第85回 「食べる」
「アイス・スネア!」
『す……ネあ』
高坂の肩越しに、いつもの獣の頭骨の悪魔が指をさし。
高坂の、その腕を振るう軌道になぞらえて、地面から突き出した氷が地を走り、疾走する獣をとらえる。
「ヴ──ギィィ!?」
氷結は獣の後ろ脚をとらえ、一瞬にしてその身を大地に縛り付ける。
が。
それでも止まらない。
有ろうことか獣は凍り付いた自らの後ろ脚をボキリと折り、そして引きちぎり、なおもこちらへ迫る。
「なっつん! 行ったわ!」
「くそ……!」
自分へと直進する獣。
ヴァルハラで会った着物の女性、伊春さんに教えてもらった歩法で。
滑る様に身を反らし、ギリギリのラインで突進を避け、すれ違いざまに其の前足に刀の峰を流し当てる。
進路上に"置く"だけで良い。勢いは向こうが勝手につけてくれている。
「鉄砕撃……!!」
ぱきり、と。
何か硬いものが砕ける様な、冗談のような手ごたえ。
刀か。獣の前足か。
ケンちゃんさんの鍛錬した鋼には、以前のエピソードもあって十分な信頼を置いている。
確信をもって獣の足の破壊を見送る。
それでも止まれず、獣は勢いのままに膝を折って転倒し、転がるようにして数メートル先へ。
四肢の半数を失い、流石に起き上がれず獣はもがくように転倒を繰り返す。
「降下ゥゥ」
以前にも見せた落下攻撃。ただし、今回は以前の様な強引な高度の取り方ではなく、近場の木の枝の上から。
「──槌撃!!」
きゃみさまの対人外規格刀、身幅30センチはあろうかという大剣が獣の胴を貫き、地面に縫い留める。
「ぷギ! ぎぃいいィィィィ!!」
だが──死なない。
それだけの惨状でありながら、獣。
野生の生命力とでも言おうか。赤黒い血をまき散らしながら、縫い留められたまま暴れる、それ。
動きを止めてようやく、確信をもってイノシシのような形をした、獣。
この世界では。
あらゆる生き物は死亡すると。システムに"死んだ"と断じられたその数秒後に、薄青く輝いて、透き通って、消える。
それはある意味救いであった。
だから、その獣は。
事ここに至って未だ、死ねないそれは、何処までも足掻いて。
死んでない以上、何処までもそこに在り続けて。
生きたい、と、願っているように見えてしまうんだ。
一度、目をぎゅっと閉じて。
意を決して、一閃。
カツ、と硬いものを叩くような音。
狙い違わず、獣の脳天を貫く刀の切っ先。
「……ごめん」
よかった。
一度で、済ませてあげられた。
そんな、感想も、独りよがりなもので。
西の大庭のハンターズギルドで請け負ったバトルクエスト、"食肉確保"という依頼。
推奨レベル23という、目下平均レベル20前後の俺たちでも何とかこなせそうな仕事を見つけて。
これが出来なきゃ他は皆推奨レベル30以上。おとなしく内職するか、しっぽを巻いてヴァルハラに帰るしかない。
近隣の農地を荒らす害獣を駆除、かつ捕獲することによって食用売却するというもの。こちらから森の前哨に侵入し、対象を補足するところから。
正直、リアルな野生過ぎる、というか。所謂畜獣に相当する獣一匹、"屠殺"する、ってくらいの考えだった。
だってどう見たってただの猪。
昔のゲームだったらさ。
ほら、こう、街のすぐ外を無警戒にブヒブヒ言いながら歩いているのを、後ろから徐に剣でバッサリ。
"ぷぎー!"
