最終話 洋介の場合
「妻がしたくないと思うのは妻の自由だ。だけどそれを私に強いるのはやめてほしいんです。私は妻にそう言いたいんですよ。先生。したくない自由があるように、したい自由だってあるでしょう?」
カウンセリングを受けに来た本日最後の患者はそう言うと悄然として帰っていった。
妻とセックスレス5年の男性患者だ。
性行為の復活を申し込むも妻に断られ、ならばとセックスレスを理由の離婚を申し出たが妻側の拒否で頓挫。
離婚協議も難航しているらしい。
そうした状況に耐えかねての先ほどのセリフだろう。
当院では泌尿器科医である自分と、婦人科医である妻とで通常の診療の他にセックスレスをテーマにしたカウンセリングを毎週水曜日に行っている。
男性患者は同じ男性である自分が、女性患者は妻がカウンセリングを行っていた。
毎週のようにカウンセリングを求める患者は後を絶たず、年間にすると200件ほどの相談がある。
それほどセックスレスに悩むカップルが多いということだろう。
現代の社会問題だ。
袋小路に陥り、がんじがらめで動けなくなっている相談者も少なくない。
敢えて感情を排して構造的に言うと、現代の夫婦間でのセックスレス問題は『したくない側』の有利に出来ている。
『したくない側』に強引に性行為を求めるのはハラスメントであり、強硬手段に出ればそれこそ性的暴行として刑事事件になり得る。
そして『したい側』がセックスレスを理由に不貞行為に走れば、それは民法上の不法行為に当たり、『したくない側』より慰謝料を請求されることになる。
このように『したい側』は弱い立場なのだ。
この問題を解決するには徹底的な話し合いが必要だった。
話し合って分かり合うか、あるいは話し合って別れを選ぶか。
『したい側』は同じく『したい側』同士で、『したくない側』は『したくない側』同士でそれぞれ伴侶を選ぶのが最も幸運だとは思うが、世の中はそう上手くはいかない。
ゆえに徹底的に話し合って妥協と歩み寄りにより、それぞれのカップルで最適な答えを見つけていくしかないのだ。
このようにカウンセラーとして偉そうに持論を述べてはいるが、かく言う私たち夫婦もセックスレスだった。
もう10年近く妻とは性交渉が無い。
ただ我が家は『緩めのセックスレス』だった。
夫婦仲は険悪どころかすこぶる良好なのだ。
年に2回の夫婦旅行は欠かさず行っているし、日頃から公私ともに2人で共に過ごすことが多い。
根本的に気が合うのだろう。
妻が傍にいてくれると私もとても安心するし、このまま長らく仲良くしていきたいと思っている。
ただ……性交渉はない。
これは別にどちらから「したくない」と言ったわけではなく、何となくしなくても平気なまま互いにここまで来てしまった。
ゆえに私と妻とで自分たちのセックスレスについて話し合ったことはない。
長年連れ添ってきて今さら「セックスをするかしないか」と話し合うのもひどく気恥ずかしいものだった。
このまま一生しないで最後までいくのかは分からない。
ひょんなきっかけで夫婦の性交渉が復活するケースも、仕事上幾度も見てきた。
でも私はカウンセラーという立場上、患者にはこうアドバイスするのだ。
「恥ずかしがらずに夫婦で話し合いましょう。夫婦の性生活の在り方は十人十色。カップルの数だけパターンがあるのです。夫婦というのはこの世で唯一、恥ずかしいところを見せ合える他人同士です。言わずに後悔するより言って後悔するほうがいい。どうかとことん話し合って下さい。そして自分たちなりの答えを見つけて下さい。ご夫婦の今後の幸せのために今、恥ずかしさを堪えてきちんと話し合いましょう」
そんなことを思っていたら同じく本日のカウンセリングを終えた妻から声をかけられた。
「ねえ、あなた。私たちも逃げずにちゃんと話し合わないといけないわね。セックスレスのカウンセラーがレスのまま話し合いもしてないなんて、説得力に欠けるもの。あなたの気持ちを聞かせて? 私もちゃんと自分の気持ちを言うから」
そんなふうに言ってくれる妻を私は心から尊敬しているし心から愛している。
今夜は長い夜になりそうだった。
そして私は願わずにはいられない。
皆さんにとって良い答えが見つかることを。
【完】




