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婚約破棄されたので隣国へ嫁ぎます ~“氷の皇帝”は冷酷だと聞いていたのに、なぜか私にだけ甘すぎます~  作者: カルラ


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第四章 皇帝陛下は距離感がおかしい

ノルディアへ来て、七日が過ぎた。

言語の家庭教師であるエルナ先生との授業が始まり、午前中はノルディア語の基礎を学び、午後は城内の案内を受けながら過ごすという日々が続いている。

慣れない言葉は舌の上でうまく転がらないけれど、文字の形は思ったより早く覚えられた。

先生が「飲み込みが早い」と褒めてくださった時は、少しだけ嬉しかった。

城の使用人たちとも、少しずつ話せるようになってきた。

廊下でリナと話していると、若い侍女が立ち止まって会話に加わってくれることもある。

皆、最初は緊張した様子だったけれど、私が丁寧に接し続けるうちに、少しずつ表情がやわらいできた。

少しずつ、本当に少しずつ。

でも確かに、ここに居場所ができはじめている気がする。

そんなある朝、扉をノックする音がした。

開けると、侍女が両手で大きな箱を持って立っていた。

 

「妃殿下へ、陛下よりお届け物でございます」

 

「……え?」

 

「こちらへ」

 

侍女は部屋に入り、テーブルの上に箱を置いた。

蓋を開けると、中には深い青色のドレスが丁寧に畳まれて入っている。

生地は滑らかで光沢があり、裾には銀の刺繍が細かく施されていた。

私は少しの間、そのドレスを見つめていた。

 

「……陛下が?」

 

「はい。妃殿下のお体に合わせて仕立て直したと伺っております」

 

「仕立て直した、ということは……もともとあったドレスを?」

 

「いえ、新しく誂えたものかと。詳しくは存じませんが」

 

侍女が下がってから、リナが目をきらきらさせながら箱に近づいた。

 

「フィリア様、すごいですね。新しいドレスですよ」

 

「……そうね」

 

私はドレスをそっと手に取った。

手触りが、とても良い。

こんな生地のドレスは、王国でも滅多にお目にかかれなかった。

なぜ、と思う。

昨日の今日で、なぜドレスを。

翌朝、また扉がノックされた。

今度は小ぶりな木箱だった。

開けると、翡翠の首飾りが、深紅のビロードの上に横たわっている。

緑の石が、朝の光を受けてゆらゆらと輝いていた。

 

「陛下よりのお届け物でございます」

 

「また、ですか」

 

「はい」

 

侍女は涼しい顔で礼をして、下がっていった。

私はしばらく首飾りを眺めてから、箱の蓋を閉じた。

リナが心配そうに顔を覗き込んでくる。

 

「フィリア様、どうかなさいましたか」

 

「なんで二日連続で贈り物が来るのかしら、と思って」

 

「それは……嬉しいことでは?」

 

「嬉しいのだけれど」

 

言葉に詰まった。

嬉しい、とは思う。

でも同時に、怖い、とも思ってしまう。

これだけ続けて贈られると、何を求められているのかが分からなくて、落ち着かなかった。

その翌日の朝は、白い花束が届いた。

冬の寒い国で、どこで手に入れたのかと思うほど、みずみずしい花だ。

添えられた一筆箋には、ノルディア語で「城の温室より」とだけ書かれていた。

その翌日は、温室で栽培した茶葉だった。

入れ方の説明書きまで、わざわざ同封されている。

私はそれを読みながら、少し呆然とした。

説明書きの文字は、几帳面で端正な書き方をしていた。

皇帝が直接書いたものかどうかは分からない。

でも、それを誰かに命じてでも送ってきているという事実が、なんとも言えない気持ちにさせる。

五日目の朝、私はついに決心した。

謁見を申し込んだのだ。

ヴォルター氏が少し驚いた様子を見せながら、それでも午後の時間を調整してくれた。

皇帝は執務の合間に時間を作ってくれるらしい。

執務室の扉の前に立った時、心臓が少しだけ早く打った。

深呼吸をして、扉をくぐる。

部屋は執務室らしく、書類の山があちこちに積まれていた。

窓際の机に、カイルハルト皇帝が座っている。

視線を上げると、いつも通りの無表情がある。

 

「何か用か」

 

「はい。少しよろしいでしょうか」

 

「構わない」

 

私は机の前に立って、一つ息を吸った。

 

「ここ数日、毎日お届け物をいただいておりました。ドレスに宝石、お花に紅茶まで」

 

「ああ」

 

皇帝は書類から目を上げた。

そして短く、当然のことを述べるように言った。

 

「それが何か」

 

「……なぜここまでしてくださるのでしょうか」

 

皇帝が、わずかに眉を動かした。

怪訝というより、質問の意味が分からない、という種類の動きだ。

 

