第三十六章 休息 「魔王に二言はありません」 「……無理するなよ?」
棺の女――リーンは、再び封印結界が弱まるまで眠りについた。
まだ生まれたばかりのグリド・グリドでは結界の強化は難しいであろうし、残りの卑徒の数を考えれば綻びが生じるのは避けられないらしい。
よって、次に彼女の幻影が現れた時、即ち結界の力が弱まった時が侵攻作戦決行の合図となる。
それまでの間我々は残りの眷属を掃討しつつ、来たるXデーに向けて英気を養えることとなった。
とはいえ、私たちの気持ちの整理も済んではいなかった。
グリド・グリド、リーン、アモン・アモン……あまりにも皮肉な運命とやらを感じずにはいられない。
最もダメージを受けているのはリーネだろう。彼女の腹違いの姉であるリーンの手によって卑徒は召喚され、彼女の父は死んだ。
それがリーネを狙った結果だというのならなおさらだ。
しかし、通信魔術越しに聞こえる彼女の声には一切の歪みがない。魔王としての責務を最後まで果たさなければ、とでも思っているのか。
それとも、姉の凶行すらも自分が招いたことだと思っているのか。
だとしたらそれは悲劇を通り越してもはや喜劇だ。優しさと甘さは違う、割り切りという非情な手段が選べないというのならいっそのこと切り捨ててしまえばいい。
そうすれば楽になれると分かっているのだろう。まったく、どこまでも強情な。
『……か? 聞いているのですかカズキ?』
ふと我に返る。水晶玉の向こうで、リーネがわざとらしく拗ねていた。
「ああ、すまない。少し考えごとをしていてね。ええと、何の話だったか」
『もう、しっかりして下さいよ……いいですか、こちらの準備は既に完了しました。姉さんの後押しがあれば、確実に卑徒の神殿に届くでしょう。いえ、何が何でも届かせてみせます』
力強く宣言するリーネ。
『わたしには、これくらいのことしか出来ませんから。本当はあなたたちと一緒に戦いたいんです。でも、クレスが生きていたら……きっとダメだって、叱られちゃいます』
「そうだな、きっとそうだ。彼女なら許さないだろうよ。なに、君は魔王城でいつものようにふんぞり返っていればいいさ」
『……わたし、いつもふんぞり返ってますか?』
「ただの比喩だよ。そもそもふんぞり返ったところで威厳も強調される胸もな……いや、すまない冗談だ冗談。そう怖い目をしないでくれたまえ」
水晶越しに呪い殺されそうな視線だった。魔王様に胸の話は禁句である。
「まあそれはそれとして、君は覚えているだろうね?」
『……はい? 何をですか』
キョトン、と呆けられる。私はこれ見よがしに溜息をついてみせた。
「次に会う時にはキスをする約束をしただろう。まさか忘れたとは言わせんぞ。言ったら問答無用でキスする」
すると、リーネは茹で上がったように赤くなってしまう。ころころと表情が変わるのがとても愛らしい。
『いや、あの、それは、その……た、確かにそんな約束もあった、ような?』
「とぼけるな。それに、愛の告白も途中だぞ。まったくこのへたれ魔王め……いいか、卑徒の神殿から帰ってきたらすぐに会いに行く。その時までに覚悟を決めておくのだな」
リーネはついに真っ赤になって俯いてしまった。
そのままぼそりと、何かを呟く声。
『……ですよ』
「ん? 何かね、よく聞こえないぞ。もっと大きな声で言いたまえ」
『……絶対、ですよ。絶対に絶対に絶対に、帰ってきて下さいね? 帰ってこなかったら、わたし怒りますから』
言葉とは裏腹に、今にも泣き出してしまいそうな様子だった。
自分が無茶なことを言っていると、彼女も分かっているのだろう。
今回の作戦は、いつものような防衛ではなく侵攻だ。そう易々とは帰ってこられない。
そうだとしても、リーネに暗い顔をさせたくはなかった。
「誰に言っているのだリーネ。私は単身で卑徒の神殿に乗り込み生き残った男だぞ。他愛も造作もないさ……ところで、その言葉からすると、承諾をもらったということでいいのかね」
『え、ええ。いいですとも。魔王に二言はありません。む、むしろどんと来なさい』
「声が震えているぞ、まったく……あまり無理はするなよ?」
私としても、無理強いをしてまで唇を奪いたいわけではないのだが。
とはいえ、次に会ったときにと言ったのはリーネ本人である。もしかすると、あの時も単にビビっていただけなのかもしれない。
『む、無理なんかしてませんー! 全然へっちゃらですからわたし! ほらほら、こんなことだって出来ちゃいますよ!』
半ばヤケクソ気味なリーネが水晶玉の向こうから投げキッスを飛ばしてくる。必死なのが丸わかりで、なんというか微笑ましい。
しばらくそんなやりとりをしていると、背後から強烈な視線を感じた。
「……じー」
「ああっ、カズキ! 魔王様とイチャイチャしてんじゃないわよ! 魔王様、こんな男に騙されちゃダメですからね!」
視線の元へと振り向くと壁越しに無言を圧力を放つコトネ、そして烈火の如く噴火するエイミーの姿。
もはやお約束ともいえる乱入に、私は苦笑を零した。いつもの私たちらしい雰囲気で安心すら覚えてしまう。
「こんな男とはまた失礼な物言いだな。私はただハーレムに向けて日々邁進しているだけだというのに」
女の敵であり最低最悪なダメ男はなのは否定しないしできないのだが。
一夫多妻制くらい異世界なのだし大目に見てくれてもいいと思う。かなり切実に。
