3.彼と彼女と彼らの事情 03
一人暮らしの男の部屋には必要最低限の食器しか置いていない。形の違うカップがテーブルに四つ並んだ。コーヒーを入れるのは勿論クラウではなく、アザエルだ。
「まず確認しておこう。第一大陸で一番メジャーな宗教って、アレイス教だよね」
頷く。第一大陸。世界の始まりの大陸とも、最も歴史の長い大陸とも称されている。つまり、この大陸の始まりが世界の始まりと符号で結ばれることを意味する。
その世界と最も長く時を共有している宗教。それは、このダラスが大きく関係している。
「クラウ、アザエル。じゃあ、一応聞いておくけど、君たちは聖樹信仰って知ってる?」
「なにそれ?」
クラウとアザエルは口をそろえた。
聞き覚えはない。「信仰」と名前がついているのだから、何かしらの思想や宗教なのだろうが、教わった覚えも資料や文献で見た覚えもなかった。アザエルも同様だろう。
三つの大陸に広がる四つの代表的な宗教と言えば。
愛と世界平和のアレイス教。
善悪の二元論を説くヴェルトナ教。
火を奉る灰教。
自然物に宿った聖霊を敬う全神道。
二年制の専門学校には「思想と信仰」という科目も入っている。四大宗教をはじめとして、地域に密接している土着信仰や諸思想までを一通りの知識として頭に埋めておく。
ヴァシリーの言う「聖樹信仰」とは、その範疇外の思想だった。
他にもいろいろ、新興宗教が各地でぽこぽこ生まれているらしいが、全てを把握している訳ではない。そんなことは不可能に等しい。人が生み出した思想を完璧に網羅しろ、というほうが無理な話だろう。
「……まあ、一言で言っちゃえば、一本の樹を信仰する思想さ。古代社会の中心になった思想だけど、今では一般的じゃないし、知っている人はごく少数に限られている。まぁ、あとで文献貸すから読んどくといいよ」
ヴァシリーは二人の無知を特に気にした様子を見せず、ざっくりとした概要を話した。
アザエルが長い足を組み替える。早くも退屈しているみたいだ。
ヴァシリーが言いたいのはつまりはこういうことだろう。仕事人間のヴァシリーの性質と、短い彼の発言から推測するに――
「端的に言うと、この辺でその聖樹信仰に関係すると思われる遺跡があるんだ。その調査を、これから行おうと思ってるんだ」
――自分の推測を言う前に、ヴァシリーに先を越されてしまった。ある意味それは恥ずべき行為なのではないか、と思わず感じてしまった。
クラウ達が現在滞在している聖ルーファス公国の首都ダラスが、アレイス教の聖地として認定されたのは一千年ほど前に遡る。神の一人子が最も滞在した土地である、というのが大元の理由だ。当時の法王であったベルナデル一世が制定して以来、神の子の生誕と終焉の地と同等以上の意味を持つようになった。寧ろ、今ではこの二つを差し置いて、アレイス教の中枢を担っていると言っても過言ではない。
ベルナデル一世がダラスを聖地認定したのは、神の愛の布教のため、というのが最大の理由ではあろうが、それは一つの宗教に関わる土地の神聖化だけではなく、ダラス近郊の他の思想や諸宗教の排斥も意味していた。そして一度廃れてしまうと、歯止めが効かなくなる。血なまぐさい事情が付いて回るものだ。
だが、排斥された思想の跡地が全く残っていないか、と問われればそれは嘘になる。現に、ダラス及び、その郊外に広がる森――昨日クラウが害獣と死闘を繰り広げた森である――は、アレイス教だけではなく、偉人の古墳やら民族の生活の跡地が魑魅魍魎と残っている。
国名にもなったアレイス教の聖人ルーファスの墓。
埋められていた四足歩行の猿人ディントリータスの骨。
質屋の主人が耳これ見よがしに飾っている――森を好んだ種族であった――という、絶滅したエルフ種族の住居跡。エルフが絶滅した理由も何かアレイス教が関わっているようだが、詳しくは分からない。
この地から排斥されてしまった、数百年前の灰教の寺院。これは、現在廃墟になっているが、ダラスの史跡探索保護協会により手厚く“遺跡”として認定されている。
