第26回 「違ってていいの」
この姿になって二年。今更か。今日、この時か。といった感じだが、なんなら今日、はじめて。
自分を見る異性の視線の、その理由が"性欲"であると思うに至り。
それに耐えきれず。
バイト先で吐いて、今日はもう上がっていいからって、気を遣われて早退。
吐き切って、事務所で休んでいるうちに幾分か楽になり、仕事に戻ると言えば。
"すでに代打を入れてしまったから"
と、店長に止められる。
俺の代わりにレジに入った、品出しの高橋さん。
ガテン系みたいな体格の良い大学生で、いつもは裏方でレジまともに打ったことないのか、人差し指だけで打ってる姿を見てさすがに申し訳なくなった。
"やっぱり俺が"
と言えば
"いいから任せろ。たきゃはす凡人の1秒間2連打を舐めるなよ"
──冗談には、困ったような顔で口の端を吊り上げるくらいしか余裕がなかった。
そのまま駐輪場へ向かおうとすれば。店前で軽バンの荷台に、俺の自転車を積み込んでいる店長。
え? って顔してそれを見ていると
"一人で帰すわけないじゃない。送るよ"
迷惑かけて置いてそうまでされたのではと、遠慮の言葉を吐きかけてみれば。
"僕も男だし、今は男と二人きりはヤダってゆンなら無理にとは言わないけど。ただここでキミひとり黙って帰らせたら、僕が他のアルバイトから非難轟々だよ"
とかなんとか。
みんな。
みんなみんなやさしい。
ここ最近の俺を取り巻く周囲は、こんな人たちばかりで。
甘えていた。
道順以外は終始無言で車に揺られ。自分の部屋があるアパートへ。
で、今に至る。
部屋の鍵を開け、送ってくれた店長を振り返る。
「親御さんへ連絡は」
携帯端末を片手にそんなことを言う吉沢店長。
彼にしてみれば、預かっている学生が体調を崩して早退。報告の義務が、って事だろう。
しかしそれには首を振って。
「できたら、しないでください」
「しかし──いや、なんか事情が、ある?」
「俺がこうなった後、母は俺をよく庇ってくれました。──でも、そのせいで少し、おかしくなってしまっていて」
「心配かけたくない?」
「はい」
そう言ってみれば。
店長は何だか少し考える風で。迷って、なんか"苦渋の決断"みたいな顔して。
「このあと、神谷さんはまるきり独りかい? すがれる相手。愚痴を言える相手。相談できる相手。……居る?」
──それにはすぐに、思い浮かぶ相手が居て。
苦笑、して。
「居ます。ひとり」
そう答えれば、店長も苦笑を返して。
「ならいい。──ああ、明日以降のシフトはひと先ずそのままにしておくから。神谷さんがまだウチで働いても良いと思ってくれたなら、次に出勤する前に一度、電話して」
「はい。今日はすみませ──ありがとう、ございました」
「ん。何なら職場の愚痴なら僕が聞くよ。何時でもお店に電話しておいで。それじゃあね」
ニッと笑った店長が軽く手を振って、帰ってゆく。
軽バンが見えなくなるまでアパートの戸口に立ち。
力なく振り返した手が、ゆっくりと降ろされる。
さて、今日は、さすがに、疲れた。
◇◆◇◆◇
『なぁによそのクソ男! アタシが相手だったらキャン〇マ蹴り上げていつまでもあんなモンぶら下げ続けて生きてきたこと後悔させてやるのに! ファッ〇ンシット!』
「はは」
電話口で俺の代わりに怒ってくれるきゃみさまの怒声に苦笑いしながら。
いやぁ"どんな痛みか知ってるアタシらだから許されるよね"みたいなその物言いに、ちょっとだけ反応に困りつつも。
なんだったら"俺は返してもらえるんなら返してほしいんだが"みたいなこと言う時と場合じゃないよなっていうか。
部屋にすっこんで。
投げ捨てるっていうか、引っぺがすみたいにシャツもスカートも脱ぎ散らかして放り投げて。
今朝脱いでそのままになってた部屋着のロングシャツ一枚をすっぽりかぶって、ベッドに転がって。
我ながらズボラ。
──でも今くらいいいじゃないか。
何なら世の"普通の女性"たちだって、独り暮らしの部屋ん中じゃきっと似たようなもん。きっとそう。
そういう事にして。たのむから。今多分にやさぐれてるから。
"しょーしんちゅうのじょしこーせー"だから。
──すがれる相手、愚痴を言える相手。居る?
