表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/59

第25回 「神谷 夏日子」



「──さん! 神谷さん! 」


 びくり。と。

 店長の声で我に返る。


 気が付けば。吐き気を伴って、口を押えて、レジ裏の床にへたり込んでいた。

 客が。男性が自分に言い寄る行動の根幹に"性欲"を感じて、愕然とした。


「大丈夫?」


 聞かれ、しかし吐き気に口が開けず、首肯してみせる。


「──ごめん。もしかして対人業務に、何か嫌な思い出でもあった?」

「そういう……わけじゃ……すみませ……ん」


 言いつつも。


 気持ち悪い。

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。


 なんで俺がそんな目で見られなきゃいけない?

 いやこれも自意識過剰だろうか。

 きっと悪気なくやってる。

 彼等にとって"だったらいいな"くらいの期待度で、日ごろから思ってて。

 

「う」


 一度、大丈夫、というか無事を確かめる問いに首肯しておきながら。

 いよいよ吐き気が収まらず、店長の脇をふらつきながらすり抜け、トイレへ(・・・・)駆け込む。

 スタッフ用がわからず、客用のそれへ。


 個室まで持たず、手洗い場に取り付きざま、嘔吐した。


「ぉ え  え  ぇぇ  ぇ   」


 人の視線が気持ち悪くて吐くとか。

 "なんて無礼なヤツ"と思われただろうか。

 "そのくらいのことで"と思われるだろうか。

 弱すぎだろうか。潔癖だろうか。それは世の男性の、ある程度仕方のない所作にも我慢が出来ないという"傲慢"だろうか。


 でも、なんならいま、はじめて。

 自分が"そんな対象"になっているかもしれない、と、自覚した。

 それに、耐えきれない自分が居た。


「は  ぁ  」


 夕食前、それほど胃に何か残っていたわけでもない。

 でも嘔吐感の理由が理由だけに、胃の中身を吐き切ったところで吐き気が収まる訳でもなく。


「まず──」

「!」


「──全部、吐いて」


 いつの間にか、店長。

 洗面所の鏡に映る姿で。

 なんで。と思うものの、余計な問答してる余裕もない。


「も でませ ん」

「なら、場所変えるよ。スタッフルームまで歩けそう?」


「はい……」

「急かして悪いんだけど、ここ──」





「──男子トイレ」



◇◆◇◆◇



「…………──」



 本屋の裏の事務所スペース。

 面接ん時にも座った安っぽいソファ。

 だいぶ憔悴して。ハンカチで口を押さえながら息を整える。

 ハンカチ──なんて、いつも持っとけ、とかきゃみさまに言われて、実際トイレで手ェ洗った後以外で使う事になるなんて。


「少しは落ち着いたかい?」


 他のアルバイトにレジ打ちを引き継いだらしい店長が、追って事務所に入ってくる。ローテーブル越しの反対側のソファに腰を下ろして。


「すこ しは」


「返事無理にしなくていいからね」


 店長。やさしい。

 出会い頭に人を胸から見てくるような男が、例外なくクソかっていうと、そうでもない。大体の人は常識人だ。

 だとすれば"ああいう視線"は人間社会において普通の事(・・・・)なのだ。

 俺だけだ。

 俺だけが過剰反応してるんだ。


 そう思うとなんだか惨めな気持ちになって、じわり、と、視界がにじむ。

 恥ずかしい。こんなところで。ほぼほぼ他人相手に。


「えー……っと」


 店長は迷った風に、少し、どもって。

 そんな店長に。伺う様に、覗き込むように上目遣いになる自分にも、呆れて。


「俺……解雇(クビ)、ですかね」


 その言に、何かを迷う風だった店長は、それを一旦さて置いたように。

 なんか"なんでそうなんの?"みたいな意外そうな顔して目を見開いて。

 その後なんかヤレヤレって感じに溜息を吐いて。


「"俺"……ね。まぁ、神谷さんがこんなとこもういやだってんなら、止める権利はないけど」

「!」


 その物言いには逆に俺が驚いて。

 なんで。迷惑かけた。こんな扱いづらいことが分かったアルバイトひとり、普通は──


「なんで……あんなことになって、怒ってるんじゃ……」


 何とかそう返してみれば。

 店長はなんか、こう、方眉をキュィっと上げてへんな顔になったかと思うと


「──おいこら現代人(・・・)

