第27回 「"女の子の日"が、来る」
──"先生"ンとこ、行こう。
原因不明の性転換の末、女の子になって、2年。
散々打ちのめされてきたつもりだった。
色んな事を乗り越えて、"俺"の女の子生活はそれなりに安定してきたのだと。
そう思っていた。
──"性欲"
そりゃそうだ。誰にだってあるだろう。
こうなる以前の俺にだってあった。
中学2年。知り始めて間もない性知識。
可愛い女の子相手に、あんなこと、こんなこと、してみたい。そんな欲求、色々あった。知ってること知らない事。想像の及ぶこと、及びもしない事。
自分の身体を見下ろして、知ることになるなんて、想像すらしていなかったけど。
そしてそう思っていた自分と同じ感情が、他人から、まさか自分に向けられるなんて。
"考えもしなかった"
2年もあって、でも自分のことに手いっぱいで、そんな当たり前すら、想像したこともなかった。
自分だって、他人を、女の子たちをそんな目で見て置いて、自分が見られるのは耐えられないなんて。
でも気持ち悪くて気持ち悪くて気持ち悪くて。
耐えられなくて。
友人に泣きついた。愚痴って、吐き出して。勢いのまま、うっかり彼女のことも傷つけてしまいそうなことまで言ってしまって。
こうなった後の俺に色々世話を焼いてくれた、女の子1年生みたいな俺の、先生みたいな女性だった。
彼女はそうであることなど寸部も気づかせないが、彼女自身も望んで自らを改造した、性転換者だった。
male to female で、MtFとか言われるらしい。
勝手にこうなった俺が、"女の子を維持"するだけでも四苦八苦してるというのに。それは想像を絶する過程があったろう。
で、俺には、転換直後に、俺が"俺だと証明"するためにお世話になった医者が居て。
その後も不安定になる度に、カウンセリングみたいなものを受けてきた。
その友人には度々付き添ってもらったりしていて、つまり。
彼女の言う"先生"とは、そのカウンセラーのことなのだ。
◇◆◇◆◇
「おや随分早かったね」
件の先生。小柄で、男にしては少々長めの、ストレートの黒髪。冗談みたいな丸眼鏡。そして白衣姿がいっそ似合うといった体の。
鳥山氏。
俺が、ちょっと不安定になって、また相談したいって事は事前に伝えてあるはずだが。
まるでなんでもないことの様に、キョトン顔、みたいな軽さで、顔だけこちらを向く。
なんだったら、この、俺の感情がどうなるか科学者として興味はあれど、結果どちらに転ぼうが、俺の一喜一憂にはあまり興味がない、といった態度は。
それは転換直後も、何だったら今でも。俺には心地良い無関心さだったり。
いやカウンセラーとしてどうかとは、思うが。
あんなことがあった、翌日。8月22日、水曜日。
俺ときゃみさまは、県内でも県庁所在地である大都市の、国内でも最先端医療を扱うような大きな病院に来ていた。
俺のことは2年前から、そのフィードバック情報を対価に、手厚いと言えば手厚いフォローを受けてきた。
アポ通り、鳥山博士のいる個室を訪れてみれば、そんな出迎え文句。
「もう午後だけど」
白けた様に、いっそ冷たい口調で、同伴のきゃみさま。
烏丸博士はまたもキョトン顔。……したあと、ああ、と手を打つ。
「ちがうちがう。神谷ちゃんの話。早かったね。男の性欲に嫌悪感出るの」
「えっ」「なんっ」
二人して絶句。
ああもう。遠慮ない。
「なっつんのコレは、予想できたことだっての?」
何も言えないでいる俺を代弁するように、きゃみさま。
鳥山博士はちょっと余り気味な白衣の袖をペペっと、うっとおしそうに払いつつ、手元の資料を持ち上げる。
「うん。まぁボクの予想だともうちょっとかかるかなって思ってたんだけど」
「えっ……と?」
「トリさんもうちょっとわかりやすく」
うわ無礼。
前々からなんとなく思ってたんだけど、きゃみさまここの病院スタッフに妙に馴れ馴れしいというか。