「妻を大切にするのは当然だろう」

 

「え」

 

「何がおかしい」

 

「いえ、おかしいとは申しておりませんが……」

 

私は少し言葉に詰まった。

当然、と言った。

あの人が、当然と言った。

「当然」という言葉を、レオニス殿下は一度も使ったことがない。

私を大切にすることが、当然だと思ったことは、あの人には一度もなかっただろう。

皇帝は私の様子を見て、何かを考えるように少し黙った。

それから、静かに続けた。

 

「ドレスのサイズが合わないなら直させる。花が好みでなければ別のものを用意する。遠慮なく言え」

 

「……そういうことではなく」

 

「では、何だ」

 

「過分なお心遣いに、どう反応すればよいのか分からなかったのです。ありがとうございますと申し上げるべきところを、戸惑ってしまっておりました」

 

正直に言うと、皇帝はしばらく私を見ていた。

表情は変わらない。

でも何か、考えているような間があった。

 

「……戸惑う必要はない」

 

「はい」

 

「受け取ればいい」

 

「……はい」

 

「以上か」

 

「あ、はい。失礼いたしました」

 

礼をして部屋を出ると、廊下でどっと力が抜けた。

背中を壁に預けて、天井を仰ぐ。

受け取ればいい、か。

そんな簡単に言われても、と思う。

でも皇帝の言い方には、嘘がなかった。

計算や思惑を感じさせる余地が、あの言葉にはない。

ただ、当然のことを当然として言っている人の声だった。

翌朝、また届け物があった。

今度は小さな木箱で、中には細かい細工の施されたアメジストの耳飾りが入っていた。

紫がかった石が、澄んだ光を放っている。

 

「また来ましたね」

 

リナが半ば笑いながら言う。

 

「……そうね」

 

私も苦笑した。

受け取ればいい、と言われた。

ならば今日から、素直に受け取ることにしよう。

ありがとうございます、と心の中で言いながら、耳飾りをそっと手に取った。

窓の光に透かすと、アメジストが紫に輝いた。

綺麗だと、素直に思った。

その日の夕方、城の廊下を歩いていると、執務室の前でカイルハルト皇帝とばったり行き合った。

彼の隣には側近らしき若い男が書類を持って立っている。

皇帝は私を見ると、足を止めた。

私も立ち止まって、礼をとる。

 

「陛下、本日のお届け物もありがとうございました」

 

短く言うと、皇帝は一瞬だけ何か言いたそうな顔をした。

それからまた、いつもの無表情に戻る。

 

「……耳飾りは、似合っているか」

 

「え?」

 

「今日送った耳飾りだ。アメジストにしたのは、お前の目の色に合うと思ったからだが」

 

私は思わず、耳に触れた。

今日の午後から着けていた、あの耳飾り。

私の目の色に合うと思ったから。

そんな理由で選んだのか、あの人は。

 

「……とても、綺麗です。ありがとうございます」

 

今度はちゃんと言えた。

声が少し上ずってしまったけれど、それでも言えた。

皇帝はそれを聞くと、ほんのわずかに、目元がやわらかくなった気がした。

気がした、だけかもしれない。

もしかしたら見間違いかもしれない。

でも確かに、その一瞬だけ、あの人の顔に何かが宿った。

 

「そうか」

 

それだけ言って、皇帝は歩き出した。

私はその背中を見送りながら、しばらくそこに立ち尽くしていた。

後ろで、側近の男がこそっと何かを呟いた。

 

「……陛下が石を選ばれたのは、あれが初めてですよ」

 

「え?」

 

振り返ると、側近は少し慌てた様子で目を逸らした。

 

「いえ、何でもございません。失礼いたしました」

 

彼も足早に皇帝の後を追っていく。

私はぽかんとしたまま、もう一度耳飾りに触れた。

皇帝が、自分で石を選んだ。

あの無表情の人が、私の目の色に合うかどうかを考えながら。

なんだかとても、不思議な気持ちになった。

胸の奥がほんのりとあたたかくなるような、くすぐったいような。

やっぱり、この人は分からない。

"氷の皇帝"のはずなのに、私に対してだけ、何かが違う気がする。

夕食を食べながら、リナに今日のことを話すと、彼女はみるみる顔を輝かせた。

 

「フィリア様、それはつまり……!」

 

「つまり、何よ」

 

「陛下が、妃殿下のことをとても気にかけていらっしゃるということではないですか!」

 

「……そう単純にまとめないで」

 

「でもそうとしか思えません!」

 

私は苦笑して、紅茶を一口飲んだ。

温室から届いた茶葉で淹れた紅茶は、ほんのり甘い香りがする。

そう単純な話ではないと思う。

きっと何か、私には分からない事情があるに違いない。

でも今夜だけは、その温かさを、素直に受け取っておくことにした。











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