1-② 『不思議なリセット』
敏感な耳元で囁かれて、思わず顔を上げた。
「は?」
怒りとも困惑ともとれる素っ頓狂な声が出てしまった。
あまりの衝撃に、口から出かけていたカップ麺もビビッて引っ込んでいってしまった。
もちろん抱き枕が急にしゃべったことにも驚いたが、それ以上の驚きが、
「どこだここ——」
そこはすでに、暗くて臭いアオイの部屋ではなかった。
空気は澄んでいるし、何より太陽がまぶしい。
町中だ。
しかし、そこが日本でないことは、日本から出たことがないアオイでも瞬時に理解することが出来た。アオイの浅い知識によると、西洋っぽい建物な気がする。実際に歩いてくる人たちも明らかに日本人ではない。
今の西洋よりかは少し時代柄が違う気もする。もう少し昔のような。石と煉瓦でつくられた家々は、現代の日本に生きてきたアオイからすれば、かなり新鮮だ。
意味が分からない。全く意味が分からない。加えて、疑問はまだ尽きない。
「え、えーーーーーー!!!」
人生最大の声を今、更新した。
そのあまりの大声に、周りにいる人たち全員がこちらを注目してきたが、そんなことも気にならないくらいの衝撃。それは、
「あ、アイオちゃん!?!?」
これまた意味が分からないのだが、自分の腕が大好きなアニメキャラクター——アイオを包み込んでいた。
真っピンクのツインテールを腰辺りまで伸ばし、白いノースリーブを来た美少女。顔の面積の多くを占めているその大きな目は、まるで宝石のように輝いており、それに比べて小さい鼻と口は、この少女を完璧な美少女に仕立て上げている。
その何度も見てきた美貌を直視してしまい、思わず手を離した勢いで後ろに転がってしまった。二転三転、そこからさらに二歩ほど後ろに後ずさる。そのアオイの様子に通行人は明らかに避けており、2人を中心に綺麗な丸い空間が出来上がっていた。
かなり、いやとてつもなく意味の分からない状況。
しかし、不思議とアオイにはこのような展開に見覚えがあった。それは、
「異世界転生?」
大量に見た深夜アニメの中に、このような展開になるアニメがかなりの割合であった。
そんなこと信じるどころか、完全にフィクションの話だと思っていたので、やっぱり状況は依然として理解できないままだ。
しかし、異世界転生にしては、転生の仕方が変だ。
たいていの場合、トラックに轢かれたとか、寝て起きたらとか、そんな感じだ。
それに比べて、今起きた転生はタイミングも、そのやり方もヘンテコだった。
それに、厳密に言えば転生ではなく、転移といった方が近い気がする。だって、服もそのままだし、年も見た感じそのままだ。
違う世界に飛ばされた?
いやまて、まだ異世界だと決まったわけじゃない。何らかの世界のバグで違う国に飛ばされただけかもしれない。
しかしそんな希望は一瞬で瓦解することになる。
道の端にいる大道芸人が、天に向かって火の玉を口から放ったのが目に入ったのだ。
魔法だ。
あれは間違いなく魔法だ。現代では火を噴くマジシャンくらいゴロゴロいると思うが、なぜだか体が本能的にあれは魔法だと理解した。
って違う違う。今はそんなこと気にしてる場合じゃない。
「あぁ、えっと、ごめん。君は、」
目の前の少女に問う。さすがに本物のアイオちゃんなわけがない。アニメのキャラクターが現実にいるなんてそんなことあるはずが、
「こんにちは。私は自立型学習戦闘ロボットのアイオだよ。気軽にアイオちゃんって呼んでね」
「ぁ」
そのアイオの言葉にアオイの喉が鳴った。
『Aio0002』のアニメ一話の冒頭でアイオが初めて話したセリフと完全に一緒だったのだ。
すべてのセリフを覚えるほどリピートしたアオイだ。間違いない。
「えっと、アイオちゃんが俺をここに連れてきたのか?」
当然の疑問だ。
転移したということは必ず、召喚させたものがいるはずだ。
そして普通に考えれば、目の前のこの子が怪しすぎるのだが、
「うーん。わかんない」
「へ?」
「わかんないんだよ。君がなんでこの世界に来ちゃったのかも、どうやって帰るのかも、何もかもわかんない。言えない」
無茶苦茶だ。
たしかにアイオは作中で、ポンコツロボットという設定だったが、物知りだった。
偽物か?とも思ったが、話し方、仕草、挙動、すべてが彼女と一致している。
「まぁ、別に帰れなくてもいいけどな……」
「そうだよね! 帰れなくてもいいよね!」
自分にしか聞こえないくらいの声量で呟いたアオイ。
それが聞こえたのか、急に距離をグイっと詰めてきたアイオに思わず仰け反ってしまう。
大好きなキャラクターなのだ。さすがに、その、ドキドキする。くそかわいいし。てか、顔ちっちゃ。
しかし、少し違和感のある反応だ。まるでアオイをもとの世界に返したくないような。
「そんなこと考えても無駄か」
なぜだか、今は非常に機嫌がよい。
その理由は憧れのアイオと話せているということもあるが、
「やっとあの世界から解放された」
全身の力がフッと抜け、後ろに倒れて寝転がった。
太陽がまぶしい。あんなに嫌いだった太陽と青空が、今は絶景に見える。
風が心地よい。窓を閉め切っていた自分が憎くなるほど風が気持ちいい。
汗が流れる。今まで夏は冷房をガンガンにつけ、常に最適な温度を保っていたが、これもいいな。
今なら、何でもできそうだ。
そんな、能天気な気分でアオイの異世界生活は始まった。