俺がぎょっとして二人を見比べていれば、なんなら鳥山氏は、その態度に別に気分を害した様子もなく。
「んー、神谷ちゃんの男性の性欲に対する嫌悪感ってのはさ。普通の女の子が小学校高学年から中学生くらいの時に、誰しも抱く様なよくある感情と同じなんだよ」
「どういうこと?」
「二次性徴っていうの? ああいう多感な時期にありがちな"お父さんのぱんつと一緒に洗わないで"みたいな台詞よく聞くでしょ? あんな嫌悪感と一緒の奴」
「はぁ」
「真一君だって、切っちゃったあとしばらくそんな時期あったと思うけど。それが神谷ちゃんには"今来た"ってだけの話。まぁしばらくは悩ましいかもしれないけど、女性ホルモンに付きまとうしがらみってやつで、慣れるしかないよ」
「えっ」
説明はよくわかった。
それはいい。それは良いとしてあれだ。
ちょっと聞き捨てならんこと言ったぞこのひと。
俺が、エッ何それって顔してきゃみさまと鳥山氏の顔を交互に見比べれば。
きゃみさまは口をへの字に曲げて目を逸らす。
「ふ、二人はもしかして、俺のことがあった以前から知り合い……?」
「そうだよー。あれ、なんだ。真一君まだ言ってなかったんだ。そもそも真一君は──」
衝撃の事実をさらりと。
なんだか気になるその続きが語られるより早く、きゃみさまが鼻先に指を立ててシーッ! ってやって。
鳥山氏は溜息ひとつ、口を噤む。
「そもそも関係者でも無ければ、家族ってわけでもない。アンタの付き添いってだけで、全くの部外者がこんなとこ入れるわけないでしょ?」
仏頂面のきゃみさまが、そう口を尖らせて。
「そりゃまぁ、言われてみれば確かに……?」
納得するしかなく。
「で、話を戻すけど──」
「戻しちゃうんだ」
「ああもう。言える時になったらちゃんと言うわよ。ちょっと突っ込んだ話になるからまた今度!」
「──わかった」
彼女がそう言うんならそう。
そう思えるだけの過去が、既に彼女とは、ある。
俺がそう答えて見せれば、きゃみさまは苦笑ひとつ "ごめんね" なんて。
「で、"思春期の女の子メンタル"が今、なっつんに来たとして、それでどうして"早かったね"ってなるのよ。なっつん高校生よ?」
「──だが、女の子としてはまだ2歳に満たない。違うかい?」
「なる──ほど?」
「むしろ異例の早さと言っていい。肉体年齢にある程度引っ張られるにしたって、もう来たか。というのがボクの感想」
なるほど。
なる……ほど。
俺としてはそこまでの説明でずいぶん納得していたのだけれど。
鳥山博士は、んーと唸って、ボールペンをくるくる。
それをピタッとこちらへ突き付けたところで止めて。
「そうだなぁ。キミたちはそれなりにゲームする子たちだったよね。ゲーマーにわかりやすく言うなら"年齢16、性別2"ってこと」
「あ、あー。その表現は実にわかりやすい、です」
苦笑しながらそう返せば
「だからさ、夏彦君は人間レベル14、男の子レベル14まで順当に育ったところで、本来あり得ないはずの転職イベントが発生してしまったわけだ」
「そこでいったん人間レベル14、女の子レベル0を経て、その後2年を過ごすことで、今現在、人間レベル16、女の子レベル2、といった具合だね」
「成長はしているけど、性徴は全然してない。冗談のような現象だね」
「ほんと、"冗談じゃない"わね」
ご丁寧な補足。
笑えない冗談だ、と、真顔で、きゃみさま。
「肉体と性の年齢が乖離しているから、タイミングが違うというだけで、神谷ちゃんの反応はいたって普通の女の子のそれだ。他の子となにも違わない。そこは安心して良いと思うよ」
淡々と。その言葉、音だけ聴くなら、実に無感動そうに。
でもこちらの一番知りたかったことを、一番言われたかった言い方で言ってくれるんだよ。
一度、きゃみさまが
"科学者がそんな、多分だろうと思う気がするみたいに漠然と言っていいのか"
