第三十七章 進撃 《諸君らに幸運を》 『ご武運を、皆さん』
ついに、その日はやってきた。
長かった戦いも、とうとう最終局面を迎えている。この戦いにおいて、決して敗北は許されない。
覚悟などとうに出来ていた。集った精鋭たちは、皆一様に研ぎ澄まされた刃のような顔つきである。
《……覚悟はいいか、などとは愚問のようだな。わたしが思っていた以上に、貴様たちは強靭だ》
リーンの幻影が私たちを見回して言った。
《紅の隊》隊長、エイミー。
《蒼の隊》隊長、コトネ。
《黒の隊》隊長、テオドール。
《黒の隊》副隊長、ミラージュ。
《紫の隊》隊長、グローリア。
そして、私――東城一輝。
さらには魔王であるリーネと、その姉であるリーンがバックアップに回る。
これ以上は考えられない布陣だ。残る三体の卑徒も、これならば打倒し得ると思わせるほどの。
各隊員からも選び抜かれた精鋭たちが集っている。残存戦力のほぼ全てを投入する作戦だと言っても過言ではない。
中央広場には巨大な魔法陣が敷かれている。魔王城からリーネが、卑徒の神殿からリーンが作り出した召喚魔術のための魔法陣だ。
周囲には、死地へと赴かんとする我々を見据える数々の視線があった。
ダクシムに住む魔族のほとんどがせめて見送りにと来てくれたらしい。
しかし、彼らの視線は期待よりも不安の方が色濃く見える。
彼らは卑徒に敗北してからずっと、苦汁を舐めさせられた者たちだ。そんな彼らが卑徒に勝つという希望を持つことは難しいに違いない。
ラティラの村の者たちのように、卑徒を畏れ神と崇める者だっているだろう。
家族や恋人、友人を卑徒や眷属に殺された者も大勢いるだろう。
――勝てるはずがない。
そんな声が聞こえてきそうなほどだった。たとえこれまで四体の卑徒を屠ってきたとはいえ、そう簡単に信じられないという気持ちも理解できる。
特にこの街の人間は、卑徒の恐怖を身近に感じ過ぎている。期待が失望、また絶望に容易く変じることを、よく知っているのだ。
だが。
だが、と。
そう声を上げる者がいた。
我らが魔王――リーネ・アストラプスィテである。
姿こそなくとも、その声は魔族たちを統べるためのもの。軽やかに耳朶を叩く鈴のような音色は、深く深く浸透していく。
『聞いてください、皆様。あなた方には、わたしの至らぬせいで多大なる重圧と負担をかけさせてしまいました。なんとお詫びすればよいのかすら、分からないほどに。ですが……どうか信じて下さい。愚かなるわたしではなく、自らの意思で抗おうとしている彼らを――どうか、信じてあげて下さい』
しん、と静まり返る魔族たち。視線の色は薄まり、俯いていた顔もまるで導かれるようにして我々に向けられる。
「あたしたちはずっと負け続けてきた。何度も、何度も。でも、だからって諦めるのは絶対に嫌。後ろを向いて倒れるくらいなら、這ってでも前に進む――それがあたしの生き方よ」
赤髪を靡かせて魔法陣へと進んだエイミーは、とても凛として美しい。竜族の娘はどのような時だろうとその誇りを失わない。
「……私はこの街で生まれたけれど、この街が憎い。憎いけど……それでも私が守らなきゃって、思う。私みたいなのは、もう沢山」
さらに続いたのはコトネだ。いつもと変わらぬポーカーフェイスのまま、しかし炯々と瞳に強い意志を宿らせて。
「フン、戦士に言葉など不要。戦って、勝つ。俺に出来るのはそれだけだ」
大きく一歩を踏み出したテオドール。彼は背中で語る男だ、その生き様を忘れることはないだろう。
「自分はワクワクしているであります。だって、思う存分覇を唱えられるのでありますから。小難しいことは卑徒をブッ飛ばした後に考えればいいでありますよ」
意気揚々と歩むミラージュ。彼女にとって闘いとは存在証明であり最高の娯楽である。
「お主ら、妾が帰ってきたときのために特上の酒を用意しておくのじゃぞ。卑徒の血なぞマズそうじゃからのう、口直しが必要じゃろうて」
『クケケ、俺サマに任せとけば万事解決、ってな。まあ目ぇかっぽじってよく見とけよ皆の衆――俺様、強ぇぜ?』
クルクルとグロリアスを回しながら進むグローリア。不遜な表情は本当に勝利を確信しているかのようだ。
魔法陣の中央に到達した五人が、こちらを振り返る。
思わず唇を歪めながら、私は彼女たちに続くべく歩き出した。
「人間よ、欲深くあれ。魔族たちよ――欲深くあれ。私は今から、やりたいことをやりたいように、やりたい放題をやり通させてもらう。異論は認めん、なにせ私は――強欲だからな」
魔法陣の中央へ到達する。蒼白い輝きを放つ魔力が胎動し、発動を今か今かと待ち構えているのが分かった。
ここから先は一方通行だ。恐らく、以前の時の様に逃げを打つことはできないだろう。
しかし、今度は逃げる必要などない。最終決戦だ――決着を、つけに行こう。
《準備はいいようだな。では、召喚の儀を行う――どうか諸君らに幸運を。そして卑徒を、わたしを殺してくれ》
リーンの声が響く。悲痛な覚悟を背負った声だ。自らが引き起こした厄災を他者に押し付けなければならない業に、心が焼き尽くされそうになっているのだろう。
『では、いきます――ご武運を、皆。わたしは誰よりも、あなたたちを信じていますから』
