1-⑤ 『人生の代償』
道中、アオイの口が開かれることは一度もなかった。
「こんにちは! お兄さん!」
「あ、あぁ、こんにちは」
対してアイオは、すれ違う人たちみんなに大声で挨拶をして困惑させている。目的は分からない。
いつも通りの気分なら、恥ずかしいからすぐにでもやめさせていたが、今だけは彼女と話したくなかった。
アイオのこのいつでも底なしの元気さがあるところが好きだったのだがなぜだか今は。
かなり歩いているので、辺りが少し暗くなってきた。
この世界の時間の概念はよくわからないが、日本で言う5時くらいだろうか。
といっても、万年引きこもりのアオイの感覚だ。ぜんぜんズレているかもしれない。
人通りも減り、昼の雰囲気とはガラッと変わっている。
「どんだけ、遠いところの宿なんだよ」と今すぐにでも言いたいところだが、そんなことを言える気分ではない。
せめてもの反抗として、ため息をついたその瞬間、
「ん!!」
なんだ!?
突然視界が黒くなり、口が布のようなもので塞塞がれたのだ。声が出ない。それに目も見えないので、周りの状況がつかめない。体が浮いた感覚だけが残る。
「叫ぶな。声を出したら殺す。」
耳元で、明らかに悪そうな声の男が聞こえた。
殺されたくはないので口を閉ざすが、そもそも声を出せない。
おそらく誘拐犯か何かだろう。それに相当な手練れと見た。あまりに手際のよく行われた犯行によって、周りの人はおそらく気づいていない。その証拠に悲鳴の一つ上がらない。この町では日常茶飯事だから、みんな見慣れているなんてことは考えたくない。
「ちょっと!! 何をしているんだ君たち!!」
唯一聞こえたのが、アイオの叫び声。
おそらく今、アオイはどこか人目のつかないところに連れていかれており、アイオがそれを追いかけている形だ。
アオイはあまり動揺していない自分に驚いた。
これから何をされるのだろう。
「あの女は撒けたか」
「いっ!」
乱暴に振り下ろされた衝撃で、腰に激痛が走る。同時にその衝撃で、雑に結ばれた目隠しが外れた。
「どこだここは」
周りを見渡してみると、室内だった。
しかし、電気はついていないし、人もいる気配がない。おそらく廃墟のような場所だろう。この男たちのたまり場といったところだろうか。
「てめぇの墓場だよ。」
一番背の高く、横幅も大きな男が先頭に立って、こちらに寄ってきた。いかにもな見た目の輩だ。
数は五人。全員が黒い服を着た若い男だ。部屋には、気分の悪くなる甘い香りが充満している。
なんだか懐かしい光景だ。
「目的は殺しか? ならさっさと済ませてくれ。今は機嫌がすこぶる悪いんだ。」
「生意気な奴だな。一発殴られねぇと分からねぇかぁ!」
異様に落ち着いたアオイの様子が気に入らなかったのか、腹に重たい一撃が放たれた。
痛い。しっかりと鳩尾を狙って殴ってきやがった。
息が出来なくなる。呼吸を司る全ての器官が痙攣をおこし、唾液がぽたぽたと零れる。
「どうだ?ちょっとは言うことを聞く気になったか?」
「いつお前の言うことに歯向かったんだよ。馬鹿との話は疲れるから嫌いなんだ。で? 目的は何なんだよ」
「はっ! お前面白れぇ奴だな。気に入った」
アオイの挑発に男たちがピキピキと脳の血管を腫らしているが、自尊心を保つためか彼らはそれを笑いで誤魔化し踏みとどまった。
「金を出せ。有り金すべてを俺たちに献上したら、もしかしたら逃がしてやるかもしれないぞ?」
豚の如く醜悪な顔を浮かべ、眼前まで迫ってくる巨漢。
それにしても、こいつも結局金目当てか。
働けばお金を貰えるということを教わらずに育ったらこうなってしまうのだろうか。
「運が悪かったのか、目が腐ってんのかわからねぇが、この俺が金を持っているように見えるのか?」
アオイはポケットを裏返しながら、嘲るように男たちを笑った。ちなみに中から出てきたのはでっかい埃といつのかわからないレシートだけ。
自分で言うのもなんだが、なぜこんなボロ臭い服を着た男を狙ったのか分からない。
普通なら、高そうな服を着た女とか、格好だけはいっちょ前なボンボンとかを狙うはずだ。どうして俺なんかを、とアオイはさらに眉間のしわが深まる。
「知らねぇのか? この国——グレーテンの貴族は町を出歩くときには、わざと下級市民の格好をするんだ。てめぇのそのきったねぇ服もあいつらそっくりだ」
「失礼な馬鹿だな。これはコスプレじゃないし、毎日俺はこの服で生活してんだ。下級市民の恰好をした下級市民だよ。残念だったな」
その通りだ。
アオイの着ている黒いジャージは数年洗濯してないだけのただの服で、決してわざと汚い服を着ているわけじゃない。普通に汚い服をしているだけだ。勘違いしないでいただきたい。
「いや、違うな。なんせお前は丁寧に護衛までつけてやがったじゃねぇか。馬鹿はおめぇだよ。どうせそんな恰好するなら、護衛の女にも同じ服を着せるんだったな」
後ろの四人の男たちは腹を抱えて笑っている。
こういった輩と付き合いの長いアオイは慣れているが、彼らの言動を見ているとだんだん恥ずかしくなってくるのだ。どこまで醜態を晒せば気が済むのだろう。
「あの子は関係ない。ただの、」
言葉がつまってしまった。
考えてみれば、アイオとの関係はなんなんだろう。
友達?ではない気がするし、仲間?もなんだか違う。
やめよう、今はあまり彼女のことは考えたくない。
