第二十一章 親子 「親子とは?」 「誰よりも近い他人のこと」
「どうして……どうしてお父様が、卑徒に?」
クレスの独白に答えを返すものはいなかった。卑徒もまた沈黙を貫くのみだが、明らかな異常が起こっていた。
憤怒に歪んでいるはずの表情であるにもかかわらず、その瞳からは涙が伝う。その雫にどのような意味が込められているというのだろうか。
少なくともクレスには、自分を見て泣いているようにしか思えなかった。
と、静寂を切り裂くようにしてエイミーが叫んだ。
「クレス、考えるのは後よ! その男があなたの父であろうとそうでなかろうと、あの翼がある限り卑徒には違いないんだから! 魔王様のところへ行かせるわけにはいかないわ!」
エイミーとて戦争で父を亡くした身の上である。彼女もまた思うところがないわけではないが、これはれっきとした命の取り合いだ。
もし立ちはだかった敵が自分の父親だったとしても、エイミーは同じ台詞を吐いただろう。それだけの覚悟があって、戦争に臨んでいる。
その思いはクレスとて同じだった。眷属の中に家族や恋人がいても躊躇してはならない、というのが暗黙の掟である。
「――はい、分かっています。わたくしは魔王様を守護する盾。盾に余計な思考など不要!」
彼女は迷いを振り切るようにして前進。銀光が煌めき卑徒の首筋を狙って走った。
卑徒は弾かれたように飛び退いて回避する。これまで何の防御行動もとらなかった卑徒が、まるで忌避するかのように。
好機と受け取ったエイミーが上段から剣を振り下ろす。これは唸りをあげた卑徒の拳に弾かれ根本から折れるが、エイミーはその程度のことは織り込み済みだ。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁああっ!」
激痛を堪え、本命の跳び膝蹴りを放つ。魔力を放出して浮き上がった彼女の一撃はしかし、卑徒を数歩後ずらせるに止まった。
さらに、ほぼ死に体のテオドールが鮮血を吐き散らしながらも牙を剥く。魔力で強化された顎で喰らい付かんと迫るも、卑徒が上半身をのけぞらせて回避。
クレスは卑徒に反撃を行わせる隙を与えず、短刀を次々とばら撒いていく。
卑徒は動揺のためか魔力に乱れが生じ、鉄壁の守りが機能を弱めているようだった。分が悪いと判断したのか、壁を粉砕し逃げの一手をとろうとする。
「させませんっ!」
追いすがるクレス。
だが壁を次々とぶち抜き城の外へと強引に空間を繋げた卑徒は、さきほどまでの暴走が嘘のように鳴りを潜めて、
「……ク、レ……ス……」
と、短く呟いた。憤怒ではなく、悲哀の籠った切なる囁き。それはクレスの心に浸透し、犯すに相応しい一言だった。
「お父様……お父様ぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああっ!」
踵を返した卑徒が外へと飛び降り、魔王城に張り巡らされていた結界から出たことで転移魔術を発動させる。
クレスはただ、消えていく父の背中を見つめるしかなかった。
彼女の父がいなくなってしまった、あの時のように――。
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「そんなことが……」
私は茫然と呟くしかなかった。
全てを語り終えたリーネは、未だ精神不安定なクレスを心配そうに見つめる。
エイミーとテオドールの傷は深く、現在も治療中だという。あの兜の卑徒を相手にとったのだから、むしろこの程度で済んでよかったと思うべきか。
ミラージュは悔しそうに唇を噛み、強く拳を握りしめた。
「自分は……自分が許せないであります! 隊長たちが戦っているというのに、魔王様を連れて逃げることしかできない自分が……!」
悔恨に支配されたミラージュの肩にリーネが優しく手をかけた。
「いいえ、あなたのせいではありません。あなたはわたしの護衛としてよく働いてくれました。感謝します。わたしが至らないばかりにこんな結果になってしまって……」
己を責めるリーネの姿を見て、ミラージュは顔を上げた。はっとしたその表情から、彼女がすぐさま立ち直ったことがわかる。
「い、いえ申し訳ありません! 自分は魔王様をお守りするという光栄な任につかせていただいたのでありますから!」
ミラージュとて隊長のテオドールと共に戦いたかったのだろう。隊長が重傷を負っているのに副官である自分が無事なのが許せないのだ。
