第二十二章 真実 ――今こそ、語ろう
魔王城が元の平穏を取り戻すまで、一週間の時を要した。
しかし、これは仮初の平穏だ。卑徒がいつ襲来するともしれぬ不安と恐怖とが混ざり合い、魔族たちの表情に影を落としている。
それは私とて例外ではない。仲間の死、そして卑徒の謎。数多もの糸が絡まり合って、雁字搦めになってしまっていた。
魔王城の復旧に合わせて、都市ダクシムに残ったコトネとグローリアもまた都市の復旧に尽力している。
まだまだ問題は山積みだ。だが、希望が失われたわけでは決してない。
ひとまず二体の卑徒を倒したことで眷属の数は確実に減ってきている。これにより城塞都市とダクシムの付近に眷属はほとんどみられなくなった。
残る卑徒はラスト・ラスト、ベルル・ベルル、ルシフ・ルシフ、そして――卑徒となったクレスの父、ラース。
今のところ目立った動きはないが、奴らとてこのまま黙ってはいないだろう。いずれ私を狙ってくるはずだ。
ラースが何故魔王城に現れたのかは疑問が残る。奴は神殿の時明らかに私に対して強烈な殺意を放っていたのだから。
あれは間違いなく本物の感情だ。他の卑徒はともかく、彼は私を狙うだけの理由があると思っていたのだが。
あるいはただの暴走か?
これまで城塞都市に侵攻してきたのは卑徒レヴル・レヴルのみだった。奴の行動は私に執心であったが故だろうが、他の卑徒はこの城塞都市を忌避しているようにも思える。
そういえば、遠征に出かける前のリーネの言葉には確信じみた響きがあった。卑徒は私だけを狙い打つと。
あの時は疑問に思わなかったが、もしかすると城塞都市に卑徒が簡単に攻め込めない理由でもあったのかもしれない。
いずれにせよ、卑徒ラースの牙が魔王の目前まで迫っていたのは事実である。
転移魔術で都市ダクシムに転移してきた私は、事の顛末をコトネとグローリアに伝えた。
彼女たちは一様に顔を伏せる。重力にも似た衝撃が、彼女たちをそうさせたのだろう。
「……そう。エイミーとテオは?」
コトネが問うた。自分がその場に居合わせなかったことが悔しくて仕方がない、という表情だ。
「ああ、心配はいらん。もう傷も癒えた様子で、元気に走り回っていた有様だ。もう少し安静にしていたほうがいいと思うのだがね」
沈鬱な空気を払うようにして、陽気にそう言ってみせる。実際かなり回復していたようだったし、あれなら大丈夫だろう。
一方のグローリアの表情は晴れないまま。魔傘グロリアスで自らの顔を隠すようにして、ぼそりと呟いた。
「――部下の葬儀にすら出てやれんとはのう。妾も老いたものよな」
それは――その言葉には、一体どんな意味が込められているというのか。
コトネとグローリアにはこのダクシムの守護と復旧作業の指揮を執るという役割がある。だからこそ私は一人で転移魔術を使って城塞都市へと帰ったのだ。
この地を離れられない彼女たちには申し訳なく思う。せめてもの手向けにと花は受け取ったが、彼女たちが死者に尽くすことができたのはそれだけだった。
グローリアは悲しみを振り払うように反転すると、空を見上げるようにして言った。
「のうカズキよ。お主、妾の下に就く気はないかの? 副隊長の座じゃぞ、そう易々とはやれんがお主にならよかろう。どうじゃ、悪い話ではないと思うがのう?」
その響きの切なさに胸を打たれる。
彼女は吸血鬼だ。そもそもの寿命が違うために、親しい者との別れは何度も経験しているのだろう。
それでも、仲間の死はどうしようもなく堪えるのだ。
「……遠慮しておくよ。私では到底務まりそうもないからね。ただ、話を聞くことくらいは出来る。辛いならば胸も貸そう。それだけはどうか覚えておいて欲しい」
「ふん、生意気な奴め……では、副官の座はしばらく空けておくことにしようかの。どの道、妾の補佐はそこらの馬の骨ではどうにもならんのじゃからな」
そう言って振り返ったグローリアの眼には、一片の曇りもなかった。
