第三十五章 運命 ――これは、罪の告白だ
あれから一夜明けて。
ラスト・ラスト討伐の知らせは魔王城にまで届いたようだった。
しかし、我々の表情は曇ったまま。それもそのはず、新たなる災厄の襲来によって、卑徒の数は変わらず残り三体となってしまった。
もっとも、あのまま四体に増えていたよりは遥かにマシではあるのだが……。
『そう、ですか……その卑徒はカズキをコピーした、と。かなり厄介な相手なようですね』
水晶玉によって映し出されたリーネの幻影が眉根を寄せた。中央街に聳えた拠点、そこに設置された会議室では誰もが一様に重苦しい雰囲気を放っている。
グリド・グリドの能力は思考を読む、相手の能力や外見をそのままコピーするという法外なものであろう。
ここにきて強力な敵の出現は望むところではない。もし奴が他の魔族までもコピーしだしたら、ますます手が付けられなくなる。
コトネが皆を見回しながら口を開いた。
「……グリド・グリドの模倣はほぼ完璧だった。見た目だけじゃなくて、喋り方までそっくり。兄弟みたいに」
その時は気絶していたテオドールが、ううむと唸った。実感がわかないのも無理はない。
あの成長スピードは異常の一言に尽きる。卑徒とはそういうもの、と言われればそれまでの話だが。
短時間での模倣や、見せてもいない《魔障壁》までをも自らのものにしてみせた手腕は尋常ならざるものを感じる。
「奴は私のことを母の仇だと言った。その相手になりたがるとは、到底理解できない思考回路だ。それではまるで――」
――奴本人が母を殺そうとしていたようではないか。
ゾクリ、と。悪寒が走り抜けた。
それはあまりにも――私と符合してはいないか。
『カズキ、どうかしたのですか?』
リーネの幻影が心配そうな声を飛ばしてくる。
問題ないと短く返す。しかし心中では怪しい火種が燻っていた。
いいや、考え過ぎだろう。そもそも奴と接点などないのだし、奴が私を模倣してから言った言葉だ。あるいは同じような体験をすることで、完全に模倣しようと思ったのかもしれない。
なんにせよ、卑徒は全て殺すだけだ。それが一体増えたというだけのこと。
何の問題もないと自分に言い聞かせる。無駄なことに心を揺れ動かされている場合ではないのだ。
今はこれから先の未来に目を向けなくては。
「それで、どうするのかね。残る卑徒は三体だが、作戦を決行するのか否か……決めねばなるまいよ」
この作戦とは、即ち神殿への侵攻である。
今まではこちらが完全に後手に回っていたものの、残る卑徒が《怠惰》と《傲慢》ならばこちらから攻める余地があるという話し合いがされていたのだった。
しかし、ここでグリド・グリドの出現によって予定が狂わされた。一大侵攻作戦を決行するか否か、というのが今日の本題である。
その場の全員が言葉に詰まったその時――
《……その話は、少し置かせてもらおうか。急で申し訳ないが、わたしにも時間がない。手早く終えるために協力願う》
力強く、それでいて繊細な響き。硝子を思わせる声と共に、新たなる幻影が突如として現れた。
「ふむ、君か。待ちかねたぞ。しかもこの場には全員が揃っているときた。話してもらおうか……全てを」
例の褐色の美女である。卑徒ラスト・ラストを倒したことで、結界の力が弱まったのだろう。
前回現れた時には全てを聞くことができなかったが、今回こそは聞き届けなくてはならない。
私以外の者が息を呑む気配。皆には話していたとはいえ、本当に《棺の女》なるものが存在するのか半信半疑だったのだろう。
昨晩は夜警にあたっていたミラージュは、眠気が吹き飛んだとばかりに尻尾を逆立てた。
「あ、あなたがカズキ殿の言っていた《棺の女》でありますか?」
棺の女が頷く。幻影は心なしか今までのものより色濃く、はっきりとした像を作り出していた。
美しいという言葉では足らないほどの美貌、豊満な肢体、知的な輝きを宿す黒い瞳、特徴的な褐色の肌。
だが、やはり違和感を覚える。どこかで見たことがある――いや、誰かに似ている?
