009
というわけで、僕と百目鬼は揃って水無月診療所を訪れてみたものの、生憎なことに、水無月先生は不在だった。
水無月先生――水無月弥一先生。
僕のゲーム脳を診療してくれたあのお医者様が、その実態、陰陽師との二足の草鞋を履いていたのだと知って、僕はそこそこ驚いていた。
そもそも、医者って副業オーケーなんだっけ?
そんな疑問も頭を過った。
まあ、医者で小説家の先生とかもいるし、そう考えてみると医者が副業を禁じられているわけがないように思えてくる――ふと思ったが、医者で小説家の人は、所謂『先生』と呼ばれる職業を掛け持ちにしているわけだけど、そこら辺について思うところはあるのだろうか。案外、飲み会の鉄板ネタにしてたりするのかもしれない。「『先生』で『先生』の空木でーす」とか、僕も言ってみたい。
ところで、陰陽師というのはどう呼称すればいい職業なのだろう。
医者としての水無月弥一を頼るにあたっては、もちろん『水無月先生』で問題ないのだろうけど、陰陽師としての彼を頼る場合、僕は彼をなんと呼べばいいのか?
まあ……。
まあ、というか、まあ……とにかく、彼は留守だった。
喫茶店からここまではるばる歩いてきたというのに、どうやら無駄骨だったらしい。ご足労がご足徒労になってしまった。
「連絡先とか、わからないのか?」
「水無月先生、デジタル音痴だからスマホも持ってないんだよね」
そんないかにもな設定を持ち出されても、と思ったが、そういえば水無月先生はカルテも手書きだったということを思い出す。
細かいところでミッシングリンクを繋げてくるぜ。
デジタルに弱いというのも、まあ、伝統を受け継ぐ陰陽師としてのキャラクター設定なのかもしれないけど、僕としては、こうして時間に追われて窮地に追いやられている僕としては、余計な設定を加えてくれたものだと憤慨したくもなる。
「水無月先生がどこにいるのかは知らないのか?」
「さあ」
「心当たりは?」
「あの人は神出鬼没だから……まさしく鬼のようにね。どこにいるのかなんてわからないし、どこにいてもおかしくない。どこにいなくてもおかしくはない。目星も目安もつかないよ。いてほしいときにいないのは今回が初めてじゃない――水無月先生は、こと怪異現象においては間違いなく頼りになる人だけど、そういうところで頼りない人でもあるんだよね」
「じゃあ、どうすんだよ。このデジタル全盛の現代において、どうやってスマホを持ってない人を探し出せばいいんだ? 駅の掲示板に『XYZ』とでも書き込めばいいのか?」
「水無月先生はシティーハンターじゃなくて陰陽師だよ」
どちらも僕にすれば創作的という意味で似たり寄ったりの存在だったが、それで言うなら、僕が体験したあれこれはどれもこれも創作的だ。
創作的で非現実的な、現実だ。
「うーん、困ったな……水無月先生に頼れないとなると、私たちだけで対処しなくちゃいけないんだけど――人魚が現れるのって、今夜なんだよね?」
「あ、ああ。そのはずだ」
唐突な質問に、僕はタジタジになって頷く。
額にうっすら掻いた汗を拭いながら。
そう、そのはずだ。
そのはずだけど……しかし、どうだろう?
僕は自分が経験したことの一切をデスループだとして捉えたけど、それこそただのゲーム脳の弊害でしかなく、全部が全部、本当はただの夢だったのだとしたら――だとしたら、まあ、それはそれでいいのか。人魚なんて、ありもしない、ありふれた怪異譚に慌てふためていた僕が笑い者になるだけで、それでこの町がいつも通りに平和であってくれるなら、それに越したことはない。
「夜か……なら、とりあえず水無月先生は探すけど、もしも夜までに見つからなかったら、そのときは私たちだけで対処するしかないね」
対処、というのはつまり退治するという意味だった。
対峙し、退治する。
鬼退治のように人魚退治――しかしこの場合、藤原秀郷のように、怪異を追っ払うだけというわけにはどうしてもいかない。それではいけない。
退治するのなら、きちんと最後まで。
「僕たちだけで人魚を……殺す、のか?」
殺す、という単語を噛みしめるように言った。
それが人間であれ魚であれ、怪異であれ、生きているならば、生き物らしい挙動をするならば、その活動を止めることは『殺す』と称して違いがない。
違いがないし、少なくとも僕の中では、そう称さなければならない。
「こだわるね……うん、殺すんだよ。でも、安心して、手を下すのは私だけだから。空木くんは隠れてていいよ。ていうか、隠れていてくれた方が助かるかな。守りながらだと戦いづらいし」
それは情けないことにその通りだったし、また情けないことだとも思わなかった。
拳銃の弾でさえ弾くような怪物だ。
僕にできることなんてない。
百目鬼は『戦う』という表現を遣ったが、僕は戦いになるとは思っていなかった。
