第12話 沈黙が語るもの
「あの……私はもう少しここに残ってみてもいいですか? 実際に自分の目で確かめて、ようやく分かることもあると思うんです」
俺が声を掛けると、少し前をゆっくり歩いていたグレオルドさんは足を止めず、軽く首だけひねってこっちを見た。
チラリと見えたその顔は、どこか呆れたようにも見えたけど、目尻はやわらかく下がっている。
ふふ、と喉の奥で小さく笑うような声が聞こえた気がした。
「ええ、せっかく来ていただいたのですから、ゆっくりしていかれるといい」
そう言った彼は視線を前に戻し、また少し笑った。
よかった……追い出されるかと思ってたけど、これでもう少し落ち着いて考えられそうだ。
「それと……ご迷惑をおかけしますが、納屋でも構いませんので、どこか寝る場所を貸していただけませんか?」
「はははは、それなら心配には及びません。ぜひ私の家に泊まってください」
さっきサディロスさんがいた時とは打って変わって、グレオルドさんは声を上げて笑った。
初めて挨拶したときは堅物そうな印象だったけど、今は気の良いおじさんって感じだな。
グレオルドさんの後をついて、いくつか古い扉を抜けると、小麦畑へ続く道に出る。
だだっ広くて、街の喧騒も馬車の音もここには届かない……本当に静かな場所だった。
「村の空気がなんだか軽い気がしますね……すごく澄んでいて、呼吸が楽というか」
「そりゃまあ、あの商人が帰ってくれましたからね。風通しがよくなったってことですよ」
村に着いてからずっと無言だったアトーリオさんが、安心したように軽く冗談を言う。
それにつられるみたいに、周囲の人たちの顔にもようやく笑みが浮かんだ。
張りつめていた空気が、少しずつやわらいでいく。
そんなふうに変わっていくのが、なんだか嬉しかった。
「ユウマさん、畑の方からご覧になりますか? 何かの参考になるかもしれませんからな」
「小麦畑ですか、いいですね! ぜひ、お願いします」
そう答えると、なぜかグレオルドさんはまたおかしそうに笑った。
あれ……俺、何か変なこと言ったかな?
「ふふふ、ああ……申し訳ない、失礼した。あなたのような方は初めてでしてな」
グレオルドさんは、また吹き出しそうになる口元を押さえて、もう片方の手を軽く左右に振る。
「我々も手を尽くしておりますが、限界はある……だからと言って国に助けを求めても、なかなか改善していただけない。こうやって現状を実際に見ていただけるのは、村の者にとってありがたいことなのですよ」
「そうなんですか……私でお役に立てればいいんですが」
あの部屋にいた村人たちも、いつの間にかなんとなく後ろをついて来ていた。
俺を警戒しているというよりは、好奇心や期待が混ざったような表情だった。
サディロスさんがいた時とは、明らかに表情が違うな……。
ぼんやり考えながら歩いていて、ふとまだ手に契約書を持ったままだと気づいた瞬間、俺は息を呑んだ。
「ああっ! この契約書、サディロスさんに返すの忘れてました!」
「ぶはっ! いや、失礼……クククッ」
グレオルドさんが、なぜか盛大に吹き出す。
もしかしてこの人、笑い上戸なのか……?
「ああ、あの人たち慌てて帰っちゃいましたしね……いいんじゃないですか? 必要ならまた取りに戻ってきますよ」
「そっか、それもそうですよね」
アトーリオさんにそう言われて、俺はほっと息をついた。
ついにグレオルドさんは声を上げて笑い始め、釣られるように周りの村人たちも笑顔を見せる。
あれ……どうしたんだろ?
