第二十九章 逢引 「次に会う時まで」 「その時は、きっと」
「あーあ、やっぱりこうなっちゃうのねぇ」
ぽつりと、水晶玉から大森林の死闘を眺めていたラスト・ラストが呟いた。
うっとうしげに長い髪をかき上げる。たったそれでの仕草にも蠱惑的な媚びが含まれていた。
彼女は己の《色欲》を満たしていた相手がいなくなってしまったことに残念がっているだけであって、それ以上の価値を見出してはいない。
というより、彼女にとって価値のあるものは胎に宿る子供だけである。
別段、《色欲》を満たす相手が卑徒でなければならない理由などない。ラスト・ラストにも好みはあるとはいえ、魔族でも構わないのだ。
(ま、それよりもっと面倒なことになりそうなのよね……)
妖しげな香の焚かれた一室で、ラスト・ラストは思考する。
周囲には、虚ろな瞳を宿した魔族たちが人形のように並べられていた。その数はおよそ三十ほど。
全て、彼女が捕えてきた魔族たちである。眷属にするでもなく、ただ《色欲》を満たすためだけに用意したもの。
いわば自慰行為を助長させる小道具、とでもいった認識。
この光景だけで、ラスト・ラストの異常性は明らかだ。
「どう考えたって、次は私よねぇ……」
淫らな笑みを浮かべながら、蛇のように伸びた舌を蠢かせる。
彼女がそう言うには理由がある。まず、ラース・ラースが死亡し、その娘であるクレスもまた卑徒とはなりえなかったこと。
これにより、残る卑徒はラスト・ラストを入れて三体となってしまった。
そして、《怠惰》たるベルル・ベルルが動くことはありえない。また、《傲慢》たるルシフ・ルシフなどもっての他だ。
《傲慢》であるが故に、彼が動くのは最後の最後だ。彼一人になっても全てをひっくり返せるという傲慢が、彼を玉座から動かさない。
それはどうしようもない罪の形であり、彼らには抗う術などない。
魂に刻まれた銘を克服することは不可能だ。よって、現状まともな戦力はラスト・ラストのみなのである。
「はぁー、やってらんないわホント。この子に何かあってからじゃ遅いってのに」
膨らんだ胎を愛おしそうに撫でる。その胎動を感じるだけで、彼女は絶頂にも勝る快感を得ていた。
即ち母性。子を守らんとする母の力は絶大である。
「異世界人のオトコ、正直あんまり好みじゃないけど……あの魔力は魅力的よね。この子の栄養にはうってつけかも」
どうせルシフ・ルシフから指令が下るのは明白。ならば前向きな理由をとってつけるのは、決して間違いではないだろう。
どこまでも人間らしく、しかし誰よりも悪魔らしく。
次なる《大罪》は、静かに胎動を始めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
卑徒ラース・ラース、そして眷属となったクレスの討伐。
あれから、さらに二週間が経過した。大森林は大部分が焼け落ち、戦闘の激しさを物語るように傷跡を晒している。
私も無事とはいかなかった。ラースに穿たれた傷も深かったが、火傷による負傷が尾を引いた結果である。
「……カズキ様、痛くありませんか?」
「ああ、問題ない。いつもいつもすまないね」
献身的に包帯をつけかえてくれているのは、いつぞやのメイドである。
クレスの部下だった少女だ。アンヌというらしい。
ほぼ寝たきりで過ごしていた私の世話をしてくれたのが彼女だった。
「いえいえっ、私なんかでお役にたてるなら何でも致しますっ! 遠慮せずに仰って下さいね」
ニッコリと邪気のない笑みを浮かべるアンヌ。その目には輝かしい光が宿っている。
――君は、私がクレスを殺したことを何とも思わないのかね?
そう問いたかったのは否定しない。アンヌはメイド長であり魔王御付きであるクレスを尊敬し慕っていたはずだ。
私は果たして彼女の献身を身に受ける価値があるのだろうか。
仕事として割り切ってくれたならまだいい。だが彼女からは明らかに憧れめいたものを感じる。
罪深い私は、その視線に耐えられそうにない。
「君は、クレスのことをどう思っていたのだね?」
つい口から出た言葉は私自身をも蝕むものだった。言ってからしまったと後悔する。
そんなことを聞くくらいなら、最初から彼女を拒んでいればよかったのだ。
受け入れておいて疑念を投げかけるなど、紳士の風上にもおけない。
慌てて撤回しようとした私を留めるようにゆっくりと首を振って、アンヌは語りだした。
「私はクレス先輩のことを尊敬していました。それはもう、本当に。でもあの方はとっても厳しくって、それに頭も固くて融通もきかなくて。それなのにちょっとおっちょこちょいなところがあったり、意外と初心だったり、クールに見えて実は泣き虫だったり――」
そこで一度、彼女は溢れてくる雫を振り払うように深呼吸して。
「――そんなあの方が、私はとても大好きでした」
そうか、と。短く返すことしかできなかった。アンヌの返答は私の胸を抉っていく。
私と同じことを、思っていたから。
懐から金色の懐中時計を取り出す。ラースからクレスに、そしてクレスから私に受け継がれた形見だ。
それを見たアンヌは破顔して、くすりと笑った。
「それ、クレス先輩はよく気にしていましたよ。カズキ様が懐中時計を取り出すたびに嬉しそうに耳をピクピクさせて。でも顔は必死に無表情を保とうとしているところがおかしくって、メイド仲間たちで密かに話題になっていました」
「……は、あいつめ。もう少し素直になればいいものを」
もっとも、今となっては遅すぎる。私に残されたものは、これくらいしか残っていない。
愚かな私を嗤うがいい。呪うがいい。懐中時計を強く握りしめながら心に誓う。
