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第58回 「強■わい■つ」



 ついに始まってしまった新学期。

 今日はその登校初日。


 嗚呼、憂鬱だ。


 なんでかって?

 そりゃ学校なんて、未だ以て、俺にとっては"居づらい"だけの場所だから、だ。



 気だるい朝。

 定刻起床。

 久々のセーラー服。


 自分が自分であると自覚するのに精いっぱいなこの頭に、何に使うかもわからない知識を詰め込みに。

 余計なものなど何も入っていない学生鞄と、余計なものしか入っていない小さなポーチと。

 きゃみさまに言われて用意した、ハンカチとか、可愛い絆創膏とか、なんか薄く色のついたリップとか持ち運べるサイズの化粧水のボトルとか。

 ──ハンカチはともかく、可愛い絆創膏とか卒業するまで出番がないことを切に願うよ。



 9月──


 暦の上ではすでに夏ですらないというのに。

 空は高く。日差しはなお溶け入るように白く。




◇◆◇◆◇



「神谷さんてさー。元男だったんでしょ? ホントに今は女の子なの? "証拠"見せてよ」



 ……これだよもう。


 自分のクラスのある、学年の廊下。

 その片隅で同学年の男子生徒数人に取り囲まれる。


 万能感、って、奴だろうか。

 男数人で取り囲めば腕力では絶対にかなわない。

 リスクがないと信じ込んだ(・・・・・)顔。

 顔。顔。顔。


 リーダー格の、俺に詰め寄る男子生徒。

 知ってる。確かクラスメイト。佐藤……何とか。

 大それたことができるのは──否、してしまえる(・・・・・・)ほどのバカはこいつだけ。

 あとの取り巻きは人除けの壁。あるいはついでのラッキースケベにでもありつければ、と言った体の。


 ……ため息が出る。

 もう2学期だぞ。こんな興味本位、一通りやり過ごしたと思っていたのに。


「そんなことをする、義理も、義務もない」

「うるせぇよ。"男女"にゃ人権確保の為に証明する義務があんだよ!」


「どうやって証明する?」

「スカートめくって見せろよ。ちんちん無かったら許してやる(・・・・・)よ」


 ニタニタと嫌らしい笑みを浮かべて。

 ああ、これ、バイト先のことがなければ心折れていたかもしれないな。


「お断りだ。今無い(・・・)ことが昔在った(・・・・)証明にならな──」


「いいから見せろよ!」


 業を煮やしたように。興奮した様に。

 こいつなら後ろめたい過去があるから断れないだろう。

 合法的にエロいことできるんじゃね?

 できるはず!

 させろよ!


 って言う下衆な考えが、その顔にありありと。

 性欲に突き動かされて、歯止めが利かなくなってるのか、元々考えなしなのか。

 流石に実力行使は御免被るので、無遠慮に俺のスカートに伸ばされたその手を取る。


「それは、明確な"強制わいせつ"って奴だ。続けるつもりなら抵抗もするし、事後、お前を法に訴えもするが」

「てめぇ、男女のくせに生意気なんだよ!」


 殴って黙らせようってか。

 後ろめたいことがあるのは──悪いのはお前のはずなのに、口答えしやがって。

 そんな無茶苦茶な理屈が、こいつの頭の中では正当化されているんだろうか。


 きっと。"殴って何とかなってしまった成功体験"が裏にあるんだろう。

 絶対優位に立ったつもりの何か。

 学校って怖いな。表ざたにしたくない学校がひた隠しにして、こういうのそこかしこで起こってるんだろうか。

 ああくそ。痛いのはできれば勘弁してほしいな。


 ゴッ!


 鈍い、音がして。

 視界が揺らぐ。

 頬、腫れるだろうか。

 きゃみさまに見せたら金切り声あげて激怒しそう。

 くそ、グーだよ。女相手に。



 肩を掴んで壁に押し付ける。

 打ち付けた背中が痛い。普通、この歳になったら女性の扱いとして当然ある手加減が、この馬鹿にはない。

 痛い。

 くそ。こんなただ暴力ひとつでなすが儘なんて悔しい。むかつく。


 睨み返すも、相手は下卑た笑いを浮かべて。

 俺を壁に押し付けたまま、もう片方の手で徐に俺の胸をまさぐった。


 瞬間。


 ああ、まただ。

 電撃が走ったようにびくりと。自分の肩が跳ねるのがわかる。

 硬直し、何も出来なくなる。


 "威勢の良いこと言って、結局ビビってんじゃねーか"


 そう言わんばかりの、佐藤の満足そうな顔。

 くそ。


 くそ。くそ。くそ。くそ。くそ!

 本当に何もできないのか。


「ほらぁ。胸だってぺったんこじゃんか、神谷さんよぉ。これで女ってちょっと無理があんじゃないのォ?」


 ぞわりと。

 それは恐怖か。嫌悪か。羞恥か。はたまた怒りだろうか。

 虚象(ガネシャ)の時に似た感覚──じゃあこれは。


 殺意、だろうか。


 

 動かない掌。が、震え。握り。締めて。

 動け、た。


 嗚呼、動けたとして。

 殴り合いになったとして。

 同年代の男と本気で殴り合って。

 勝てるわけがない。


 勝てるわけがない、けど。



 ぱん!



 殴った。

 その瞬間。なにか。

 自分の中でひとつ吹っ切れる。というか。タガが外れた。ような。



 振りぬいた拳が、わずかばかりも佐藤を仰け反らせる。

 相手だってもうグーで殴ってんだこっちだってグーで良い。

 ああくそ。殴った手が痛い。


 面食らった様に眼を見開いて硬直している佐藤。

 相手にしてみれば、無抵抗になった相手に、これから好き放題出来ると確信した後。

 それが一瞬後には怒りの形相に変わって。

 まるで、癇癪起こした子供みたいな感情がその顔から。


 ああ、目的が。わいせつ。から。暴力。に、変わった。

 これから無茶苦茶殴られるのかな。

 こいつは余りにも馬鹿で、馬鹿ゆえに、世間体も何も考慮しないで、相手が女でも容赦しないで思い切り殴るだろう。

 ああもう。なんでこうなる。


 俺が、何したってんだ。



 目の前で拳を溜めて、佐藤の殴りかかるモーションが、やけにスローに。

 なんだよ。走馬灯かよ。


 さすがにもう、心折れて。

 痛みに身構えるというか、眼を瞑ってしまう、その直前に。



「とうッ!!」



 場違いな掛け声。

 瞬間。

 横手から、佐藤の顔面に。

 学年ひとつ上の色をした上靴がめり込み。

 翻るスカート。

 女子生徒。



 まるで呪縛が解けた様に。

 金縛りが解けた様に。

 スローだった視界が急速に色を帯び、動き出し。


 顔面を遠慮なく蹴り飛ばされた佐藤が横手の窓際迄吹き飛び、転がる。

 なにが、と目を向ければ、浅黒い肌に目にも鮮やかな長い金髪。

 それを高くポニーテールに括った女生徒。

 うちの学校のセーラー服着てるから、たぶん、女生徒。


 そいつは何やら見覚えのある、大きな金の輪の耳飾りを揺らして。




「よ。面白そーなことしてんな! アタシも混ぜてくれよ!」

 



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