古代人の魔よけの道具だった翡翠の首飾り。
これらと同様に、その聖樹信仰というものの跡地が残っていてもおかしくないだろう。世間一般が知っているか知らないか、は、別として。
「発見できたのはまぁ偶然だよ」
ヴァシリーの仕事は、探索者への仕事の斡旋だけではなく管轄内の遺跡の管理も入っている。その管轄に滞在している遺跡探索者が、認定した遺跡の巡回をローテーションで担当し、問題の有無を確認する。報告書を読んで実状を確かめる。ひとつ問題があれば、ヴァシリーが直接部下を率いて赴くこともある。
始まりは二か月前。事務室で書類を眺めていたら、気になる報告があった。簡潔な一枚の報告書には、二枚の白黒写真が添付されていた。
その内の一枚に写されていたのは、手のひら程度の岩盤に記された文字だった。ひとつの文字を表すために、動物の牙か何か鋭いもので何度も何度も削るように描いたのがよくわかった。
もう一枚は、人ひとりが入れそうな土壁の隙間だった。
「どう思う?」
二枚の写真と簡潔に書かれた報告書を、秘書のキーラに見せる。
「何かに通じる洞窟と考えてよろしいのでは? 書かれている通り、もしかしたらまだ解明されていない遺跡なのかもしれません」
有能な秘書からは、ヴァシリーが満足する答えが返ってきた。
――簡潔な報告書には、一見の余地あり、新規遺跡の可能性大、と述べられていた。
他の大陸との交流も盛んにおこなわれてきた現在、口から出る言葉は第二、第三大陸と同じである。だが、音を表現する文字表記は、第一大陸はミュール語で統一されているのだ。これは、千年前のベルナデル一世の時代に聖地認定と共に制定されたのだ。この言語統一は、アレイス教の聖典に書かれた文字であることが大きな理由である。代わりに、その他地方に残された文字は、ほぼ死語になってしまった。
ミュール語が浸透して千年が経った。現在社会で死後になってしまった大量の古代語が難なく読める人間は、ほとんど存在しないと言ってもいいだろう。ヴァシリーも古代語の語形から、これは何の文字である、とわかるのが幾つかあるだけで、解読までには至っていない。これからが課題となる研究分野の一つである。
件の写真の文字は、少なくとも現在第一大陸で使われているものではない。この時点で千年前のものだということがわかる。
何冊もの古代語語形辞典を引っ張りだし、語形を吟味する。文字の正体がわかったら、その文字がつかわれていた時代や背景、そして地域を調べ上げる。それが最初の一か月。
その間、担当した巡回員に、ヴァシリーの権限でもって中の様子を探らせた。……中に害獣がいる可能性が大きいので、十分な警戒と武装をすべし、という注意も込めて。運よく無事に帰ってきた巡回員の初的調査の結果により、人ひとりがかろうじて通れる隙間の先には、開けた空洞に出ると判明した。
二か月の巡回員の懸命な調査と文字を吟味した考察の末に、ヴァシリーは二つの結論にたどり着いた。
一つは、この隙間から始まる洞窟は、調査に値するものである、という確信。
そしてもう一つが、写真の文字が主に使われていたのが、古代世界に大陸の中欧を中心に各地に散見していた思想である。――つまりそれが聖樹信仰であり、この洞窟は大いに関連するものである、と結論付けた。
「それで、一週間前にこの辺の街一帯に臨時職員として雇う為に知識者募集の声かけたら、一昨日ディーターにいた彼女から連絡があったのさ。それで、急いで来てもらったっていうわけ」
港町のディーターからダラスまで、列車でなら二時間だが、不眠不休で歩いても、一日以上かかる。……ミルカが寝不足な理由が、ここではっきりとわかった。列車に乗る金の余裕ぐらい作れ、とクラウは突っ込みたかったが、万年金欠病の自分が言うことでもない、とも思ったので、言わないでおいた。
まぁ、ミルカは、理由は分からないが、その聖樹信仰というものの知識を持っている、というわけだ。だからこそヴァシリーの募集に目を止めたのだろう。