するとエイミーはやれやれと肩を落とし、コトネは絶対零度の瞳で射抜いてきた。
「ホントこれだからアンタは……ってあれ、魔王様?」
「……魔王様、逃げた」
気付けば水晶玉からリーネの姿が消えていた。恐らくは投げキッスを見られたのがよほど恥ずかしかったのだろう。
エイミーはついに頭痛を抑えるように額に手を当て始めた。
「はぁー……魔王様にまでハーレムとか言ってるの? 呆れた、その内刺されても知らないわよ」
刺されるとは物騒な。しかも実際にそんな事態になれば、刺されるどころでは済まないに違いない。
「生憎だがこれだけは止められんな。ふむ、例えば、あの卑徒の神殿を乗っ取って私のハーレム城にするのはどうだろうか」
「どうだろうか、じゃないわよ。却下ね却下。あたしはもっと、静かでロマンチックなところがいいわ」
それは暗にハーレムに加えろと言っているのだろうか。いや、そもそも告白された身であるし、言われなくても加えるつもりではあるが。
やけにくねくねしながら妄想に浸るエイミーを横目に、コトネは私の袖を引っ張った。
「……カズキ、私も入れて」
「もちろんだとも。むしろ入れないわけがない。美幼女、美少女、美熟女ならば誰でもウェルカムだ」
少し呆れた様子のコトネだったが、やがてくすくすと笑いだした。
「……その調子なら、きっと勝てるよ。卑徒の神殿も、カズキにかかればただの愛の巣」
「ほう、なかなか洒落たことを言うものだ」
そうさ、きっと勝てる。いいや、絶対に勝つ。
輝かしいハーレムが待っているのだ。万が一にも負ける可能性など有り得ない。
リーネとの約束も果たさなくてはならないし、な。
虚ろな輝きだけを残した水晶玉に視線をやる。そこに映った私は――
いつかの父のような顔をしていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
私はエイミーとコトネたちと一旦別れ、警備にあたっていた《黒の隊》と《紫の隊》を訪れていた。
私の顔を見るや否や、直立不動で敬礼する隊員たち。
いや、ミラージュがよくやっていたことだが、こうしてみると現代の軍隊のようで違和感がある。
「救世主殿、お疲れ様であります!」
と、当のミラージュが前に進み出てきてビシっと敬礼。実に様になっているのだが、猫耳が合わせて揺れるのが可愛らしい。
「だから救世主はやめろと言うに……テオドールとグローリアはいるかね? 顔を見に来ただけだから、忙しいなら構わないよ」
「いえいえいえ、カズキ殿が視察に来て下されば我々の士気は正しくうなぎ上りというヤツであります! というか、ぶっちゃけ平和すぎて暇なのであります!」
この戦闘狂め……。
平和なのはいいことだ。こうして軍が暇ならば、私のやってきたことにも意味はあったのだろうと思える。
ミラージュには悪いが、今はこうして仮初の平穏を満喫するとしよう。
「ささ、どうぞこちらへ! 一名様ご案内であります!」
迷子の子供のように手を引かれる私。ミラージュの手は傷だらけでありながらも、しっかりと女性的な柔らかさを兼ね備えていた。
残念ながら肉球はないようだ。あればもっと幸せな気分に浸れたのだが。
しばらく歩いたあと、詰所に案内される。そこには、盤を挟んで向かい合うグローリアとテオドールの姿があった。
どうやらチェスのような盤上遊戯に興じているらしい。
余裕ありげなグローリアとは対照的に、テオドールは眉間に皺を寄せて難しい顔を浮かべている。彼が劣勢なのだろう。
こちらに気付いたグロリアスが声を上げた。
『よう小僧、見ての通りご主人サマは取り込み中だぜ。この対局で狼小僧を負かして身ぐるみ剥ぐって寸法よ』
「なんだ、賭けでもしているのか?」
『いんや、脱衣式だ。ご主人サマは毛皮まで剥いじまう性悪だからな、狼って毛を全部抜いたらどうなるのかと俺サマはもう楽しみで楽しみで……』
思っていたよりも絶望的状況だった。
しかもグローリアなら本当にやりかねない。
そうこうしているうちにも、グローリアが赤い駒を動かした。黒狼の眉間の皺がさらに深まっていく。
「ま、待ってくれ。少しでいい、考える時間を……」
「ならぬ。甘ったれるでない。貴様は一時を争う戦場で待ったをかけられるとでも思うてか? ほれ、さっさと次の手を打つのじゃ」
ぐぬぬ、と唸るテオドール。かなり熟考した後に黒い駒を動かすものの、刹那のうちになぎ倒されてしまう。
「うわっちゃー……隊長殿、それは悪手でありますよー」
横でミラージュが顔を手で覆った。
「ほう、君も心得があるのかね?」
こういった頭を使う遊戯は苦手なイメージがあったのだが。
しかしどうやら偏見だったようだ。彼女はこの類の遊戯ではかなりのものなのだという。
すると、欠伸すら零し始めたグローリアが、私たちの方を見て面白そうだといわんばかりの表情を浮かべた。
「そういえばそこな猫娘と対局したことはなかったのう……どうじゃ、隊長の仇をとってみぬか? 無論、負ければ脱ぐのじゃぞ。その方がカズキも楽しかろう」
「ふふふ……例え隊長殿であろうと、自分は勝負となれば容赦はしないでありますよ!」
既にテオドールが負ける前提で話が進んでいた。泣いてもいいぞ、テオ。
盛り上がるグローリアとミラージュを背に、狼男はがっくりと肩を落としていた。
こうして、戦士たちの休息は過ぎていく。
結局、二人の対局は両者が半裸になっても終わらなかった。




