第92回 「女の子の方が、嬉しい?」
翌、月曜日。
バイト帰り。アパートの自室に転がり込むのはどうしたって夜遅く。
夕飯。洗い物どころか食ってる時間も惜しい。でも手間かからないのはどうしたって高価い。そのうえ高カロリー、高塩分、高脂質。
悩ましい独り暮らしの生活事情。
それすらも半分は親の仕送り有っての賜物。
母は、俺の性転換後、色々あって病的なまでに過保護になった。
元気に、いや、無事だろうか。
父からは、俺が関わらなければ案外普通にしていると。
元の職場は一旦辞めざるを得なくなったが、再び奮起してパートタイマーに出ていると聞く。
"たまには帰ってこい"
父はそう言う。
バカな。俺が顔を見せればまた荒れるだけではないか。
"それでもたまには顔が見たいもんさ"
十代半ばで性別変わっちゃうような息子でもか。
"息子でも、娘でも、子供だからだよ、オレの"
そう。
「──そう」
◇◆◇◆◇
諸々済ませてThebesにログイン。
すでに22時。
ゲートクリスタル外周のベンチに座って、仲間を待つ。
魔術光の少し青みがかった白光に、幻想的に浮き上がる西の大庭の街並み。
そういえば、ヴァルハラは白熱灯っぽい暖色系だったな、と。
平日。
俺たち高校生には明日もある。
若さに任せてゲームで夜更かしっても、0時がせいぜいだろう。
男のままなら、もう少し無茶もしたろうか。
クラスメイトの男子が、授業中に居眠りをして、教師にどやされてんのをたまに見る。
昔の俺なら、多少は、とも思う。
でも今は立場が違う。
女性の身体で、許されない軽率さ、というものがある。
そういう世間体がある。
学校という護られた空間であればすこしはと思えば、それが少しも信用ならないものであると、先日自ら確かめてしまったわけだし。
それでも、俺だけなら。
そう強がって見せれば
"アンタと違ってアタシやフユキ君は、少しの寝不足で簡単に肌に出ちゃうんだから"
なんて、きゃみさまは言う。
自分はないがしろにできても、他人に迷惑はかけたくない。
特に、つい先日、可愛く在ろうと決心した高坂に、無茶はさせたくない。
"なら、アタシ等に付き合って、ちゃんと寝るしかないわよね?"
何なら俺の扱いをよくわかっている。
腰に手を当て、反対の手で指を立て"説教"のポーズ。
そんなきゃみさまを想像して、クスリ、と。
少し自嘲気味に笑う。
何の気とは無しに。
昨日、赤髪の剣士に渡されたフレンドカードを表示する。
フレンドリストから選択し、タップすれば、それはポップアップウィンドウの様に虚空に浮いて可視化する。
赤髪。少しツンツンした髪型。確か中肉中背。
少しの達観と、優しさが混在したような眼。
一見して優男、他にどうにも特徴をあげづらく。
"ユージン"と名乗った。
どこかで聞いたような名前。
誰か全然違う第三者から、その名を聞いた気もする。
覚えちゃいないが。
"命に代えても守りたい女性が"
多分、学人──マナ、さんのことだろう。
ふと。
そんな風に言われるマナさんのことを。
ユージンではなく、マナさんの方を。
少し、羨ましく思っている自分に気が付いて。
自嘲に唇が歪む。
どうしたんだ夏彦?
お前、そっち側だったか?
自嘲も自嘲。歪んだ唇で無理に笑って。
フレンドカードの、無表情を見つめる。
"面識はないが、藤堂さんの実子で──"
そんな風に言っていた。
きゃみさま自身より、その、藤堂サン──親御さんの名前が先に立つ。
その、なんだ。親の名を笠に着るような真似は大嫌いな人だ。彼女は。
言いたくないのは、その辺の事情かもしれない。
と。
「何見てんの?」
「どやっへぅ!?」
素っ頓狂な声を上げて、あわててフレンドカードの可視化を解く。
「すんごい悲鳴あげるわねぇ」
「な、な、な、なに……?」
振り返れば、ベンチの背側から覗き込むように、きゃみさま。
どきり、と。
そう言えば、きゃみさまの方は、彼を。
"ユージン"のことを知っているんだろうか。
面識はない、と、彼の方は言っていた。
焦る俺を他所に、彼女は何だか含み笑う様子で。
「いまのは"男性"ね」
「っ!!」
ぎっくぅ!