「とにかく、俺はお前らの望んでるような人間じゃない。俺は飯代さえ払えないどうしようもないニートで、今夜食べる飯もない。つまり、俺をどうしようが金の音はならないってことだ。はやく別のやつをあたった方がお得だぞ」
そう言って男たちの横を通り、出口に向かった。手足くらい縛っておけばよかったのに、どこまでも愚かな奴らだ。
このまま帰って、早く宿に——、
「おい待て」
帰れないことくらいアオイにもわかっていた。
腕を掴まれ、全力で投げ戻された。とんでもない力だ。軽く三、四メートルぶっ飛んだ。
アオイはとっくに知っている。
彼らのような輩が、理屈で動くような奴らではないことを。
自らのプライド、矜持、見栄を守るためなら、簡単に暴挙に走るような奴らだということを。
「嫌な思い出を思い出させないでくれ」
「良いだろ? どうせ走馬灯で全部思い出すんだ」
会話はそれで終わった。
後ろにいた四人に両手両足をそれぞれ固定され、話をしていた一番大きな男に滅多打ちにされる。
この男は、こういったことをかなりやり慣れているのがアオイにはすぐに分かった。
腹、肋骨、鼻、歯、鎖骨、股間。一番痛くて、一番苦しい箇所を的確に狙ってくる。
口の中はすでに、吐しゃ物、血、胃液と砕けた歯でぐちゃぐちゃだ。じゃりじゃりとした食感とぬるぬるとした液体が混ざって話すことは出来ないし、体を動かす力も残っていない。
肋骨が折れる音は耳に響くし、目は腫れ上がりもうほとんど見えない。
脳みそはキンキン痛むし、金玉は残ってるかもわからない。
最期に、鼻に今までで一番重い衝撃が走ったところで、男の手が止まった。さすがの男も息が上がっており、後ろの男たちも暴力の反動に耐得ていたのでへとへとだ。
手足の固定が外された。
しかし、すでに立つことは出来なくなっており、地面におもちゃのようにへたり込むしか無い。
「はぁ、覚えて、おけ。俺たちに、逆らったらこうなるんだ」
喉が潰されており、男のその言葉に返すどころか、反応することもできない。
「おい、お前たち、あれを持ってこい」
男のその合図にほかの仲間は、どこかに行ってしまった。
そして、そそくさと帰ってきたかと思えば、その手には大きな刃物が握られていた。
「まさか、あれだけ俺たちをコケにしておいて、生きて帰れるとは思ってないだろうなぁ」
「……」
男はその刃物を受け取り、その刃を触って確かめている。
まだ、声は出ない。
「そうか、もうしゃべることもできないか。じゃああとは死ぬだけだな」
最後にその生き方を笑ってやりたかったが喉から血が出てきたことで、それも出来なかった。
男がその刃物を高く振り上げる。
「来世は、黙って金を出せば死なずに済むかもな」
決め台詞のようなものを言い、それを振り下ろす。
景色がスローになる。
なるほど、走馬灯はこうやって見るのか、と場違いな関心をしながら目を瞑った。
思ったより短かったな。
すぐに期待してしまう癖は結局直らなかった。
この世界に来たほんの数時間前まで、何かが変わると思っていた。
冷たい前の世界とは違い、こっちでは楽しく生きていけると思っていた。
強引だったが、あの家から出ることができ、俺も普通の18歳らしくこっちの世界でやっていけるのだと期待してた。
もしかしたら俺を蝕むトラウマをすべて洗い流すことが出来るんじゃないかとも思っていた。
俺も、ひょっとしたらあのアニメの主人公のようになれるかもしれないと思っていた。
————だが、結局俺は俺だった。
何も変わらない。当たり前だ。人が変わったわけじゃないんだ。ただ引きこもりの住む場所が変わっただけで、その根っこは何も変わらない。変わるわけがない。今まで居合わせに生きることが出来なかったんだ。世界が変わったところで、それがコロッと変わるわけはない。学校を休んでしまったあの日に、既に幸せに生きる権利は手放していたんだ。家族を騙した日もそうだ。俺は一か月間ずっと家族に嘘をつき続けていた。血のつながった家族を裏切ったのだ。今思えば、俺が家から出て行ったとき、みんな悲しい顔をしていた。泣きそうな顔をしていた。それを俺は見ないようにしていた。考えないようにしていた。そりゃそうだろう。腹を痛めて生んだ長男だ。初めての育児で何もわからないまま仕事もしながら頑張って育ててきた子供だ。妹だってそうだ。どう思われていたかは知らないが、ずいぶんとかわいがっていた。小さい頃はお兄ちゃんである俺にべったりだったし、思春期になって話す機会は減ったが、それでも嫌いにはなっていなかったはずだ。
思考が止まらない。頭の中がぐるぐるしていて何を考えているのか分からなくなる。
こんな感じで人は死ぬのか。全身を襲っていた痛みも気づけばなくなっていた。
あと何秒だろう。いや、何秒もかからない。もう目は開けないことにした。
もうすぐでたぶん頭は真っ二つになり、脳の断面を晒しながら死ぬだろう。
無数の後悔がある人生だった。星の数あるその後悔を言い出したら10年はかかるだろう。
結局人生の良し悪しなんて運だ。外れくじを引いたのだと思えば、悪い気はしない。
意識が遠のいていく。
頭が白くなっていき、呼吸も浅くなってきた。
この世界から自分という存在が消えかかっているのを肌で感じる。
今度こそ本当の終わりだ。何も言うことはもうない。
ただ一つの心残りは、
「シ、チュー代、払えな、かったな」
言葉になっていたかもわからない遺言を絞り出した瞬間だった。
————————刃物が落ちる甲高い金属音が破れた鼓膜を微かに揺らした。