その瞳が急に接近したかと思うと、可憐な唇が私の首筋に迫る。血を吸われるのかと思ったが、そうではない。
「おい、届かんではないか。屈むのじゃ」
言われるがままに屈んで位置を調整すると、彼女は私に耳打ちした。
「……礼を言うぞ、カズキ」
それだけじゃ、と言い残して去って行くグローリア。もし私が副隊長になったとしても、彼女の胸に開いた穴が塞がるわけではない。
グローリアとて分かっていたのだろう。エディの代わりなど、どこにもいないということを。
そして残される私とコトネ。心なしか、コトネが拗ねたように私を睨んでくる。
ふうむ、空気を読んで真面目モードだったのが良くなかったのだろうか。
そうだ、やはり沈んでばかりではいられない。偽善でも自己満足でもなんとでも言うがいい。エディがこの陰鬱な空気を望むとは到底思えない。
少なくとも私なら御免こうむる。落ち込んでる暇があるなら前を向けと、幽霊になってでも諭すだろう。
というわけで、セクハラを実行。
私はおもむろにコトネの背後に回り込むと、むんずと豊かに実った果実に手を沈めた。
「……てい」
と、可愛らしく発せられた声と共に放たれたのは肘鉄。声とは裏腹に、臓腑が引っくり返るような威力に思わずのた打ち回る。
「ぐ、おおおおお……! う、腕を上げたなコトネ……!」
「はぁ……そういうのはダメ。分かった、お兄ちゃん?」
お兄ちゃん、か。
その時、天啓が閃いた。己という自我を認識し理解する。あまりにも唐突であるが、恐らくこれは必然なのだろう。
嗚呼。やはり私は馬鹿なのだな。今更にもほどがあるが。
結局、私もまた飢えているのだ。なんと滑稽なことか。
急に悟ったような雰囲気を纏った私に、コトネが怪訝な顔を浮かべる。
「……どうしたの? ついに煩悩に頭が沸騰しておかしくなった?」
「ああ、自分の愚かさについて再認識していたところだ。ようやく分かった――私が何をしたかったのか、何を成すべきなのか。私は、ただのガキだったのだ」
気付くのがあまりにも遅すぎる。我ながら度し難い。
しかしようやく、過去と向き合うことが出来るだろう。そのきっかけがコトネであるのは、因果であるに違いない。
私は立ち上がった。行かなければならない、クレスの元へ。
「……ふうん。なんだか、いい顔になったね。私のおっぱいを揉んで何を閃いたのか分からないけど、応援してる」
「ああ、礼を言おう。素晴らしいおっぱいだった」
「……早く行け、馬鹿!」
怒り心頭といった風情のコトネから逃げるように、私は転移魔術を発動させた。
霞んでいく視界の中、手を振って見送るコトネを背にしてもう一度呟いた。
ありがとう、と。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
城塞都市の入り口に転移してきた私は、魔王城へと急いだ。一度行ったことのある場所ならば転移魔術の魔力消費は私にとってさほど苦にはならない。
しかし、魔王城には転移魔術を防ぐ魔法陣が仕込んであるため、城への直接転移は不可能だ。
都市はやはり繁雑としている。色とりどりの魔族たちや立ち並ぶ看板、建造物の森を抜けて城を目指す。
そんな中、私の眼に飛び込んでくるものがあった。
――褐色の美女。
彼女はいつかの時のように蜃気楼の如く私の行く手を阻み、私をじっと見つめている。
「なっ!?」
私は思わず驚愕の声を上げた。卑徒の神殿に捕らわれていたはずの彼女が、何故ここにいる。
突然の事態に思考停止する私に向かって、彼女は悠然と口を開く。
不思議と、その光景が誰かの姿と重なった気がした。
《落ち着いて聞け、異世界人。時間がない、今貴様が知りたがっているであろう事柄を手短に話す》
その声は私の脳内に直接語りかけてくるような響きであった。待ちゆく人々にはやはり見えていないし聞こえてもいないようだ。
「なんだお前は。いいや、誰だお前は。何故私が異世界人だと知っているのかね。何が目的だ?」
