第73話 ある週末
朝晩の空気がひときわ澄み、
秋の気配がすっかり日常となってきた、
とある週末。
閑古鳥が鳴く『Hangover』の店内で、
私は手持ち無沙汰に
テーブルを拭いていた。
「今夜はまったくお客さんが
来ないですね、マスター」
私はカウンターにいる歌川に声を掛けた。
しかし歌川は反応を示さず、
心ここにあらずといった様子で、
1つのグラスを磨いていた。
この1週間。
歌川はずっとこの調子だった。
明らかに元気がなかったが、
それも無理のないことだった。
大烏の別荘で過ごしたあの日から
しばらくして、
歌川は小鳥遊から別れを告げられた。
結局のところ。
彼女は本心を偽ったまま、
歌川と付き合い続けることに
耐えられなかったのだろう。
自分の中の葛藤と歌川に対する罪悪感に。
店の時計が22時を回った頃。
カランコロンという鈴の音と共に、
ドアが開いた。
「あら。
素敵なお店じゃない」
入ってきたのは、
長いストレートの黒髪に、
胸元の大きく開いた
赤いワンピースを着た、
艶っぽい女性だった。
その顔を見て私は思わず声を上げた。
「ヒカルさん!」
「ヤッホー!
・・って何よ。
随分と暇そうじゃない」
ヒカルは店内をさっと見回すと、
呆れたように溜息を吐いた。
「つ、ついさっき、
団体様が帰ったところで・・。
そ、それよりどうしたんですか、
その髪は?」
私は咄嗟に誤魔化した。
「コレ?
ちょっと地味かしら。
似合ってない?」
「ううん。
すごく素敵です。
絶対に今の方がいいですよ」
「そ、そう・・?
そんなに褒められると、
ちょっと恥ずかしいわね」
ヒカルはそう言うと
照れたように髪をかき上げた。
「い、いらっしゃい。
別荘以来ですな」
グラスを磨いていた歌川が、
ようやく彼女に気付いた。
「マティーニを頂こうかしら」
ヒカルは歌川をチラリと見やりながら、
ゆっくりとカウンター席に腰を下ろした。
芍薬とライチの穏やかで瑞々しい香りが
店内に漂っていた。
「大烏さんとは
うまくいってるんですか?」
歌川がバックヤードに
姿を消したタイミングで、
私はそっと訊ねた。
ヒカルはマティーニを一口飲み、
小さく溜息を吐いた。
「・・それがね。
聞いてくれる?
あの人。
勃たないのよ」
「えっ?」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
「だ・か・ら。
アッチがダメなの」
そしてヒカルは悪戯っぽく片目を瞑ると、
くすっと笑ってから、
ふたたびグラスに口をつけた。
「そ、そうなんですね・・」
「そ。
だから。
いくら金持ちでもねぇ。
イイ男っていうのは
なかなかいないわね。
ノブにしたって、
見栄えは良かったけど・・」
笠原の名前を口にした瞬間、
ヒカルはハッとして黙り込んだ。
僅かばかりの沈黙の後、
彼女はグラスを置き、
ピンに刺さったオリーブを咥えた。
「それにしても。
どうしてノブは・・
鈴木さんを襲ったのかしらね」
その一言が、
私の記憶を刺激した。