って、その態度を指摘したことがあったんだけど。
鳥山博士は
"前例のないことに何一つ確約なんてできない。ぬか喜びさせて落とす方が残酷だ。……彼女の前でこんな言い方、させないでほしいな"
とかなんとか。ドライなように見えて、全く俺の無事を願ってないというわけでもなさそう。
ずいぶん心救われて、でも相手の態度がこんなだから、諸手を挙げて"わぁ、ありがとうございますー"ってんでもなくて。
溜息ひとつ、頷いて見せるんだけど。
「続きがある」
──どうやらそれだけで終わらせてくれないっぽい。
博士は珍しく咳払いをして、続ける。
「うん、で、一方で男で居たいと思っているらしい神谷ちゃんの"自我"には申し訳ないんだけど──」
この博士から語られる"悪い知らせ"って奴には。
──奴にも遠慮はない。
申し訳ないんだけど、なんて前置きは建前でしかない。
ギクリ、と、姿勢を正せば。
「男のボクがこれ聞くの流石に憚られるっていうか、ボクでも遠慮しちゃうんだけどさ。ええと。聞かれて、答えるのやだったらヤダって言ってね。それも無理なら嫌な顔して首振るだけでもいいから」
あれ、この人がこんな前置きするのめずらしい。というかここまで気を遣うのめずらしい。
逆にいったいどんな話題を出されたかと、戦々恐々と居住まいを正し。
ごくり。と、自分が生唾を呑む音が聞こえるくらい。
「神谷ちゃん、月のモノ。まだだよね?」
「つ、つきのもの……?」
俺がわからんちんな顔してはにゃー?って首を傾げれば。
そして隣でハッとした顔してるきゃみさまに嫌な予感しかしなくて。
鳥山博士は"あー隠語でわかんないかーしかたないなァ"って後ろ頭をカリカリ。
「月経。生理。女の子の日。お股から不意に出血して、下着を汚して困ったりとかは──」
「わ、わー! わー! わー!」
そこまで言われりゃさすがに俺だって。
やめて二つ目くらいでもうわかったからこれ以上やめて恥ずかしいって目の前で掌をぶんぶんぶん。
「えーと、まだだよね?」
「は……い」
冷静になって。
我が身を振り返れば、ない。
確かにない。
それこそ今の今まで考えたことも、ない。
俺とて"そのこと"についてそのくらいの。"男が知ってる範囲の女の常識"くらいはある。
一部の例外を除いて、女性16歳ともなれば当然付きまとうはずのソレが、ない。
しかし、考えてみれば。
二年もたって。今この段になってようやく、考えてみれば。
たしかに。なんで。だろう。
「え、な……かった、の?」
なんか愕然とした表情のきゃみさまと目が合って。
「う、うん……」
「そ、そっか。アタシには唯一教えてあげられない部分だったから、話題にしたこともなかったんだけど……」
「でさ」
割って入るような鳥山博士の声に、二人、ハッとして振り向く。
何度も言うが彼にしては珍しく。彼にしては本当に珍しく言いづらそうに。
「神谷ちゃんの身体は、二年前に隅々まで検査して、完全な女性の形してるってのはわかってる。でもさ。神谷ちゃんの"女の子"はあの時生まれたんだよ」
「さっきの話でボクは、個人的には半ば確信をもって言うんだけどね。10年先、いや先程の例になぞらえて、肉体年齢にある程度引きずられるなら早くて5年先、とかに──」
その先を。できれば聞きたくなかった。
「──君にも、"女の子の日"が、来るよ」
そう、言われて。
流石に今さら取り乱すってんでもなかったんだけど。
「そう──」
スカートの上から、自分の下腹を手で擦る。
この腹の中には子宮がある。命を宿す穴が有る。
でもそれは、俺が使おうと思わなければ一生無関係で居られるんだと、漠然と。
"女の子になる"って、決めたんだろ。神谷夏彦。
なら良いとこ取りはできない。やっぱり、できない。
覚悟を決めて、この身体に付きまとう全て。背負って、生きなきゃ。
でも、でも。
「──ですか」
でも。やっぱり。すこし。すこし。おもい、なァ。




