第50回 「世界の半分がクマ」
「このヘタレ」
「何とでも言え」
白昼。雑踏。商業区は運河沿いのマーケット。
伊春さんのいなくなった、ケンちゃん武器防具店。
店主と二人、ぽつねんと佇んで。
ケンちゃんさんが伊春さんのこと好きなのなんてバレバレで。
向こうはある程度油断した姿晒すくらいには、ケンちゃんのことを信頼してるんだから、もう少し攻めてもいいんじゃないかって。
ちょっとやきもき。
「じれったいんスよ。ケンちゃんさんたち」
「相手は全然その気じゃないかもしれないだろ」
「でも──」
食い下がる俺に、ケンちゃんさんは珍しく本気でイラついたように顔を歪めて。
「それを、フユキのこと躱しまくってるお前が言うのか」
「!」
台詞と共に、いきなり手首を掴まれ、引き寄せられる。
ぶつかりそうなほど顔を寄せて、凄まれる。
言われたことがごもっともなこともあるが。
威圧的に覗きこまれ、動けない。
そう、手首を掴まれた、その瞬間から。
顔に出ていたんだろう。怯えた顔しちゃったんだろう。この人相手に。
ケンちゃんさんははっとした顔になると、すぐに俺の手を放す。
「──す、すまん」
今のはどう見ても俺が悪かった。
人の気持ちに踏み込んで、安易に、勝手を言った。
それでも先に謝ってくれちゃうんだ、このお人よしは。
でも俺はどちらかというと別の、もう一つのことが気になって。
先程までつかまれていた手首を呆然と見下ろす。
この人相手でも、動けなくなっちゃうんだ。って。
「お、おい、ナツヒコ……?」
どれだけ呆けていたのか、今度は心配したような顔で覗き込まれる。
「すまん、怖がらせたか?」
そんなセリフに。
違う。怖く、なかった。
ケンちゃんさんだから怖くなかった。
怖くなかった。はずなのに。
身体は委縮して、全く動けなくなった。
なんなんだ。
なんなんだ、この身体。ちくしょう。なんなんだよ。
耐える。が、否応なく顔が歪むのがわかる。
いとも簡単に涙がこぼれる。
だから。なんで。もう少し我慢できるだろう。
色恋沙汰でからかって、たしなめられたら簡単に泣き出して。
怒らせて、困らせて、相手は自分の恋路でいっぱいいっぱいだってのに、ややこしい異性の身分で。
なんて忙しい女だ。なんてはた迷惑な奴だ。
◇◆◇◆◇
気が付いたらケンちゃんさんのお店の奥で、いつもの丸太椅子に座らされていた。
どうやって座ったのか覚えてない。何それ怖い。
いや、まぁ、収集つかなくなってる俺の手を引いて、ケンちゃんさんが、ってことなんだろう。多分。
「で、今度はなんだって?」
対面に座った、ケンちゃん氏から。
ああ、もう、後ろ頭をがりがりとやる音が聞こえる。迷惑、かけてる。
「い、言わなきゃ、だめ……スかね」
「お前、ここまでやっといて説明なしはないぜ」
俯きながらも、逃げる様に逸らされる俺の視線を、ケンちゃん氏のそれが追いかけてくる。
にげてにげてにげ切れず。ついにはきゅっと目を閉じて。
「さ」
「さ?」
わずかに顔を上げて、鍛冶師の顔を覗き見る。
ウンザリ顔ながらも、怒ってはいない様子。ああホント。ほんともう。申し訳ない。
「最初から、説明しますね……」
顔を上げ、でもまともに目を向けられなくて、逸らして。
「おう」
ふんす、と息を吐いて。足を汲むケンちゃん氏。
聞く体勢。
すう、と、息を吸って。
「つい先日、リアルで怖い目に遭ったんです」
ケンちゃん氏の眼が、ピクリと釣りがる。しかしながら大事に至っていれば、今ここでこんな風に話せないだろう。
彼もそれはわかるのか、口は挟まない。
「バイト先に現れた、大学生くらいの客でした。ナンパするみたいに話しかけてきて、強引に俺の手を取りました」
