先に小さな街の屋根がかすかに見えた。
「あれは……隣の村じゃないですよね?」
そこはもう、国境を越えた場所にあるように見えた。
「隣の国境にある街じゃよ……ここら辺は昔、鉱山でな」
一緒に来ていた村人のひとり、年配のお爺さんがポツリと呟いて教えてくれた。
「鉱山ですか?」
「うむ。今はもう滅多に取れなくなったが、当時は珍しい鉱石が山ほど採れての……それを巡って、隣の国との戦争が起きたほどじゃったよ」
どうやらこの村の周辺は、鉱山の町として、また国境を守る要所として栄え、多くの人が暮らしていたらしい。
戦争が終わって平和になると、少しずつ人が減って今の状態になったそうだ。
「その鉱山って、今も中に入れるんですか?」
「いや、かなり前に入り口は封鎖したんじゃが……最近は近寄る者がおらんから、そのまま放置しておったな」
年配のお爺さんは、綺麗に整えられたヒゲをポリポリとかきながら、眉尻を下げた。
気になるな……この土地をサディロスさんが欲しがる理由が、何か分かるかもしれない。
お願いしてみると、すぐ近くだからと村人たちは快く案内してくれた。
そこから少し先の廃坑の入り口には、年季の入った鉄扉が据えられ、大ぶりの横棒でしっかりと閉ざされている。
その下には黒く重たそうな錠前が、金具から吊るされていた。
「……思ったより雑草が少ないですね、どなたかが手入れされてるんでしょうか?」
さっきまで昔話をしてくれていたお爺さんに話しかけると、彼は急に眉間にシワを寄せて黙り込んだ。
「あの……どうかしました? 具合が悪いのなら休みましょう」
「手入れされとる……」
「えっ?」
「……綺麗に草が刈ってあるんじゃよ」
辺りを見回すと、確かにここまでの道と、廃坑の入り口の周りは雑草の背が低かった。
まるで誰かが、定期的に草刈りをしているように。
いったい、何が起きているんだ……背中を冷たいものがすっと伝っていく。
「お、おい! これ見てくれ……」
村人の声に恐る恐る振り返ると、彼は身を屈めて扉の錠前をじっと見つめていた。
「……どうした?」
「これ、似てるけど違うんだ……誰かが付け替えてないか?」
すぐに数名の村人がグレオルドさんと共に駆けつけ、錠前を手に取って向きを変えたり裏返したりしながら、何度も確かめ始めた。
「……誰か! 村に戻って鍵を取ってきてくれ!」
ひとりが村に向けて駆け出すと、残った村人たちは周囲を警戒しつつ、鍵が届くのを今か今かとじっと待っていた。
不安で落ち着かないのに、誰ひとり口を開かず、しばらくその場に立ち尽くしていた。
こんな時にやっぱり村で留守番していたかったなんて、口が裂けても言えない。
余計なことを言わなければよかったと反省した。
近くにいた村人が、その辺に落ちていた木の棒を拾って俺に差し出した。
「……これ、どうぞ」
「え? あ……ありがとうございます?」
彼はそれだけ言うと、また別の木の棒を拾っては他の村人にも手渡していく。
その顔は無表情で、まるで棒を配ることだけが今の役目みたいに、同じ動作を何度も繰り返している。
みんな戸惑いながらも、わずかに引きつった笑顔でそれを受け取っていた。
使うことがありませんようにと願いながら、棒を握る手も俺の額もじっとりと汗ばんで気持ち悪い。
「すまん! 待たせた――」
息を切らして駆け戻ってきた村人が、持ってきた鍵を放り投げると、他の村人たちは急いで解除に取りかかる。
「……皆、落ち着くのだ。ゆっくりでいい」
こんな時でもグレオルドさんの声は落ち着いていた。
だけど、俺たちの期待はあっさりと打ち砕かれた――届けられた鍵は合わなかったからだ。
「……何回やってもダメか」
誰かがそう呟くと、その場はしんと静まり返った。
「……代理、どうします? 壊しますか?」
沈黙に耐えきれなくなったのか、村人のひとりがグレオルドさんに判断を仰ぐ。
許可が下りればすぐに力任せに開けるつもりなのか、彼はすでに大きな石を手にしていた。
「……こんなもの、さっさと壊して中を見てみればいいじゃないか」
急に誰かがぽつりと呟いたその一言をきっかけに、村人たちがざわめき始める。
「そうだよな、どうせ今は使ってないんだし」
「中を確認しないで、後で何かあったら困るだろ」
でも開けた瞬間に、中から何か飛び出してきたらどうすればいいんだ……?