リーネが宣言するとほぼ同時、魔法陣が高速で回転を始める。
転移魔術とは異なる感覚。私がこの世界に来たときを思い出してしまう。
だが、どのような苦痛が訪れようとも私たちが止まることはないだろう。
視界が蒼白く染まり、徐々に浮遊感に襲われる。
全身が次元の狭間に吸い込まれ、溶けて消えていくような不快感の中、私の耳はしっかりと二人の会話を聞き届けていた。
《……リーネ、貴様はわたしが憎くないのか?》
『いいえ。憎くはありません……でも、嫌いです。だって姉さん、わたしにそっくりなんですもの』
ああ、なんだ。
やっぱり姉妹なのだな、君たちは。
私の意識はゆっくりと落ちて行った――まるで、滑落するように。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
反転。
脳をぐちゃぐちゃに撹拌される苦痛と不快感を乗り切ると、私は見覚えのある空間へ召喚された。
「ここ、は……」
病的なほど純白の空間。荘厳なる雰囲気と重苦しい重圧――間違いない、卑徒の神殿だ。
無事に召喚は成功したらしい。リーンとリーネには感謝しなくてはな。
いまだに揺れ続ける頭をどうにか覚醒させると、私は愕然とした。
周囲に誰もいない。エイミーも、コトネも、他の魔族たちも誰もいない。
これは一体どういうことだ。確かに私たちは同時に召喚転移されたはずだというのに。
その答えは、頭上から降ってきた。
『ようこそ兄弟――私たちのヴァルハラへ。私なりの趣向を凝らしてみたのだが、満足していただけたかね?』
ねっとりと絡みつくような視線、芝居がかった口調、私そっくりの相貌。
卑徒グリド・グリド……!
奴は悠々と地に降り立つと、中央に鎮座する透明な棺へと肩を回した。
内部にはリーンが眠りについている。こうしてみると、ますますリーネとうり二つだ。
そして、私と奴もまた。
『そう何度も何度も結界をくぐり抜けられるとでも? まったく愚かだな君たちは。もっとも、その愚行のおかげでこうして舞台を整えることができたのだから、感謝せねばなるまい』
慇懃にこちらを見下すグリド・グリド。
「なるほど、貴様の仕業かね。まんまとおびき出されたというわけだ。こちらとしては願ってもない」
恐らく、リーンがこちらをサポートしているのを察知されたのだろう。そうして泳がせておいて、獲物が餌にかかった時だけ横取りしたというわけだ。
『安心したまえ兄弟、他の者たちは何の問題もなく召喚されている。私にとって、君以外の魔族などどうでもいい。そこらの石くれに過ぎないのだから』
嘘ではない。こいつの持ち得る《強欲》は私だけに向いている。
グリド・グリドは私しか見ていない。いいや、違う。私の視点を得ようとしている。
本当に、私に成り替わるつもりでいるのか。
憎たらしいほどに寸分違わぬ容姿と態度で奴は言う。
『なあ兄弟、こいつはとても因果な状況だとは思わんかね。今、私たちの目の前にはそれぞれ親の仇というものが存在してるのだ。私にとってのトウジョウカズキ、君にとってのリーン・アストラプスィテというわけだ』
グリド・グリドは棺を撫で回した。私に見せつけるように。
「……なんのつもりだ」
『ふむ、察しが悪いな兄弟。つまり、仇をとれるのはどちらか一人だということだよ。私が君を殺すか、君がこの女を殺すかの二択だ。そして……仇を取ったほうが、本物のトウジョウカズキになれる。どうだね、ゾクゾクするだろう?』
「偽物風情が、盗人猛々しいにもほどがあるな。貴様などそもそも眼中にないし、リーンを殺すこともない。なぜなら、父を殺したのは――私だからだ」
そうだ、父の仇などと馬鹿馬鹿しい。あの男を殺したのは私だ、私なのだ。
だから裁かれるのなら私以外にありえない。リーネが姉に対してどのような感情を持っているにせよ、それも彼女自身が決めること。
私にリーンを殺す理由などありはしない。グリド・グリドは、単に私と同じ状況を作りたいだけなのだろう。
案の定、奴はつまらなそうな顔を浮かべた。
『ほう、なるほど。だが――アモン・アモンを、我々の父を殺した相手であるのに違いはない。つまり、君にはなくとも私にはこの女を殺すだけの理由がある』
そして、心底楽しそうな面で魔力剣を生み出し、棺に向けて無造作に振るった。
「させるか――!」
グリド・グリドに向けて雷撃を放つ。しかしリーンに当たるのを防ぐために、威力を最小限に絞った一撃は容易く防がれてしまった。
奴は既に《魔障壁》を完全にものにしている。私が相手に回るとこれだけ厄介になるらしい。
『く、ははは……さあ、俺を殺してみせろ兄弟! どちらが真の《強欲》か――はっきりさせようではないか!』
いいだろう、上等だ半端者。
これも同族嫌悪と呼ぶべきものだろう、私は貴様が生まれた時から吐き気がするほど嫌いだった。
「来るがいい、兄弟。兄より優れた弟などいないことを、その身をもって教えてやる!」
『それはそれは面白そうだ。是非ともやってみてくれたまえ長兄!」
こうして、卑徒との最終決戦は――
いいや、ただのちっぽけな兄弟喧嘩の火蓋が――切って落とされた。