「え」


「ったく。人間社会の悪いとこだけ見過ぎだ。今回の件は"そういう采配をした上司"である僕の責任。トラブルで空いたシフトの穴埋めに入ってくれそうなスタッフを、日ごろから揃えておくのも僕の仕事」

「そんな」


「むしろ謝らなければならないのは僕の方だよ。適性を見抜けず、安易に神谷さんをレジへあてがった。その結果は全て"責任者"たる僕のモノだよ。ウザ絡みされてるその時に止められなくてすまなかった」


「でも──」

「──おい、お嬢さん(・・・・)


「……この、吉沢(よしざー)店長を、見くびってくれるなよ」



 涙が、でる。

 みんなみんな優しい。

 何なら俺の周りはこんな人たちでいっぱいだ。

 すごく恵まれているんだと、思う。


 でも逆に、そうだからこそ。 

 そんな中で泣き言言ってる自分が、みじめで、恥ずかしくて。

 泣きそうんなって。そんなことで涙出そうになる自分にも"なんて弱くなったんだ"と。


 それから店長は何かを言いかけて、やめて。

 席を立ったかと思えば事務所を出て、表の自販機で買ったらしい、缶のドリンクを両手にもどってくる。


 有名な飲料メーカーの、ホットココアを差し出されて。


 とっさに、お金を払おうとして。

 もう以前の様に、サイフをポケットに入れて持ち歩くなんてしてない。ロッカーん中のあの何にも入らない小さな鞄の中だ、と。気が付く。

 そういえば、駆け込んだトイレが男性側であった。


 なにが。

 "女の子になることに決めた"

 だ。 こんなにも。 こんなにも。


 一連の動作が意味をなさず、萎れるように縮こまってみれば。

 店長は何度目か、溜息。


「キミ、もう少し大人に甘えなさい(・・・・・)

「は……い」


 お言葉に甘えて、ココアに手を伸ばす。

 あったかい。甘い。のって、こんな、落ち着く、んだ。


「で」

「!」


「きいていい?」

「──はい」


「神谷さん、キミは──実は男だったり──じゃ、説明付かないか。性同一性障害……ってのも違う。気がする。だったら男みたいな恰好(・・・・・・・)しようとする、か」

「…………」


「世は多様性だなんだ、と。そこに無理解ってわけじゃないつもり。だけどさ。キミの女の子として普通に可(・・・・・・・・・・)愛くしてるのにアイデ(・・・・・・・・・・)ンティティが完全に男(・・・・・・・・・・)ってことに説明が付けられない。──無理矢理させられてる?」

「…………」


「きいて、いい?」

「言っても、きっと理解されません」


「言わなきゃ"可能性"すらないよ」


 理解(わか)ろうと、してくれている。

 でも。だからって。うんざりなんだ。

 こっちは歩み寄ろうとしてんのに、心を開かないなんてひどい奴だ(・・・・・)みたいな物言い。

 そういう無言の圧力。もうたくさんなんだ。



 散々迷って。

 最後に店長が口を開いてから何分経ったか。


「店長」

「うん」


 即答だった。気を逸らしてすらいなかった。

 ずっと、待っていてくれた。

 


「そこの、デスクトップ(パソコン)で、"2044年" "△△市××中学校" "性転換" って、検索してみてください」



 店長は一瞬呆けた様に間抜けな顔をした後、すぐに真顔になって俺を見返す。

 俺は眉を寄せ、でも何とか、って感じで。結果的に自嘲気味に、微笑(わら)う。


 店長は無言で席を立ち、事務用のPCで俺の言う通りにキーワード検索する。

 それだけ重ねればほぼほぼ限定されるだろう。御多分に漏れず、当時俺の性転換劇を報道した、地方紙の記事に行きつく。


 店長はしばし無言で記事を読み入って。


 画面を盗み見る。記事に並べられた事前後(・・)の写真。男の時の自分の顔なんて久々に見た。


 やがて。

 "信じがたい"

 "信じがたい、()"

 って顔した店長が、何度も画面と俺とで、視線を往復させる。


 その態度に。

 そこに"が"が含まれていると、気がつくことができて。

 どれほど救われているだろうか。


「てんちょぉー……」

「…………」


「俺の履歴書、下の名前、見ました?」

「……うん」


「あれで──"ナツヒコ"って、読むんですよ」



 神谷(かみや) 夏日子(なつひこ)

 それが。今現在リアルで、俺が、対外的に名乗っている名前。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