彼女は隊長のテオドールに代わり復興作業の指揮をとるために颯爽と去って行った。あの娘も軟弱ではない。毅然とした態度をもう取り戻している。
問題は、やはりクレスだろう。実の父が敵に、それも眷属ではなく卑徒になっているとなれば、無理もないことだが。
相次ぐ卑徒の襲撃に、ラティラ、エディの死、そして錯乱状態のクレス。
私を取り巻く状況は、刻一刻と苛烈さを増していた。先の見えない不安が鎌首をもたげ、私の心を刈り取ろうと隙を窺っている。
だが、折れるわけにはいかないのだ。
リーネも私と同じ思いなのだろう、気持ちを切り替えるように頭を振った。
「カズキ、今度はそちらの報告をお願いできますか。辛い状況だと理解はしていますが……だからこそ、わたしたちは歩き続けねばなりません」
「ああ、分かっているとも」
私は頷き返し、都市ダクシムでの出来事を伝えた。都市の現状、卑徒グラト・グラトの襲撃、エディを死を。
報告が終わると、リーネは悲しげに目を伏せた。
「そう……ですか。エディが……。しかし、卑徒グラト・グラトの討伐はとても喜ばしい知らせです。今はその僅かな希望を糧にするしかありませんから」
これで卑徒レヴル・レヴルとグラト・グラトは死亡。残る卑徒は四体となった。
しかし、クレスの父があの兜の大男だったというのは疑問が残る。そもそも魔族が卑徒になることがあり得るのか。
「リーネよ、確認されていた卑徒の数は五体なのだったな。その中に兜を被った卑徒はいたのか?」
彼女は首を横に振って否定した。
つまり、私が存在しないはずの六体目と認識していたのは卑徒ルシフ・ルシフだったが、奴は既に名称不明ながらも確認されていたのか。
いるはずのない六体目の正体は、兜の大男であり、クレスの父だった、と。
クレスの父は卑徒との戦争の折に戦死したようだが、死体は見つかっていないらしい。
可能性その一、ただの他人の空似で別人だった。これは現実的ではないだろう。
可能性その二、卑徒の能力によって操られている、もしくは親しい人物に変装する能力。これならば今のクレスは敵の思う壺だ。見逃されるはずはない。
可能性その三、クレスの父は眷属ではなく奴らと同じく卑徒になってしまった。やはりこれが最も可能性が高そうだ。
吸血鬼に血を吸われた者が、グールではなく同じ吸血鬼になってしまうようなものなのだろうか。
もしそうならば、奴らは――
――我々と共に来るつもりはないか、ヒューマン。君には資格がある。我々に並ぶ力が。我々と同じになるつもりはないか?――
奴らは、私を卑徒にしようとしていた……?
もし卑徒が増えるようなことになれば厄介だ。脅威を完全に排除するためには、卑徒を一匹残らず殲滅する必要があるわけだが。
「クレス……少し休んだ方がいい。それからゆっくり考えればよかろう。あまり無理をしないでくれたまえ」
私の言葉が聞こえているのかいないのか、虚ろな目で首肯するクレス。
父親、か。
私にとっては――思い出したくない類のものだ。
「そうですよ、カズキの言う通りです。厳しい言い方になるかもしれませんが、今のあなたがここにいても何も出来ないでしょう? さあ、早く休んできて下さい」
リーネがそう言って、ようやくクレスが重い腰を上げた。そのままフラフラとした足取りで自室へと歩いていく。
「あなたも休んでください、カズキ。長旅ご苦労様でした。ゆっくりと疲れをとって下さい」
「……ああ。悪いがそうさせてもらおう。君も随分疲労しているようだ、休んだ方がいい」
私の忠告を彼女が受け入れることはなかった。クスリと笑って、私の背中を押してくる。
「わたしには、まだまだやるべきことが残っていますから。せめて戦ってくれた皆のためにも、ここで放り出すことは出来ません」
私は思わず破顔して、口角を吊り上げた。我ながら不器用な笑みだと分かっている。
「馬鹿だな、君は」
「ええ、大馬鹿なんです、わたし。カズキと一緒です。案外お似合いなのかもしれませんね」
馬鹿者同士、馬鹿みたいに笑い合った。あえてエディの話題を避けているのがバレバレだった。
お互い本当に不器用なものだ。
「手伝おう、リーネ。君一人に押し付けるわけにはいかない。魔王様に倒れてもらっては困るのはこちらなのでね」
「……もう。ホント、馬鹿」
少し顔を赤らめるリーネの手を握って、私たちはミラージュの後を追った。
それから数日後。エディを含めた遠征軍と城での戦死者たちの葬儀が、粛々と行われた――。