こっちは勇者でもなんでもなく、棒きれを持たされた、ただの転生者だ。
「代理、指示をお願いします――」
誰もが固唾を呑み、その視線だけがグレオルドさんに集まる。
彼は腕を組んで、扉の前でしばらく黙り込んでいた。
責任者ってホント大変だ……。
「何かあった時に備えて、すぐに開けられる状態にしておくべきか……」
ブツブツと呟く最後の方はもう独り言みたいで、この場の静けさがなければ聞き逃していた。
「壊さないでください」
えっ……?
言葉にするつもりはなかったのに、また俺の口が勝手に動いた。
心の声が、そのまま漏れ出してしまったみたいに。
「……ちょっと待ってください」
場の空気が凍りつき、視線が一斉に俺へ向けられる。
「……その理由をお聞かせ願えますかな、ユウマさん」
グレオルドさんの、穏やかながらも低く重い声が響く。
……みんなの視線が痛い。なんでこんなところでスキルが発動するんだよ。
「ユウマさん……どうしました?」
「あの……壊すのは簡単ですが、今ここで壊したら相手に気づかれる可能性があります」
静まり返った中、俺の声だけが浮かび上がるように響いていた。
村人たちは顔を見合わせ、不安そうに眉をひそめる。
「ここを勝手に使ってる連中が次に来た時、錠前が壊されていると知ったら……村に危害を加えるかもしれません」
「……そんなことするヤツがいるのか?」
誰かがぽつりと呟いたけど、他の村人たちは言葉を飲み込むように押し黙っているだけだった。
最悪の事態が、頭をよぎったのかもしれない。
「壊してしまえば、ここを誰が使っていたのか分からなくなるかもしれません……警備局に報告して誰かの持ち物からこの鍵が出てくれば、ここを使っていた証明になるはずです」
「その誰かって、誰なんだ?」
「皆さん薄々気がついているでしょうが、サディロスさんだと俺は考えてます」
その名前を口にした途端、場がざわついた。
グレオルドさんは腕を組んだまま、ゆっくりと俺に視線を向ける。
「……なるほど」
喉の奥から絞り出すような、低く唸る声。
彼の表情には怒りも迷いもなく、ただ静かに真剣な色が浮かんでいる。
「ですから今は村を守るためにも壊さず、証拠を残しておくべきです」
やっと止まった……一拍の間を置いてから、俺のスキルは言いたいことを全部言い終えたらしい。
すでにこの場には沈黙が戻っていて、さっきまで鍵を壊そうとしていた男性も、手にしていた石を静かに地面へ置く。
「その意見、私も支持しよう……だが、錠前を壊さない代わりに見張りを付ける。村の安全を守るためにもだ。皆、それでいいな?」
グレオルドさんの言葉に、村人たちは静かにうなずいた。
「責任は私が取る。この判断が村を守ると信じている」
その一言で、村人たちもようやく腹を括ったらしい。
しばらくみんなで話し合った後、足早にその場を後にする。
「……ユウマさん、ちょっといいですかな?」
村人に付いて歩き始める俺を、彼は呼び止めた。
「はい、何でしょうか……?」
「この件、他の村人たちには秘密にしてもらいたいのです」
「ああ、もちろんですよ。分かっていますから」
俺の返事にグレオルドさんは、安心したような表情を浮かべた。
「それから、図々しいお願いかもしれんが……あなたに協力してもらいたいことがある」
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