「カズキ、デレデレしないの!」
エイミーが顔を真っ赤にして詰め寄る。言いがかりもいいところだ、おかげで掴みかけていた感覚が逃げてしまった。
余計な時間を取らせるな、と棺の女に睨まれてしまったので大人しく話を促す。
《これはわたしの罪の告白に等しい。どのような罰を受けようとも構わない覚悟だが、これだけは誰かに語らねば死んでも死にきれんのだ。どうか最後まで、心して聞いてくれ》
彼女はこの場の全員を見回し、静かに語りだした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
これは、わたしの罪の告白だ。
単刀直入に、醜悪なる真実をまず語ろう。
――ヒトをこの世界に呼び出し、魔族の滅亡を招いたのは、他ならぬこのわたしなのだ。
弁解の余地もない。わたしは純然たる悪意を持って、現魔王を討つためにヒトを召喚した張本人である。
きっかけは、先代魔王であるリロイ・アストラプスィテが死に瀕した時まで遡る。
当時のわたしは神殿を管理する神官の一人に過ぎなかった。そう、今となっては空に浮かぶ卑徒の城と化しているあれのことだ。
わたしは、次代の魔王となるべくして育ったリーネ・アストラプスィテを殺すために、ある計画を練っていた。
あの神殿に隠された一室には、魔王城と対になる存在――異世界とこの世界とをつなぐもう一つの扉があった。
わたしはこれを使って異世界人を召喚し、次期魔王の暗殺を企てた。醜悪なる《変換機》を使いこなす術を、わたしは知っていたが故に。
しかし、その企みはものの見事に破綻することになる。
――ヒトの暴走だ。
この世界に適応し《変換》された彼らを制御することが出来ず、わたしは逆に彼らに封印される羽目に陥った。
この時呼び出したヒトは、全部で七体。
《傲慢》の卑徒ルシフ・ルシフ。
《怠惰》の卑徒ベルル・ベルル。
《嫉妬》の卑徒レヴル・レヴル。
《暴食》の卑徒グラト・グラト。
《色欲》の卑徒ラスト・ラスト。
《憤怒》の卑徒サタン・サタン。
そして――《強欲》の卑徒アモン・アモン。
彼らは暴れ狂った。魔族を次々と殺戮し、仲間を増やすために眷属を作り出し始めた。
そうして起こった大戦の末、ただでさえ病に伏していた第二十二代目魔王リロイ・アストラプスィテは戦場で死に、魔族が滅亡の危機に追い込まれてしまった。他ならぬわたしの手によって。
卑徒の側にも、問題は起こっていた。
この大戦中、魔力を使い果たした《憤怒》の卑徒サタン・サタンは死亡。羽根を埋め込まれ、新たに《憤怒》の卑徒ラース・ラースが誕生した。
さらに、ここで不可解な事件が起こる。
卑徒ラスト・ラストが、卑徒アモン・アモンの子を身ごもったのだ。しかし、異常な事態はここからだった。
卑徒アモン・アモンが自殺を図ったのである。その真意は分からないが、彼の自殺は未遂に終わった。
彼自身の能力によるものなのか、卑徒アモン・アモンが死ぬことはなかった。それでも彼の傷は深く、再起不能であるのは目に見えていた。
わたしは封印が弱まったのを感じ、その隙をついてアモン・アモンを殺すことに成功したのだ。
彼は死にたがっているようにも見えた。ロクな抵抗もなく、むしろ殺されることを歓迎していたほどだ。
結果、わたしは完全に封印されてしまった。しかし、それでも意識だけは明確に残っていた。
わたしはずっと待っていたのだ。卑徒を殺してくれる英雄を、勇者を、救世主の存在を。
わたしを、罰してくれる存在を。
そして現れたのがトウジョウカズキ――貴様だった。
貴様はわたしたちを罰してくれる。そう信じて疑わなかった。
何故なら、卑徒とは異世界で罪を犯し、次元の狭間へと追放された者たちの成れの果てなのだから。
正規の手段で異世界人を召喚する魔王城の召喚器とは違い、神殿の召喚器は悪なるものしか召喚できない外法中の外法。
つまるところ、わたしたちの誰もが卑徒になる可能性を持ち得ている。あれはそういう、罪の形が具現したものなのだ。
故に――ヒト。
どうか愚かなるわたしに、罰を。最も罪深きわたしに、罰を。
お願いします、わたしを――「殺して」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
しばらくの間、誰もが口を噤んでいた。
あまりにも荒唐無稽。しかし彼女が嘘を言っているようには到底思えない。
痛いほどの静寂を打ち破るべく、私は重い口を開いた。
どうしても、確かめておかなければならないことがあったからだ。
「……一つ聞かせて欲しいのだが。そのアモン・アモンという卑徒は、最期に何か言い残してはいなかったかね?」
その問いは、この場には相応しくない的外れなものだっただろう。だが、それでもはっきりとさせねばならないことだった。
果たして、棺の女は思い当たる節があったようだ。
《ああ、確か――人間よ、欲深くあれ、と。そんなことを言い残していた》
――は。
「っは、はははははははははははははははははははははは!」
全て、全てを理解した。
卑徒が異世界において罪を犯したものの成れの果てであるというのなら、そういう可能性だってあるのだろう。
なんという数奇な因果か。間違いない、その《強欲》の卑徒アモン・アモンとやらの正体は。