って、俺が脂汗を垂らして何も言えないでいると。
彼女はそれほど長くない丈のスカートで、大胆にもひょいとベンチの背を飛び越え、俺の隣に腰を下ろす。
そして少しだけ乱れた桃髪に指先を差し入れ、整える様にひとはらい。
横目に。覗き込む様な細められた眼差し。
くすり、と、微笑んで。
「なぁにー? あたしの知らない間に、恋でもしちゃった?」
そんなことを。
そんなことを、嬉しそうな顔で言う。
一瞬でわからなかっただけだろうか。
それともフレンドカードに映る赤髪は、あくまで彼女の知らない、ただ男というだけであったか。
それはそれとして。
その態度に。
俺は──何故か──モヤっと、して。
彼女が。俺に良い人が、みたいな感繰りを。嬉しそうに。
喜んでいることが、なんだか。
「ねぇ、きゃみさま」
「うん?」
「きゃみさまは……俺が、女の子の方が、嬉しい?」
キョトン顔。きゃみさま。
艶っぽい唇を少しだけ尖らせて。
「何よ突然」
夜陰に凪。
俺の方から、何か二の句が出るわけでもなく。
間が持たなくて。
困った顔するしかなくて。
その時、本当に、どんな顔をしていたのか。
きゃみさまはぎょっとした顔で俺を見て。
「え、まってまって。どうしたのよなっつん」
「え……?」
俺が呆けた返事をしてみせれば、きゃみさまは一瞬唖然とした表情を作って、それから溜息。すげぇ深いヤツ。
それからようやく口の端を緩めて。
"ヤレヤレ仕方のない子ね"って。微笑むのだ。
「どうしたの。また、なにか、なやんでる?」
うん。
なやんでるよ。
間違ってもキミの敵にはなりたいくないのに。
"俺"という矜持はゼラを裏切ることを許せない。
状況がそれを許さないんじゃないかって。
どうしても、しかたなく、キミの敵になってしまったらって。
そんな天秤に、キミを乗せた事すら後ろめたくて。
そう思ったら、怖いんだ。
怖くて怖くて、仕方ないんだ。
ねぇ。俺が。何したら、キミは喜ぶの。
俺が、どうだったら、キミは嬉しいの。
長い葛藤は、しかし一切が口から吐き出されることはなく。
困った顔。きゃみさま。
溜息。再びの。
次の瞬間には視界が暗転して。
頭ごと胸に抱え込まれて抱きしめられる。
「そうね。以前は。貴方をちゃんとした女の子にしなきゃいけない気がしてたわ」
「…………」
「なっつん。男の子に戻りたいの?」
「わかんない。……もう、わからないんだ」
やさしく髪を撫でられて。
「どちらかに、決めなきゃいけないと、思ってる?」
「え……?」
「貴方の自認がどちらにもないなら、それでもいいんじゃないかしら」
「結局、ケンちゃんの言うとおりだし、貴方自身も言ってたじゃない。どちらでもない何かだって。貴方が其れで良いと思えば、それで良いし、アタシもそれで良いと思うわ」
「そりゃあ、そんな姿してるんだもん、対外的には"女の子のフリ"したほうが、トラブルは少ないでしょうね」
そこで、また溜息。三度。
「でも、我慢してないアンタの方が、断然──カッコイイわよ」
あえて、か。
可愛いって言葉を、避けた。多分。
「うん」
硬く目を閉じて。
はらりと零れる雫に、ようやく、嗚呼、自分は泣いていたんだ、と。
「ありがとう」