そう、聞いてほしくて。
きゃみさまに携帯端末でコールした。
事の顛末をざっくりと愚痴れば。
きゃみさまは怒ってくれて。
怖くて。男から向けられるあんな態度すら、俺がこんなだからじゃないかとか。
俺の態度が悪かったんじゃないかとか。
きゃみさまにさんざん言われてたみたいに無警戒だったんじゃないかとか。
俺の"今の姿"に、男が"思う事"に無自覚だった所為なんじゃないかとか。
自業自得、みたいにしょぼくれてる俺の代わりに、怒ってくれて。
嬉しくて。安心して。
こんな。寄りかかりたくなるのは、女だからだろうか。
それとも男のままこの歳を迎えていたとして、同じ心境だったろうか。
わからない。わからない。"俺"は二年前のあの時から、変わってしまったから。
ifを考えても答えは出ない。
「ねェ。みんな、あんなこと考えてんのかなァ」
『──みんな?』
「男? ……ううん、大人?」
『……あんな、コト?』
「だって、だってさ。俺、はたから見たらちょっとくらい顔整ってんのかもしれないけど、そんなん自分で見えないし。実感ないし。それにこんなちんちくりんなんだぜ? 俺、男の時の自分が今の自分を見たって何一つ興奮したりなんてしない自信あるよ」
『……うん』
「それなのになんだよ。胸見た瞬間、露骨に落胆したような顔隠しもしない癖に"可愛いね"とかどの面下げて言ってんだよ。胸はないけど顔可愛いんで及第点ですみたいな顔してさ! 良い返事しなかったら癇癪起こしたみたいに態度変えてさ! 子供かよ! お前何しに来たんだよ! 本買いに来たんじゃないのかよ……!」
『うん……勝手よね』
「ねェ。きゃみさま。その辺の男たちの何割かが、俺のこと見て"えっちなことしたい"とか思ってんのかなァ……」
『"はじめて"、"そうかもしれない"って、思っちゃった。のよね。』
「ぐす……ひっく。……うん」
「怖い……よね」
涙が、でてきた。
言いたいことぶちまけて。
あの大学生相手に面と向かって、即座に言い返せなかったこと吐き出して。
止められなくて。
「俺……なんで俺、こんな目に。やだ。こんな体になりたくなかった。あのままずっと、今まで通り生きてくんだと思ってた」
『──こんなこと。言って。ごめんね。でも、それでもアタシは貴女が羨ましいわ?』
「──!」
──"ねェ。オレがオマエのこと羨ましいと思わなかったとでも、思ってるの?"
瞬間、彼女が。泣きながらそう訴えかける姿が、フラッシュバックした。
彼女はMtF。望んで女性の形をし、そうであり続けようとした。
感情のままに。言ってはならない相手に。言ってはならないことを。言った。
でも。だからって。
「ごめん! ……ごめん。でも俺。ごめん。でも。でも……」
電話口から、溜息のような吐息が漏れ聞こえて。
『なっつんはやさしいなァ……』
「えっ」
『こっちこそごめん。以前、アタシが言った事、気にしてくれてるのよね。でもいいのよ。"今は良い"の』
「きゃみ、さま?」
『それでいいんだ神谷 夏彦。アタシは女の子になりたかった! だから今でも、あんたのその完全な女の子の体、羨ましくてしょうがないわ』
『──でもそんなのは。このアタシの。藤堂真一の個人の感想ですって奴。アンタは違うでしょ。違ってていいの』
『遠慮──させてたかしらね。ごめん。でもいいのよ。"羨ましい? だろうね。でも俺は違うんだ"……って。言ってもいいの。アンタはそう言ってもいいのよ』
ああ。
こんな人だ。
こんな人だった。
だからこそ、関係が破綻しかけた時、つなぎ留めたいと思った。
まだ、この女性の傍に居たいと、思った。
『ね。なっつん』
「う、うん……?」
『明日、"先生"ンとこ、行こう』