って、ある意味可愛い鳴き声あげて、イノシシのグラフィックスの眼が×になってさ。
すぅーって音もなく消えたかと思うと、なんでか調理済みと思しき"マンガ肉"みたいな、骨付きのフライドチキンみたいな、そんな形のアイテムがあとに残されている。
そんなだった。
だが、Thebesはどうだ。
血まみれで。泥臭くて。生き汚くて。
"討伐クエスト"じゃない。食肉確保、って、言ってた。
正直、このイノシシを殺害した後、食肉用に街へ運ぶフェーズがあって、その死体が消えないんじゃないかって、怖かった。
薄青く輝いて霧散する獣のその後に、討伐証明用の"耳"だけが残されたことに。
心底安堵した。
ぐるぐると。
目が回って。視界が白濁して。
いつの間にか、きゃみさまに支えられて立っているのに気が付く。
森の中。鳥の声。虫の音。せせらぎ。風の匂い。世界に。色が戻って。
「あ──ご、めん」
そう言って、自分の足で立てば、きゃみさまは俺を覗き込んで首を振る。
鮮やかな桃髪が、揺れて。
「こっちこそ仕留めきれなくてごめん。──アンタにやらせちゃった、わね」
「いつまでも"殺すの怖い"とか言ってられないよ。ゲーム、なんだし」
「無理しないで、なっつん。絶対バトルでなきゃいけないってわけでもないよ」
そう言って、イノシシの耳を革袋にしまい込む、高坂。
あれを依頼主に提出することで、別途解体屋がここを訪れて。
俺たちには見えなくなったイノシシを解体して街に持ち帰る、らしい。
あれが、例えば"豚"だっとして。
それはThebesに限った話ではなく、現実にもあり得る屠殺。
如何にして自分の"食"が、他人が血を見ることによって成り立っているか、なんて場違いな実感を、こんなところで、して。
見えなくしてくれていることに感謝しつつ、俺たちも街へと戻る。
結局。
まず、ハンターズギルドに"耳"を見せて、討伐証明。
これの討伐報酬が600シルバー。
次にその耳を依頼主へと持って行く。
こちらは出来高制となっていて、討伐した獣の体格や市場価値次第で変わるが、食肉用の売却額に応じて追加報酬がある。
「嬢ちゃんたち、でっけェの仕留めたねェ」
なんてNPCに言われたりして。
そっちが1260シルバー。
「ヴァルハラの10レベルクエストと比べると段違いねェ」
ズシリと重い、銀貨入りの革袋を持ち上げて、きゃみさま。
「確かにね。でもまぁ、次は"内職"にしよっか……」
「…………」
畜産農家らしい依頼主の農場。納屋の壁にもたれて、顔を覆ってへたり込む、俺に。
「ヴァルハラまでゲートクリスタルでファストトラベルすんのに、いくらって、言ってたっけ……」
「……ひとり、5800」
高坂は困った顔で答えた。
俺の我儘で、ゼラを追いかけた。
二人は俺が巻き込んだ。
いつまでも甘えたことを言っていられない。
これはゲーム。
ゲームだ。
結局、その後は俺に気を使って、西の大庭でも探せば"バトル絡まない依頼"ってのは有って。
農場区画から商業区画まで木箱を抱えて、3人で3往復。
報酬額、全員で200──
「バトル絡まない奴でもうちょっとマシなのないかしらねー」
「ヴァルハラみたいに、近場に鉱床とかは?」
「こっちじゃ鉱物資源ってあんまりポピュラーじゃないみたい」
「まぁ、根気よく続けるしかないよ。明日からどうする?」
「そうね。各々バイトとか終わったらなるべく早くでログインして、ちょっとでも稼ぐ。一人の時はバトルしないで。あ、フレンドのログインアラーム、オンにしといて」
「わかった。……なっつんもそれでいい?」
「うん…………うん……」
慣れろ。
慣れろ慣れろ。夏彦。
殺せ。
殺せ殺せ。殺して、食え。
こんな、ゲームに。それは俺の"在り方"を歪められてやしないか。
現実に、小動物、例えば猫とか。
無感動に縊り殺せるようになってしまった自分を想像して。
また、顔を覆って。
錯覚か、その手のひらにわずかな血の匂いを感じて。
二人にバレないように、涙ぐむ。
"慣れちまうしかない──慣れちまうことが、怖いのかもしれない"
ケンちゃんさん。
このゲーム。なんで。こんなに残酷なの。




