1-① 『救い難い男』
男の名は三神アオイ(みかみ あおい)。年は18歳だ。雑に切られた黒い髪ときったないパジャマを身にまとっているどこにでもいる男子高校生……とは言えない。
現在は学校には行っておらず、一人暮らしの一軒家で惰眠を貪る生活をしている。
端的に言えば、不登校の引きこもりだ。
両親から言われた最後の言葉は「金は出すから出て行ってくれ」だったことから分かるように、アオイの味方なんてこの世に一人もいなかった。
学校に行かなくなった理由は明確だ。
今考えれば、なぜそんなことにも気づかなかったのかと思うが、高校一年の冬、アオイは学年でも1、2を争う美女にラブレターを急にもらった。
当然のようにスクールカーストでは最上位に君臨する彼女が、下から数えたほうが早い自分に興味なんて持っているはずがないとは思ったが、恋人どころか女の友達さえできたことがないアオイの溜まりに溜まった性欲が、その判断力を鈍らせた。
アオイは一抹の不安を抱えながらも、ウキウキで美女に指定された校舎裏へ向かった。
しかし、時間になってもその美女は来ない。やっぱり手紙を送る相手を間違えたのかと思い、肩を落として帰ろうとしたその時だった。
屈強な男、ひょろい男、背の低い男と種類は様々だったが、総じて明らかに頭の悪そうな集団がこちらに向かって歩いてきたのだ。
その後のことは、言わなくてもある程度察しが付くだろう。
十数人相手に集団暴行を受けたアオイは、有り金をすべて奪われた。
そこで終わればアオイも耐えられたのだが、悪はそんなに甘くない。
そこから地獄のような日々が始まった。
毎日のように校舎裏に連れていかれ、奴らの性欲とストレス発散のサンドバックとして使われる。指定された額のお金を持っていかないと、痣の数は増えるだけ。どうしても持っていかないと勇気を出して拒んだことがあったが、家族を盾にされ、どうすることも出来なかった。
持ち金が無くなれば、親の財布からこっそり抜く。心がすり減り、精神が疲弊する行為だったが、そうしないと家族に手を出されるのだ。悲しいが、それが最善策だったのだ。
誰が悪いのかと聞かれれば、間違いなくあの輩が悪いのだが、そのことを考えるたびにアオイは自責することになる。
始まりはあのラブレターだ。
本当に今考えれば、あんなにあからさまな罠に引っ掛かった自分が心の底から馬鹿に思える。
そもそも今の今まで春なんて来たことがなかったのだ。急に学年一の美少女から告白されるなんてアニメみたいな展開、この冷たい現実世界では起こるはずもない。それに気づけなかった自分が悪いのだ。
そして、それから一か月ほどが過ぎた。
両親に心配をかけたくないので、この一か月は一度も学校は休まなかった。
教室の中では、あの美女は楽しそうに大声で話しているのに対し、アオイの周りに人はいない。なんとなくクラスメイトもアオイがいじめられていると勘付いていたのだ。そんな奴に自分から近づいてくるヒーローは現れない。
その日もかなりの暴行を受け、家に帰った。
家に帰ると、まず親の財布からお金を取ることが習慣になっていたアオイはその日も例に漏れず、父親の財布を弄っていた。しかし、今までとは違ったことが起きた。
見つかったのだ。
さすがに不信感を持った両親は隠れて財布を隠していたらしい。やけに見つけやすい机の上に置いているなと思っていたが、そういうことだったのだ。
父からは殴られ、母からは泣かれ、妹からは軽蔑されてしまった。
肉体的な痛みには慣れてきていたのでそれほどだったが、血のつながった家族に殴られるというのはかなり堪えた。
そうして地獄のような雰囲気のリビングで言われた言葉がこれだ。
「金は出すから出て行ってくれ」
事情は話さなかった。そして言い訳もしなかった。
今考えれば、そこですべてをさらけ出せば何とかなったのかもしれない。しかし、その時のアオイはすべてを諦めてしまっていた。
考えていたのは「一人になりたい」「だれとも会いたくない」「誰も信じられない」とそれだけ。
味方のいなくなったアオイは、父の手配で、隣の県の寂れた過疎地域に住むことになった。
生活するのに最低限の1Kの家。家賃は4万弱。しかし、何の不便もしなかった。なんせ部屋から出ないのだから。
飯は一日に一回出前を頼み、水分はキッチンの蛇口から直飲みする。
そんな生活をしていると、体も動かなくなる。動くのは基本的にトイレに行くときと水を飲むときだけ。それ以外はベットで仰向けになり、天井を見つめている。
その頃に唯一楽しみだったのが、深夜に放送されるアニメだ。
一番好きだったのが、『Aio0002』というアニメだった。主人公の男の子が、ロボット少女アイオと共に世界を救うといった、何ともありきたりなアニメだ。しかし、そんな子供向けのアニメがアイオにとっては救いだった。
その三十分だけは、現実世界から離れられる。何もかも忘れて、その世界にいるような感覚に陥ることが出来る。それを見るために昼と夜は完全に逆転してしまったが、それでよかった。
来週の『Aio0002』を見るためなら生きていられる。
あのアニメがなかったら、今頃飯を食う気力もなくなり、部屋で一人、安らかな顔で餓死していただろう。作者と監督には地に頭を擦り付けて感謝をしたい。
そのアニメにはまってから、部屋がそのグッズだらけになってしまった。
父親の口座を好き勝手に使い、通販サイトでポチりまくった結果だ。二週間程度ですっかり『オタク部屋』というものになってしまっていた。父親に対する罪悪感は全くなかった。
しかし、ある日突然、最も恐れていたその日がやってきた。
——最終回だ。
少しずづ回復してきた精神も元に戻ってしまうほどのショックだった。必ず来るその時のために覚悟を作る時間はたくさんあったはずなのに、アオイはその事実から目を背けていたのだ。
これから、何を希望に生きていけばいいのだ、何のために生きていけばいいのだ。
その答えは結局出なかった。
最終回は見なかった。
それを見てしまえば、おそらく、窓から勢いよく飛んでしまっていたと思う。これでよかった。
死にたいのか死にたくないのかも、自分で分からなくなっている。
最終回を見ないためにその日は早く寝た。そのことで昼夜逆転した生活は元に戻ったが、以前のゴミのような生活に戻ってしまった。
結局アイオは死んでしまったのだろうか。それとも、主人公が代わりに死んだのだろうか。
物語の結末はアオイにはわからない。しかし、後者ならうれしい。理由はアイオに死んでほしくないから。
生きる希望をなくしたアオイは、心の穴を埋めるために抱き枕を購入した。
水着姿のアイオが印刷されたカバーと、中身の長細いクッション合わせて3万円弱。
あまり期待はしていなかったのだが、アオイの心の穴は案外埋まった。等身大のアイオを抱きしめられるし、隣で寝られる。テレビで見るアイオもかなりかわいかったが、全然話が違う。
しかし、その心の薬は一時的なものだった。夢は冷める。
話しかけてもアイオは返してくれないし、そのたびにそれはただの抱き枕だということを認識させられ、現実に戻される。
何とかしようと思って、アオイは、様々な衣装の抱き枕カバーを買いあさった。
気づけば、ベットの下に大量の”布”が落ちているという羽目になった。
毎晩白いクッションを着せ替え、毎晩愛をささやき、毎晩死にたくなる。
その感情が日を重ねるごとに強くなっていくのを実感する。
そんな毎日を過ごす18歳の男の子だ。




