第64回 「この姿が、本当」
"説明してくれるかしら"
きゃみさまの静かな詰問に。
「そう……だね」
アイスコーヒーのグラスがかいた汗を、するりとひと撫で。
晩夏の日曜朝。喫茶"ソラリス"のボックス席で。
高坂が口を開く。
日本人形の様な、長めの黒髪おかっぱ頭。夏用のセーラー服。膝下丈のスカート。
静止画で見た時に、自分で"モブ"と評したそれは。
見上げる高身長が、目のまえで動き出してみれば、むしろ女子高の百合王子。
ドキリと、姿勢を正せば。
「笑わないで──ううん、笑ってくれて……良いんだ、けど」
目を伏せ。躊躇う。
揺れる琥珀の瞳。長い、睫毛。
こんなに、長かったろうか。
「その、怒らないで、聞いてくれる?」
「そんなわけ──」
「内容次第だわ?」
今更怒るわけが。ないだろって。
否定──仕掛ければ、厳しい口調で、きゃみさま。
絶句して隣の相棒を見やれば、あくまで譲らないといった態度。
「うん。……そうだね」
高坂は迷い迷って。躊躇って。
「まず、この姿が、本当。いつもの僕が、嘘」
息を、飲む。
眼を見開いて。
どうして。そんな生き方を。
いつも、どういうつもりで、俺たちの前で。
それらは、うまく、言葉にならなくて。
なにも言えないでいるうちに、高坂はわずかにこちらへ目を向けて。
「なっつんはさ。僕と同じ学校、学年だけど、見た事、ないでしょ? 僕の事」
「あ、ああ。たしかに、ない」
「学校に許可を取って、普段からこの格好で授業を受けてる。──廊下で何度もすれ違ったの、気が付いてないでしょ?」
「えっ……」
まるで。
気が付かなかった。
俺は俺で、学校では"昔男だった女"に対する興味を躱すのに、いっぱいいっぱいだったのもあるが。
「な、んで」
そう、なんで。
何でそんな生き方、するのか。
俺の中にはそうではないという常識があって。
男なのに、女の子のカッコするのはおかしいって。
普通はそうじゃないはずだって。
普通──なんて、どの口が。
「子供のころから、違和感があった。男の子の格好をするのに、耐えがたい嫌悪があって」
「中学の頃には、両親に打ち明けるに至って。母親の理解は得られたけど、父には、その、少し、否定されてしまって」
語る、高坂は、少し、自嘲気味に。
笑ってくれていい?
笑えない。笑えないよ。
「両親は今、別居中で、僕は母方にいて。それで、母の勧めで、南校に」
「うちの学校、性的マイノリティにかなり寛容なんだよ。なっつんや僕以外にも何人かそういう生徒がいるの、知らない?」
しらない。
いや、入学当初聞かされたかもしれないが、俺は俺で、自分のことに手いっぱいで。
「で、でも、いつものお前は!? 俺たちの前で、そんな素振り──」
「──すっっっっごい、我慢してたっ」
すこし、吹っ切れた様に、でも苦笑交じりに、高坂。
「──なんで、なっつんの事、好きなんて言ったの?」
今まで口を挟まなかったきゃみさまが。
すこし、苦しそうに。
苦し、そうに。
そりゃそうだ。だって、きゃみさまは高坂のことが好きで。
"男としての高坂"が好きで。
「それは、本当に申し訳なかったと──」
「──違う!」
語気に。ぴくりと、喫茶店の従業員が目を細めて、こちらを見るくらいには。
すこし、強く、きゃみさま。
「今、謝れなんて言ってない」
きゃみさまが。高坂のこと好きなはずのきゃみさまが。はっきりと怒りの感情を乗せて、高坂をにらむ。
俺も、高坂も、驚いたように目を見開いて。
「理由を聞いてるのよ。なんで、なっつんに、好きだなんて、言う必要があったの?」
それは、本当なら俺が問うべきであったか。
高坂を問い詰めるに、辛そうな彼女の横顔。
しかし声を上げるに手遅れ。そしてその返答は俺も知りたいところで。
問われた高坂は絶句し、言葉を止め、苦い、苦い、顔をした。
俯いて。間があって。それでも視線をそらさないきゃみさまが居て。
なんだったら。問い詰めてるきゃみさまの方が。
泣きそうな顔してるのに、気が付いてしまって。
