第4話 絵美里の場合
私は夫と性行為が出来ない。
半年ほど前に閉経を迎えた。
昨年辺りから性交痛がひどく、夫との性行為には苦痛が伴うようになっていた。
夫は決して無理強いなどはせず、性交痛を軽減するためにあれこれとインターネットで調べてくれた。
だけどインターネットで購入した潤滑剤などを使ったりもしたけれど、どれも効果的ではなかった。
夫は色々と知識を得て、性行為を私が苦痛なく行えるよう努力をしてくれたけれど、次第に夫のその努力自体が私にとってはプレッシャーになっていった。
夫はそんなつもりはないだろうけれど、性行為をしなければいけないという重圧に私自身が怖くなってしまったのだ。
そして私は夫にお願いして性行為を当面の間やめることにしたのだった。
年を取っても男女でいよう。
若い頃に夫と誓い合ったことだ。
私自身、たとえおばあちゃんになっても枯れることなく夫婦の営みを続けたいし、続けられるものだと思っていた。
だけど実際に閉経を迎える年になり、現実的な体の変化に直面したのだ。
性行為をしたくなくなったのは性交痛だけが原因ではない。
閉経によって体内のホルモンバランスが変化したせいか、性欲がまったくといっていいほど無くなった。
以前のようにしたくならないのだ。
もちろん夫を嫌いになったとか、そういうことではない。
今も夫を愛していて、キスやハグなどのスキンシップは私から求めるくらいだ。
だけど実際に性行為に移行することを考えると、つい怖くて、そして夫をその気にさせてしまうことが申し訳なくて、キスもハグも気兼ねなく出来なくなっていた。
夫はそんな私を責めたりはしない。
だけど夫は私と違い、まだ性欲は無くなっていないのだ。
私がキスやハグをした時の夫の反応を見ればそれが分かる。
夫に申し訳ない。
そして自分は以前とは変わってしまった。
更年期障害による心身の諸症状も相まって、私にとっては辛い日々が続いている。
夫もきっと辛いだろう。
この気持ちは夫にも伝えている。
確かに今現在、性行為はしたくない。
しかし以前のように夫との性行為を幸せに感じていた、かつての自分に戻りたいという気持ちはあるのだ。
このまま一生せずに枯れていくことへの漠然とした寂しさもある。
私たち世代の女性には「性行為なんてもう卒業」「夫のことはもう男として見られない」「何なら外で済ませてもらってきたほうが気が楽」なんて言う人もいる。
でも私はそんな風には思えない。
今は出来ないけれど性行為自体を卒業したつもりはないし、夫は今でも私にとっては愛する男性だ。
外で済ませてくるなんて絶対にやめてほしい。
夫が他の女性と……なんて考えただけで悲しくて泣きたくなる。
もちろん夫は決して私を裏切るような行為はしないと信じている。
だけど私はそこに甘えてはいけないんだ。
現実問題として夫には我慢を強いていることになる。
夫が『したくない私の気持ち』を尊重してくれることは、『したい夫の気持ち』を犠牲にした上で成り立っていることなのだ。
私はそれを忘れてはいけないと自戒する。
一体どうしたらいいのだろう。
自分の今の気持ちを、抱えている苦しさを私は夫に正直に話した。
すると夫は言ってくれた。
「僕らにはこうして一緒にいられる今と未来がある。その時間を使ってお互いの気持ちを言葉で伝え合っていこう。一緒に幸せになれる方法を探していこう」
それは月並みな言葉のようであるが、私にとっては背中から優しく後押ししてくれるような勇気を与えてくれる言葉でもあった。
『したくない私の気持ち』と『したい夫の気持ち』を完全に両立させる方法は無いと思う。
だけど言葉を重ねて歩み寄ることは出来る。
性行為が出来ずとも夫に寄り添うことは出来るはずだ。
「痛くて性行為自体は出来ないけれど、あなたが辛くならないように私に出来ることはするわ。だって……私はあなたが大切だもの」
夫にそう伝えるのは恥ずかしかったけれど、夫を大切にしたい気持ちの方が勝った。
ちゃんと言葉にして伝えられて良かった。
今も私たち夫婦は老化による変化の波に揉まれている。
人生の終盤に向けた旅はまだ始まったばかりだ。
でも悲しい亀裂を抱えることなく夫婦で進めている気がするのは、互いに決してその手を放すことなく、寄り添って相手を見つめ合えているからだと思う。
気持ちを言葉にして伝え合うことはこれからも続けていく。
それだけが2人のこれからの幸せを築いていけると今は信じることが出来るから。