タイミングが良すぎる、とも思う。ミルカは第一大陸中を旅していると言っていたし、世間に知られていない思想の知識を持った人間なんて、そうはいないだろうから。
偶然、というものは恐ろしいものだ。一つその偶然が重なってしまえば、うますぎるほどことが進んでしまう場合もあるから。
長い話を終えたヴァシリーが珈琲を一口含む。アザエルなどその間に、3杯も飲みほしていた。カップが空になり、おかわり、とヴァシリーが注文を付ける。
「ま、それで調査隊を結成して、一週間後をメドに潜りたいんだ。行く前に彼女からいろいろ話を聞きたいしね。それほど規模が大きい所じゃないから。多くて五人ってところかな。まず、責任者の僕。その時の巡回員だった先輩のビアンカ。それからアザエル。君も来てね」
ぬるくなった珈琲をカップに注いでいたアザエルの眉が、わずかに跳ねる。跳ねたのは眉毛だけではなく、注いでいた黒い液体も同様にバウンドする。まさか自分に振られるとは思ってもいなかったのだろう。
「……理由を聞いてもいいですか」
「ここにいる縁。そこに君がいるから」
ヴァシリーの即答に、お前は登山家かと突っ込みたくなった。そこに山があるから登る、みたいなテンションだ。
「拒否権はありますか?」
「あるように見える?」
「……わかりました」
何を言っても無駄だと悟ったのか、アザエルは意外な素直さで了承した。
クラウは、たまに、このあまりにも自由な親友が理解しがたい時がある。普通、直々に仕事の依頼がある場合、よっぽどのことが無ければ断らないだろう。やる気があるのだか、ないのだか、本当によくわからない。第一、串焼き屋は自営業だから都合をつければ休めるだろうし。
聖像破壊の一件で、多額の罰金だけではなく、実は二か月の謹慎処分を食らっている。今回は自分に仕事が回ってくることはないだろう。非常に歯がゆいが、まぁ仕方がない。というか、あれだけ酷い破壊をしてきて、二か月程度で済んだのが奇跡なのだろう。
仕方がないのだが……。
「発掘前の遺跡に入れるのは、その遺跡にかかわる人物と、遺跡探索者だけ。今回の調査に、彼女は貴重な関係者だから連れて行く。で、ここにいる縁だ。クラウ、彼女の護衛、お願いね」
「――は?」
思いもよらない角度からの言葉。
先ほどアザエルに拒否権はないと言っていたから、どうせ自分にもないのだろう。だが。
「……理由を聞いていいか」
それぐらいの権利は認めてくれるだろう。どうぞ、とヴァシリーは目で促す。
「何でそこで俺が出てくるんだよ」
「ここにいる縁だよ。そこに、君がいるから」
「登山家みたいな事ほざくな! それじゃ理由にならない」
「何だい? いつもだったら飛びつくのに、妙にごねるじゃないか」
「ごねてない。俺は今謹慎中だろ。お前に何か裏でもあるんじゃないのか?」
普段のヴァシリー・アトウェルならば。謹慎中の人間に、そんな話は持ってこない。クラウの素行を指で笑い、かつその処分を冷ややか告げては鼻先で笑い、謹慎中で悶々しているところに追い打ちをかけてくる人間なのだ。護衛という面目をつけて仕事を与えてやる、と言っているようなものではないか。
怪しい。何故、今回に限ってこんなことを言ってくるのか。
顔を固くさせるクラウとは対照的に、ヴァシリーの態度は極めて平静だった。
「遺跡に入ったら、僕らはそれに集中したい。さらに害獣が出現したとき、彼女を守れる人間がいない。ついでに出たらやっつけてほしい。あ、探索の仕事はしちゃダメだよ。君、謹慎中になってるからさ」
「待て待て待て、アザエルはともかくお前も闘えるだろ」
「いや、やっぱね、君がいるのといないのだと違うんだよ。出入りもしてないところだから、害獣がうようよいてもおかしくないだろ? そこで君の出番ってことさ」
「だったら尚更だろ! つーか、謹慎中でハンターの免許も持ってない人間を連れていくか? あり得んだろ! 違法だろ!」
「そーいうと思った。……そんな君にこれをあげよう」