卑徒は全て滅ぼす。私は私のやりたいように、やれることをやり抜くだけだ。
悔恨に沈むのはそれからでも遅くはないだろうから。
「カズキ様、お願いします。あなたが救世主でなくともいい。カズキ様がクレス先輩がおっしゃっていた通りの御方なら……私は、信じられます。あなたなら、世界を救ってくれるって」
包帯を巻き終えたアンヌは、今にも泣き出しそうな表情で言った。
「当然だ。私は悪魔だよ、悪魔。天使など物の数ではないさ。力の限り、全てを滅ぼし尽くすだけだ。奴らと同じように――」
そう、同じだ。
奴らと何も変わらない。身勝手な愛情を欲しがるだけの子供があがいているだけのこと。
だからこそ私が決着をつけねばならない。この狂った世界を元に戻すためにも。
死んで行った、仲間たちのためにも。
残る卑徒は三体。既に半分の卑徒を滅ぼしたことになる。
得体の知れないベルル・ベルルはともかく、ラスト・ラストは他の卑徒と変わらない魔力量だと感じた。決して楽な戦いにはならないだろうが、それでも勝ち目は充分ある。
しかし、問題は奴らの王――ルシフ・ルシフだ。
奴だけは別格である。他の卑徒とは一線を画す、絶対的な存在だといえた。
その牙城を打ち砕くためにも卑徒の正体に迫りたいところだが、あの褐色の美女が現れる様子はなかった。
ラースが封印の維持に参加できるような状態であったとは考えにくいので、まだ封印の強度は変わっていないのだろう。
ベルル・ベルルがあの様子ならば、ラスト・ラストを打倒すれば褐色の美女は現れるはずだ。
ルシフ・ルシフは最後まで動かないだろう。奴が最初から動いていれば、もっと事態は深刻だったのだから。
今のところ卑徒に動きはない。ラースに与えられた傷が癒える前に襲い掛かってくる様子はないと見ていい。
絶好の機会のはずだというのに、何故そうしないのか――やはり、私一人では答えは出てくれなかった。
「ありがとうアンヌ。私は少し、リーネのところに行ってくるとしよう」
「魔王様のところに、ですか? はい、行ってらっしゃいませ。まだ無茶してはいけませんからね、ご自愛下さいカズキ様」
心配性なところはクレスに似たのかな、などと感慨を抱きつつ。
私は大丈夫だと手を振って、リーネの元へと向かった。
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私とリーネは、連れだって城下町に繰り出していた。
いつかのように陰身の魔術でのお忍びである。お忍びデート、と言い換えてもいいかもしれない。
「というか、これはデートで相違ないか?」
「ち、違います! そんな浮ついたものじゃありませんからね!」
否定するリーネの顔が赤い。そもそも外へ行こうと提案したのは彼女だ。
二人寄り添いながら、商店街を歩いていく。
――もう、彼女の付き人はいないから。
頭を振ってネガティブな思考を切り落とした。これからは、私がリーネの盾となり剣とならねばならない。
いや、これからも、だろうか。
「……また、一人で抱え込んでますね?」
リーネが溜息交じりに言う。どこか慈愛に満ちた表情だった。
「……私が抱えずにどうするというのだね。この手にかけた者たちの怨嗟も呪念も、全て私が背負わなくてはいけないものだ」
これは意地でも使命感でもなんでもなく、私がやりたいことをやっているだけだ。
それを不憫に思われることは心外である。たとえ潰れそうになっているのを心配しているのだとしても。
いや――リーネに心配をかけている時点で、ただの独りよがりか。やりたいことやっているというのなら、辛そうな顔をしていては矛盾する。
私もまだまだ配慮が足りないな、と苦笑いしながら話題を切り替えるように尋ねる。
「なあリーネ、奴らは何故この絶好の機会に襲ってこない。戦力が半減して尻込みするタマでもなかろうに」
グラト・グラトとラースは同時に襲ってきたが、襲撃地点が異なっていた。
単に魔族を滅ぼしたいのというのならともかく、奴らの目的は仲間を増やすことだ。
であるならば、私を集中的に狙うのが道理というものではないのか。
「……分かりません。少なくともわたしたちに卑徒の考えはまるで理解できません」
「だが、奴らが考えなしというわけでもない……か。これは難題だな」
「ええ。ではせめて前向きに考えましょうか。卑徒の企みはどうあれ、この二週間の空白を有効に利用しなかったわけではありません。都市ダクシムへの移住計画はほぼ完了しているといっていいでしょう」
コトネとグローリアの尽力により、ダクシムは復興し防衛力も強化された。
城塞都市に住めなかった難民や、スラムの住民たちを住まわせることができる。
もちろん課題は山積みなのだが、卑徒が沈黙している今こそが魔族たちが復興するために必要な貴重な時間なのだ。
私も、もうじきダクシムへ移ることとなる。リーネとはしばらくお別れだ。
彼女に向き直ると、こちらを見上げる視線とカチ合った。
しばし沈黙が訪れる。心臓の鼓動をやけにうるさく感じ、ゴクリと唾を呑みこんだ。
リーネは何も言わない。私も何も言えない。
まるで引力に引かれるようにして、私とリーネの顔が徐々に近づいて――
「やっぱりおあずけ、です」
人差し指で唇を押さえつけられる。彼女は悪戯っぽく笑いながら囁いた。
「ここではちょっとムードがありませんし……ご褒美はきっちり取っておかないと。だから今度会う時まで、おあずけです」
「……ふむ。それはなんだか嫌なフラグが建った気がするが、よかろう。卑徒の首を引っ提げて、君に捧げるその時までの辛抱だ」
黄昏に沈む城塞都市の一角で、私たちは片時の逢引を楽しんだ。
それはとても甘く、毒のような時間であった。