やがて絞り出すように、高坂。
ぽつりと。
「釣り合いが取れる、と、思ったんだ」
「釣り合い……?」
「"僕"という生活は破綻していた。父に否定され、それでも母親に支えられ、足掻いて」
「でも、日々男の形になっていく、なりたい姿から遠のいていく状況に、もう、現界かも、って」
「そんなとき、なっつんのことを知った。入学早々、同じ出身校の女の子に素性をバラされて、騒ぎになってたから、僕側からは気が付いてた」
「その頃のなっつんは、"男の子になりたい女の子"みたいだった。だから、ほとんど真逆の僕と、釣り合いが取れるんじゃないかって。キミを好きになれたら、僕は、普通の男になれるんじゃないか、って」
たしかに、俺の立場は、素性は。
高坂にとって”そう、言い訳する"のに都合の良いものだったのかもしれないが。
しかし。
俺が迷ううち、きゃみさまが口を開く。
険しい顔をして。
「なっつんを、騙して貶めようとか、そういうつもりは、ないのね?」
高坂ははっとした様に顔を上げ。
そこだけは、はっきりと。
「──誓って、ないよ」
「なかったとして、もし、なっつんが貴方の偽りの好意にこたえてしまっていたら、これはひどい侮辱だわ?」
「! お、俺は──」
「なっつんは黙って!」
否定し掛ければ、強い口調で、きゃみさま。
びくりと。口を噤めば。
きゃみさまはこちらを目線だけでチラ見して。
見落としてしまいそうなほど、わずかに。口には出さずに。
唇の動きだけで。
"ごめんね"
って。
一瞬後には目線を戻していて。
「この場の同情で有耶無耶にしていいことではないわ」
「うん……」
高坂は苦く。苦く。苦く。口を引き結んで。
わずかに俯いて。
「──うん。本当に、酷いこと、したと思う。もし糾弾するつもりがあるなら、甘んじて受け入れるよ」
「そう……」
きゃみさまは何か、耐える様に歯噛みして。
眼を閉じて。
やがて、脱力するように、わずかに震える息を吐いて。
「なら、アタシには言う事も、聞きたいことも、もう無いわ」
まるで突き放す様に、そう言い放つ。
すん、て、ひとつ。
鼻をすすり上げる様な呼気と共に、席を立つ。
"アタシ、ちょっとトイレ"
そう言い置いて、席を外してしまう。
え、いや、でも、それ。
きゃみさま?
明らかに尋常ではない態度で、席を立ち。
背を向ける、その横顔は。
でも、だって、そんな。
──放っとけるはず、ないじゃん。
さりとて。
眼前には苦渋に満ちた顔で下を向くしかない、高坂。
こいつを一人席に置いて、きゃみさまを追いかける?
どうしたら。
どうしたらいい。
こんな2択、望んじゃいなかった。
こんな男女を"許してくれる"友人に挟まれて、もう一度、いつまでも、こころ健やかで居られるんだって。
俺は、安心して良いんだって。
「~~~~~~~~~~!」
久々に心乱れて。
なんだか、消えかけた"夏彦"が、今の俺を許さないって、後ろから。
その肩に手をかけるみたいに。
ああ。
ああああああああ。
もう!
たん!
って音を立てて、テーブルに手を付き、立ち上がる。
単純にびっくりしたって顔した、高坂。
今この一瞬だけは小難しいもやもやはすっぽ抜けてるような、ある意味すっきりした顔。それに。
「──ごめん! 俺も、トイレ、行ってくる」
「え……う、うん」
「高坂、ここでまってて」
「…………」
「絶対に! まってて」
「なっつん……」
俺は今、どんな顔してるだろうか。
一世一代の情けない顔、とでも言おうか。
単純に泣きそうな顔してるだろうか。
自分でわかるのは、ただ、歯噛みして。
「──たのむ」
少し、間があって。
「僕には……何を言う権利も──」
「違う!」
何の皮肉か。きゃみさまと同じ言葉を、荒げて。
「そういうんじゃ、ない。うまく言えないけど、そういう、事じゃ──」
もどかしく、そう零せば、高坂は。
なんだか、都合よく。
"全部わかってるよ"みたいな、そんな苦笑いで。
「うん」
「わかった」