俺は手元の契約書をそっとカバンにしまった。
「……じゃあグレオルドさん、よろしくお願いします」
グレオルドさんは上機嫌で、小麦畑の広さや収穫の時期なんかを丁寧に説明してくれた。
畑の小麦は黄金色の穂をたわわにつけ、たまに吹く柔らかな風になびいている。
「羨ましい、いいところに住んでらっしゃいますね」と言いかけて、俺は慌てて口をつぐんだ。
畑はともかく、村の家々は劣悪と言いたくなるほど困窮しているのが、見ただけで分かるからだ。
状況をよく見て簡単に言葉にしたらダメだ、村の人たちの気持ちも考えないと。
「……小麦畑はかなりの広さなんですね」
「見ての通り、ここの土地は痩せておりましてな。収穫量は年々落ちてきてはいますが、村の者たちはなんとか工夫して育てておるのです」
最初に案内されたのは、村の北側に広がるこの小麦畑だった。
肥料不足なのか水が足りていないのか、半分以上が枯れている。
「どなたか作業されている方で、お話を聞ける人はいませんか?」
「ああ、でしたらあちらに」
畑の端では、年配の女性が腰を曲げて雑草を摘んでいた。
声をかけると、彼女は少し驚いたような顔で挨拶を返してくれた。
短く話を聞かせてもらいながら畑を見渡すと、土地は確かに痩せてそうだけど、手入れは行き届いてるようで、きちんと管理されているみたいだ。
女性との会話を終えて、次に案内されたのは石造りの倉庫で、村人たちが共同で使っているらしく、施錠も簡素な紐と木の棒だけだった。
「中には保存食や道具が保管されております。盗賊が出始めてからは、夜は完全に鍵をかけ昼も頻繁に確認するようにしておりますな」
なるほど……それで昼間は簡単に開け閉めできるようにしているのか。
盗賊が狙っているのが食料なら、道具と分けて、日中も食料庫だけは鍵をかけたままにするぐらいしか手はないだろうな。
どっちにしても余計な手間だ……これだけ大量の物を移動させるのも、新しい倉庫を造るのも金がかかる。
盗賊の影響は、思っていたよりずっと深い。
……そう言えばセリナ村に到着するまで、あの護衛たちは特に警戒してなかったよな。
「グレオルドさん、日中に盗賊が村を襲うことはあったんですか?」
「いえ、今のところはありませんな……街道沿いの被害ばかりで」
「そうでしたか。村を襲うことはせずに道行く人ばかりを狙う……それもおかしな話ですね」
俺の言葉に、グレオルドさんたちもそれぞれ複雑そうな顔で考え込んでいた。
だってそうだろ……村を襲った方が手っ取り早いし確実だ。
この村の人口は50人にも満たないし、用心棒のような人間も見当たらない。
倉庫の隣の鍛冶場では、煤だらけの男性が金槌を振るっていた。
作業台で小柄な女性が小さなハンマーを手に、金属の板を細工している。
「こんにちは。何を作ってるんですか?」
「装飾品だよ。村の外に売るものなんだけど、最近はさっぱりでね。盗賊のせいで行商も来ないしねぇ……」
ふと視線を上げた彼女は、俺の後ろの村人に気付くと、ほんの少しだけ眉を動かす。
それ以上は何も言わず、また手元の作業に戻った。
ん……何だ、今の?
すぐに後ろを振り返ると、ラオスさんが村人に混じって仏頂面で立っていた。
俺の視線に気付くと、彼はバツの悪そうな顔をして視線をそらす。
彼を見て、彼女の表情が変わったのか……。
何か知っていそうなのに今は口にできない、そんなふうに見えた。
「……ありがとうございました。お邪魔しました」
お礼を言って鍛冶場を出ると、反対側に小道が続いていた。
その先は、次第に人の住まう気配を感じる場所へと繋がっているようだった。
後ろを振り返ると、まだ数人の村人が距離を取りながらついてきていて、その中にはラオスさんの姿もあった。
ずっと睨まれてるような……いや、俺の考えすぎか。
彼は一言も発さず重たい足取りで後ろを歩いていたけど、俺たちが住居エリアに入る頃には、いつの間にかその姿は消えていた。
他の村人たちは特に気にした様子もなく、前方では先に歩いていたグレオルドさんが立ち止まってこっちを振り返っていた。
「……全く、どこに行ったんだか」
「どうされたんですか?」
「息子のラオスですよ。あいつは、いつもこうなんです」
「もしかしたら、ご自宅に戻られたんじゃないですか?」
俺が苦笑すると、彼は呆れた様子で辺りを見回す。
「申し訳ない。この村のために時間を割いていただいておるのに」
「気にしないでください。お互いにとって最善の方法を取るためには、まず情報を集めることが重要ですから」
近くにいた村人の話では、ラオスさんはどこかへ出掛けたらしい。
しばらく帰ってこないことも珍しくないそうだ。
彼がいなくても今すぐ困ることはなさそうだけど……街道に盗賊が出るっていうのに、大丈夫なんだろうか。
それでも、さっきの女性みたいに、彼がいなくなったことで聞ける話があるなら、それは今のうちに拾っておきたい。
この時点で、俺の中にはひとつの仮説がぼんやり浮かび始めていた。
ただ、それを確かめるには、まだ拾わなきゃいけない話が山ほどある。
「そう言えばグレオルドさんって、どうして代理なんです?」
「ああ、父が今も村長でしてな。ただ年齢のこともあって、村のことは私が代わりにやっておるのです」
「なるほど、そうでしたか……それと、もうひとつお願いがあるんですが」
「おや、何でしょう?」
立ち止まると、彼らも足を止め不思議そうに俺を見た。
「今晩、村人を集めて集会を開いてもらえませんか……できるだけ多くの人を呼んで」
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます
もしよろしければ、ブックマークや★評価をいただけると嬉しいです。今後の励みになります