テーブルの上に置いて見せたのは、一枚のカードだった。名前と、白黒に移されたクラウの写真。出身地であるカロカッタ村まで書かれている。名前の上に書かれた『ハンター認可証』という文字は、このカードが何者であるかを示している。勿論クラウは、こんなものは持ったことがない。
つまりこれは――
「ぎ、偽造証……」
「よく出来ていますね。これ。言わないと分かりませんよ」
アザエルは感嘆の声を出すが、クラウはひたすら絶句するしかない。
「キーラが昨日、一晩で作ってくれたんだ。そんな彼女の努力を無駄にしないためにも、君にはこの話受けて欲しいなぁ」
一晩で制作するキーラの技術も脅威に値するが、こんなもん作らせるなよ、と思う。恋人を犯罪に加担させているのだ。
軽蔑と諦めの視線を送っていたら、ヴァシリーがにこやかにほほ笑んでいた。そして、優雅にのたまう。
「ま、ほかの皆副業で忙しそうなんだよねー。こっちの仕事は巡回で手一杯って感じなんだよ。今回はビアンカさんが来てくれるけど、基本的に人手不足なんだよ。ケリーは抜け出せない授業があるっていってたし、ドーラは親戚の子のベビーシッターで手が離せない。ミハエルは第三司教区で水道工事の監督やってるよ。ダイアナが図書館勤務中なのは君の方がよく知っているだろう? アレックスとシエタは別のところ行っちゃったし。手っ取り早く使えそうな暇人は君らしかいない。ついでに言えば、護衛って面で君ほど安心できる人間もいないんだよね。ま、君はあくまでも護衛だから、何もしちゃダメ。何もなかったらそれでいいんだから。それに……」
「それに、何だよ」
「当の本人は君が最適だと思っているみたいだけど」
本心を言えば、全く行きたくない、というのは嘘になる。もし、そこに何かの跡地があり、人の手によって作られた文明があり、文化があり、謎があるというのなら。それに挑みたい、知り尽くしたい、己の心の行くまで探究心を満たしたい、というのが遺跡探索者の性なのではないだろうか。
だから「何もするな」という命令は生殺しに近い。しかも今回は害獣退治というあまりやりたくない仕事まで付いてくるのだ。そう考えると依頼を受けるのを躊躇ってしまう。基本的に、一般人の出入りが認められていない保護前の遺跡に入れるのは探索者だけだが、ハンターでも一級免許を持っていれば、探索者の同伴付きという条件付きで遺跡には入れることになっている。
クラウはハンターの資格を持っていない。その上謹慎中の身だ。遺跡に入れない要素が、これだけ揃っている。前例どころか、前代未聞どころか、普通に違法行為だ。バレたらクラウだけではなく、ヴァシリーの方が重い処罰を下されるのではないだろうか。
護衛という面目で仕事を与える、というより、まるで、ヴァシリーが違法を犯してでもその遺跡に入れたがっているように見える。
何かの裏があるようで身構えてしまう。確かに自分は、今の仕事が好きだが、そんな危険を犯してまで引き受けようとは思わない。
だが。
少女の純粋な視線が注がれる。何に期待しているのか、何を期待しているのか、全く分からない。
ただ、一つ、実感していることがある。
そんな目で見つめられたら。
「……分かった。引き受けた」
そんな目で見つめられたら、ほかにどんな理由があれ、断りづらいではないか。
ぱっと、ミルカの顔が輝く。
「よろしくお願いしますっ! 王子様!」
言いながら、柔らかい少女の手が青年の手を握って元気な笑顔を見せる。その柔らかさを実感するでもなく、クラウの顔が半笑いのまま固まった。
――それを今言わなくてもいいだろう!
「……え、王子様って何? クラウ、僕にも詳しく教えて」
驚きながらもからかうようなヴァシリーの声をきいて、クラウは再び頭を抱えた。俺に聞くな、という言葉さえも出る気力がなかった。気配だけで、アザエルが声を殺して笑っているのがわかった。そんな周りの反応を、ミルカは気にした様子を見せない。
前途は多難。一体どうなることやら。