《いいから落ち着け、うつけが。わたしの体はヒトに捕えられ封印されているが、今は意識だけを切り離している状態だ。だがそれも長くはもたん。卑徒の頭数が減ったおかげで話せるようになったが、すぐに封印が強化されてしまうだろう。だから今のうちに、要点だけを話す》
有無を言わさぬ口調に、口を噤むしかなかった。最初に会った時同様、敵意や殺意の類は感じられない。嘘を吐いている様子もなさそうだ。
卑徒の罠という線だってあり得るが、何故だかそうは思えない。
ひとまず話を聞くために続きを促す。
《一つ質問だ、異世界人。先日、そちらにラースが向かったな?》
「ラース、というとクレスの父親かね? つまり、あの卑徒は……」
《貴様の思っている通り、ラース・ブレイザーはクレス・ブレイザーの父で相違ない。そして卑徒ラース・ラースとなった元魔族だ》
褐色の美女は淡々と言葉を続ける。既に予想されていたこととはいえ、いさかか堪える内容だ。
だがさらに語られる真実は、より重い衝撃を運んでくる。
《ここからが本題だ。いいか、よく聞けよ。ヒトの目的は殺戮なんかじゃあない。奴らの行動原理は、孤独からの脱却――即ち、仲間を増やすことにある。眷属はヒトに成り損なった出来損ないだ。ヒトは同族としての資格を持つ者を探している》
ゾクリと。背筋に悪寒が走った。
私の憶測通り、卑徒は私を同族にしようとしていたのだ。その話が本当ならば、完全に廃滅させない限り卑徒は増え続けることになる。
しかし、私を襲った悪寒の正体はそんなことではなかった。私が何よりも恐れたのは、卑徒の行動原理そのもの。
孤独からの脱却、だと?
――貴様、私を卑徒化しようとしたな。そもそも、何故貴様たちは魔族を襲う? 卑徒化には一体どういう意味があるのだ――
――何故……何故だって? それを君が聞くのか? ボクたちがしていることは、君と全く同じだよ。そう、何も変わらない。何も……ね――
卑徒レヴル・レヴルに相対した時、既に答えは出ていたのだ。
そう、奴らと私はまったくもって変わらない。同じだ、何もかも。
ただ孤独を恐れる子供の思考。独りにしないでと泣き叫ぶ、哀れなガキの世迷言だ。
さらにレヴル・レヴルとの会話が蘇る。全ての謎は、奴の口から仄めかされていたのではないか?
――何故、私のことをヒューマンと呼ぶのだ?――
――君は気付かなかったの? ボクたちの正体にさ――
卑徒の正体とは何だ。レヴル・レヴルは全てを悟っていたようだった。ならばそれを知り得ているこの女は何者だ?
疑問だけが次々と浮かび上がり、私の脳内を犯していく。思考の渦から逃れようと、褐色の美女に尋ねようとして、彼女の様子が急変した。
《ちっ、感づかれたか! おいヒューマン、貴様は……貴様だけは奴らと同じになるな! ヒトを殺せ! 奴らの数を減らせばわたしが表に出る機会もあるだろう。次に会った時は、全ての真実を語ってやる!》
「お、おい待て! 話はまだ終わってない!」
慌てて追いすがろうとするが、彼女の体をすり抜けてしまう。これはただの幻影で、実体は卑徒の神殿にあるということか。
「せめて名前だけは教えろ、お前は一体何者なんだ!?」
苦しげに眉を寄せる彼女に向かって叫ぶ。恐らくは卑徒による封印が施されているのだろう。
それでも彼女は必死に口を開き、何かを伝えようとしていた。
《――――》
その声は、やはり届かない。最初に彼女と会った時のように、喧騒に掻き消えてしまう。
「クソッ……!」
彼女の幻影はもうどこにもなかった。また彼女と会いたいならば、卑徒を倒すしかない。
真実が開かされた分、残る謎もまた深くなっていく。底なしの沼のように沈んでいくしかないのだ。
突然告げられた真実に唖然としていた私だが、本来の目的を思い返す。
そうだ、クレスの元へ行かねばならない。
私の過去を語るために。そして私が何故卑徒と同じなのか、それを明らかにするためににも。
この醜悪な本性を、曝け出す必要があるのだ。




