第57黒 譲れない獲物――効率と完全性
謁見を終え、エルドが長い回廊を歩く。
白い石壁に規則的な足音が反響する。
――その静寂を、軽い声が裂いた。
「へぇ……噂通り、随分と面白い話だね」
エルドの足が、わずかに止まる。
柱の影から現れたのは――ヴァレン=シャルク。
壁にもたれかかるようにして、くすくすと笑っている。
「盗み聞きですか?」
エルドは振り返らず、視線も向けないまま、冷たく言い放つ。
「やだなぁ、僕は情報担当だよ?」
ヴァレンが肩をすくめる。
「聞こえちゃうんだよ。ああいう“面白い話”はさ」
止めもしない。
ヴァレンはゆっくりと歩み寄る。
靴音は軽いが、その存在感は妙にまとわりつく。
「”黒のカサブランカ”……」
楽しそうに、その名を転がす。
「いいよねぇ、ああいうの。
強さもさ、あの無駄のなさも……」
一歩、近づく。
「でもさ……一番いいのは」
顔を傾ける。
「必死で“現実に抗ってる”ところだよね」
不敵に笑う。
「どう足掻いても救えないものに、手を伸ばしてる感じ?」
「……実に滑稽だと思わない?」
沈黙――
エルドは、ようやく足を止め、ゆっくりと振り返る。
その目は、冷え切っている。
「ねぇ、エルド」
ヴァレンが、わざと距離を詰める。
顔を覗き込むようにして。
「協力してあげようか?」
空気が、わずかに歪む。
「罠、毒、分断……」
指を折りながら数える。
「僕ならさ、“綺麗に削れる”よ?」
にやりと笑う。
「仲間ごと引き裂いて、逃げ場なくして、最後に心を折る。
君が欲しい“形”に整えてあげるよ。」
一拍。
「むしろさ――」
声を落とす。
「そのままじゃ、君の方が壊されるんじゃない?」
一瞬の沈黙。
エルドは、ゆっくりとヴァレンを見る。
その目にあるのは――完全な拒絶。
「不要です」
エルドは一切の迷いもなく答える。
ヴァレンが目を丸くする。
「え、即答?」
「あなたの手法は粗雑だ…」
空気が、一段冷える。
「対象の損傷が大きすぎる」
「はは……ひどい言い方だなぁ」
ヴァレンが肩を揺らして笑う。
「僕は効率重視なだけだよ?」
「私は“完全性”を重視していますので」
その声には、揺らぎがない。
「その程度の処理で満足するつもりはありませんよ。」
一歩、踏み出す。
ヴァレンの横を通り過ぎながら。
「彼女は――ただ壊すには惜しい」
低く。
だが、確信に満ちた声。
ヴァレンの笑みが、深くなる。
「へぇ……」
「”コレクション”にする気なんだ?」
エルドは、足を止めない。
否定もしない。
「観察対象として極めて優秀ですから」
そのまま続ける。
「反応、適応、判断速度――すべてが高水準」
「何より…」
ほんのわずかに、口元が歪む。
「私の傑作を超える力を秘めている。」
ヴァレンの目が細くなる。
「……ああ、だから余計に欲しいわけだ」
エルドは、振り返る。
「理解が早くて助かります」
その目には。
狂気と、執着と、確信。
「だからこそ、完全な形で保存する」
「意思を削ぎ、従順性を付与し最適な状態で“固定する”」
一歩。
また一歩。
「それが最も効率的で、最も美しい。」
ヴァレンが、小さく笑う。
「……やっぱりさ。君、結構危ないよ?」
肩をすくめる。
「忠告してあげるけどさ――
ああいうタイプは、“折れない”よ?」
「壊すなら一瞬でやらないと…
中途半端に触ると噛みつかれる。」
一拍。
「……さっきみたいにね」
エルドの足が、止まる。
ほんの一瞬。
だが――
すぐに、再び歩き出す。
「……問題ありません」
振り返らないまま。
「例外であろうと、
私に同じ手は二度は通じませんから」
その声には、揺るぎがない。
「私は、失敗しない」
静かに言い切る。
ヴァレンが、くすりと笑う。
「その自信、嫌いじゃないよ。
壊れた時、どんな顔するかも楽しみだしね」
エルドは、答えずただ、歩き続ける。
その背に向けて、ヴァレンが軽く手を振る。
「じゃあさ――」
「せいぜい、大事に扱うことだね。“壊れやすい玩具”なんだから」
返答はない。
だがその沈黙こそが――
絶対的な自信の証明だった。
まだ見ぬ再戦へ向けて――
歪んだ思惑が、静かに動き出す。