「いやだ。きらいだ。俺の事女だからって舐めてかかって、あわよくば自分の都合を押し付けようとしてることなんて見え見えで」
「頭の中じゃ、気持ちの上では、そんなやつ、蹴とばしてやる、くらいに思ってるのに。思ってたのに」
思い出しても悔しくて、そんなんで、そんなちょっとしたことで、再び涙ぐんでしまう自分にもいら立って。
「でも、できなかったんです。ビリッって。感電したみたいに動けなくなって。相手のなすが儘で。怖くて」
「Thebesの中でも似たようなことがあって。きっと本気で抵抗すれば、全く歯が立たないなんてことないのに。でも"きっと敵わない"と思ってしまうような相手に、最初から全く抵抗できなくて」
「なんなんだ。この身体。思った通りにすら動いてくれなくて。俺、俺、こんなに、よわく、なって」
で、ここからなんだけど。
ここから、なんだけど。
「それ、で。さっきケンちゃんさんに腕をとられたとき。同じようにビクッてなって」
「大丈夫だと思ってたんです。貴男ならきっと大丈夫だって、漠然と。でも動けなかった。散々お世話になってるのに、拒絶するみたいに! そんな失礼──」
「はいそこでストップー」
「!???」
話が熱を帯び、止められなくなりそうになった矢先。
そんな横やり。
目を白黒させながら彼を見上げる。
制止のジェスチャーのまま止まっていたケンちゃん氏が、すっと指を一本たてる。
「まず。失礼でもなんでもない」
「え」
「親しき仲にも礼儀は有って、逆を言えば油断しきって良いものでもない。俺は苛ついてお前を威圧した。それには防御して然りなんだ。なにもおかしいことはないぞ」
「でも、防御っていうか、反射で拒絶、するみたいな……」
ケンちゃんさんは少し考える風に首を傾げ、徐に丸太椅子から立ち上がる。
そして俺にも手を差し出して、立ち上がるように促す。
高身長。今は、そびえる様に高い。俺とて昔は同じだけあったはずの180センチ。
手を引かれ、立ち上がってなお見上げる、それ。
「160くらいか」
「えっ?」
「身長」
「お、俺ですか? いまは……158です」
「ちなみにオレは180丁度」
「はい」
「このぐらいあるとさ。世の中のほとんどは、自分より下にあるんだ。特に日本に住んでれば、なおさら」
「はい」
「おまえだって、そうだったろ?」
「……はい」
意図が読めない。ケンちゃんさんは何が言いたいんだろう。
少し、不安気に、彼を見上げる。
やさしい顔がある。優しい目をした好青年の顔がある。
「逆にさ。オレが22センチ上を見上げたらさ。そいつは外国人スポーツ選手か、さも無きゃ"クマ"だよ」
「そりゃクマが居たら怖い。オレだって、面と向かってはるかに見上げるやつがいたら、怖い。ビビる」
「それは敵意の無い相手への過剰反応じゃない。失礼でもない。潜在的にそういうモノを恐れる"本能"だよ」
眼を、細めて。
「お前はサ。ニンゲンってものは見下ろすもんだと思って生きてきて。ある時突然世界の半分がクマになっちまったんだ。そりゃあ怖いさ。怖かった、だろ?」
そう言って、俺の顔の前に掌を掲げ、確かめる様に。
俺が怖がらないのを確かめてから。
ゆっくりと頭を撫でた。
「は……い」
俺は、撫でられるままに俯いて。
涙ぐんでしまうのを隠すように俯いて。
「だったら、仕方ないんじゃあ、ねぇかなぁ」
ぶわりと。抑えられない涙が。
眼を閉じれば零れて落ちるだろう。
意地を張る様に足元を凝視、して。
「あ、なたは」
「うん?」
「いくらでも言い訳を考えてくれちゃうんですね」
「おう。まかせろ、得意だぞ!」
歯を見せて、さわやかな、笑顔。