私の父、亜門和義しか有り得ない。
「カズキ、それって……」
エイミーが訝しげに私を見る。そうだ、「人間よ、欲深くあれ」とは私の口癖である。皆が不思議に思うのも無理はない。
さらに言えば、ラスト・ラストが私の父の子を身ごもっていたというのなら――新たに誕生した《強欲》の卑徒グリド・グリドは私とは腹違いの兄弟ということになる。
――ああ、そうか。そういうことだったのか。
奴らが私をヒューマンと呼ぶのは、彼らが元は人間だったから。
あの《色欲》であるはずのラスト・ラストが私を嫌っていたのは、私が他の女との間に生まれた子だからだろう。
そしてグリド・グリドの私に対する確執も、親殺しという奇妙な符号も、全てはそれで説明がつく。
これが笑わずしていられるか。神の悪戯としか言えない。
私の様子を見て、皆も察したようだった。なんと声をかけていいのか分からないといった風情だ。
人間よ、欲深くあれ――その呪いは、まだ私を離さないつもりなのか。
しかし父は死んだのだという。あの男が何を思ってそのような凶行に走ったのかは、息子である私にも計り知れない。
もしも良心の呵責、などという結末だったのなら、笑い転げて死んでしまうかもしれないな。
「……は、はは。すまない、少し落ち着く時間をくれ」
私は椅子に深く沈みこむと、呼吸を落ち着けた。あまりの衝撃に心がついていけない。
すると、私の様子を見て我に返ったテオドールが、棺の女に掴みかかる勢いで詰め寄った。
「貴様が……貴様のせいで、俺たちは……! 自分のしたことが分かっているのか! どれだけの魔族が犠牲になったと思っている!」
その激情は当然のものだった。目の前に全ての元凶がいるとなれば、たとえ幻影だと分かっていても殴りかかりたくもなる。
テオドール以外の者たちも同じ気持ちだろう。強い瞳で棺の女を睨み付けている。
しかし、それを諌める声は予想外のところから上がった。
『やめなさい、テオドール。言いたいことは山ほどあるでしょうが、今は抑えて下さい』
魔王であるリーネだ。本来ならば彼女が一番恨み言を吐く権利があるはずだというのに。
思えば、彼女は棺の女が現れてからというもの、一言も発してはいなかった。しかし、今は何かを悟ったような顔つきで棺の女を見ている。
「しかし、魔王様……!」
『黙りなさいテオ。二度は言いません』
「……はっ」
テオドールはぐっと言葉を飲み込んで一歩下がった。リーネの気持ちを考えれば、退かざるを得ない。
水晶玉から浮かび上がるリーネの幻影は、棺の女と真正面に向かい合った。
『さて、わたしはあなたに協力してもらいたいことがあります』
《……何だ。言ってみろ》
静かな雰囲気を纏うリーネに対して、棺の女は苛立ちを滲ませている。顔も見たくないといった風情だ。
そして、放たれた魔王の言葉は、さらなる衝撃を与えるに相応しいものだった。
『我々の計画していた侵攻作戦に協力して欲しいのです。計画では神殿のそばに彼らを《召喚》する腹積もりでした。魔王城と同じく、転移を防ぐ陣を敷いているのは間違いないでしょうから。しかし、あなたが内側から支援してくれれば、あるいは直接神殿内部に侵入することが出来るかもしれません』
――いや、待て。
私たちは重大な見落としに気付いた。
そもそも、《召喚術》は魔王の一族に代々伝わる禁術であると、リーネが私を召喚した時に言っていたはず。
ならば。卑徒を召喚し、さらに侵攻作戦においてもリーネと同じく《召喚術》を使って支援するということは。
『できないとは言わせませんよ――姉さん』
つまり、棺の女は魔王の血を引いているということに他ならない。
《……気付いていたか。ああそうだ、わたしの名はリーン・アストラプスィテ――魔王と妾との間に生まれた庶子。お前とは腹違いの姉妹というわけだ》
もはや運命としか形容のしようがない。神様の悪戯どころの話ではなかった。
そうだ、ずっと感じていた違和感。彼女はリーネに似ているのだ。
思えば初めて彼女の幻影と会った時、彼女はリーネから逃げ去るようにして消えていた。
そもそもの謎――何故リーンがリーネを殺そうと卑徒を呼び出したのかという疑念がようやく晴れた。
妾の子。つまり正統なる血族ではないリーンは、正統な血を受け継ぐ妹のことが許せなかったのだろう。
複雑に絡まり合う運命の糸の、なんと因果なことか。
腹違いの兄弟である、私とグリド・グリド。
腹違いの姉妹である、リーンとリーネ。
そして、リーンはアモン・アモンとリロイ・アストラプスィテを死に追いやった張本人であり、私たちにとっては共に父の仇ということになる。
リーンは目を閉じ、深く息を吸った。
殺そうとしていた妹が目の前にいて、その妹から協力を申しだされているという不可思議な状況。私には彼女の心境を推し量ることすらできない。
だが、リーンはゆっくりと首肯した。それがせめてもの罪滅ぼしだとでもいうように。
《わたしに出来ることなら何でもしよう。ヒトとわたしを殺してくれるというのならば是非もない。いまさら、謝ってどうにかなるものでもない。だからどうか、わたしを罰してくれ、妹よ》
運命の糸車は、終焉へと再び加速していく。
醜悪なる、真実を乗せて――。