人魚と百目鬼の間に、どれだけの戦力差があるかを知っているからだ。
しかし、百目鬼は好んで『戦う』とか『対処』とか、そういう言葉を遣う。それはたぶん、百目鬼にとってその方が気持ちが楽だからなのだろうし、実際に実戦を担当するわけでもない僕は、そのことについて責める権利も議論する権利も一切持ち合わせていない。
だから僕は、沸き上がったあらゆる言葉を飲み下して、ひとつ首肯を返した。
わかった、と。
「大丈夫。不意討ちさえ警戒すれば、たぶん人魚ごときには負けない。そこのところは、ほら、鬼の面目躍如だよ」
「油断はないようにな――人魚は最低でも三匹はいるし、下手したらもっといるかもしれないけど、そこは完全にお前頼みだから……だから、一騎当千の活躍を期待しておく」
「まかせて、一鬼当千の鬼だから」
そのなんとも言えないセリフには不干渉を決め込むことにした。
彼女のジョークセンスは、ときとしてたまに僕の感性を大きく外してくる。
まったく笑えない。
まるっきりの不感症だ。
「ちなみに、今のは『一騎当千』の『騎』と、鬼の音読みである『鬼』をかけた駄洒落だったんだけど、どうかな?」
まさかまさか、感想を求めてくるとは思いもしなかった。
この友人は、どこまでも僕の予想の上を言ってくれる最高の友達のようだ。
あるいはこの場合、下回っているのかもしれないけれど……。
というか、心臓が強すぎる。
鬼強すぎる。
自分のジョークを自分で解説して、あまつさえ感想を求めるなんて、普通のメンタルの人間にできることじゃない――人間じゃねぇぞ、こいつ。
「……まあ、ジョークの感想はともかくとして……夜の段取りを先に決めよう――まず、最初に倒すべきは交番を襲った人魚だ。駐在さんを殺させるわけにはいかない。交番近くで待ち伏せして、三匹目の人魚から殺す。次に一匹目と二匹目の人魚が現れたところまで急行して、そっちも殺す」
「うん」
「この一連の作業は早急に終わらせる必要がある。民家に乗り込まれたりしたら、始まるのは虐殺だ。せっかく未来を知ってるなら、できる限り犠牲者は出したくない――百目鬼、できそうか?」
「その人魚の強さにもよるとしか言えないかな……」
「お前なら二発で殺せる」
「そうなの? それなら、うん……できると思う」
頼もしい限りだ。
思えば、僕のたったひとりの友達であるところの百目鬼が鬼の血を引く鬼の怪異だったなんて、僕にしてみればラッキーでしかなく、立て続けに続くアンラッキーの中にある一筋の光明で、不幸中の幸い以外のなにものでもない。
一鬼当千は冗談にしても――さすがに千匹の人魚と渡り合う程の能力は望んでいない――しかし、その弾丸よりも強い拳には大いに期待させてもらおう。
「夜の作戦についてはそのくらいでいいか。ループしたとはいえ、情報が充足してるわけじゃない。変に段取りを決め過ぎたら、逆に不測の事態があったときに不安だ。作戦は不足してるくらいでいい――百目鬼も、いざってときは僕を守ろうとするな。僕は最悪、もしかしたらもう一度戻ってこられるかもしれないから」
と、僕は釘を差すつもりで言ったのだけど、しかしこれに関しては、百目鬼は決然と言い返してきた。
「いや、守るよ。いざってときは、命懸けでも。だって、前回ループしたときは、既に私は死んでたんでしょ? なら、私が既に死んでいることがループの発生条件なのかもしれないじゃん。それに、空木くんがループすればどうせ私は生き返る――生き返るっていうか、死んでなかったことになる。なら、空木くんのことは守り得じゃん」
「………」
「なにより、私は空木くんを見捨てることなんてできない。友達だもん」
「……お前、カッコ良すぎだろ。僕が女だったら惚れたてたぞ」
「男のまま惚れてよ」
僕が男としての尊厳を保てるかどうかに関しては、今夜にかかっているといったところだろう。
戦おうなんて微塵も思ってないが、下手に尻尾を出して人魚に狙われでもしたら、百目鬼に迷惑がかかってしまうことは今わかった。女の子に化け物と戦わせておいて自分は陰にひっそり隠れているなんて鬼畜の所業だが、僕にできるのは邪魔しないことくらいなものだ。
邪も魔も、今夜の僕の役目ではない。
「じゃあ、次は水無月先生をどうやって探すかに関して議論するか」
「探すって言っても……でも、あの人には放蕩癖があるから、この診療所にいないんだったらもう見つけるのは基本的に難しいんだよね」
「放蕩癖、ね……」
放蕩……というよりは、たぶんそれは行脚なのだろう。
目的もなく彷徨っているのではなく、怪異譚を蒐集している。
陰陽師としての仕事をしている。
とすれば、水無月先生もこの町に流布する人魚伝説について調べて回っていると考えるべきなのかもしれない――いや、考えてもみれば、そうしてなければおかしいとすら思えてくる。
水無月先生が人魚伝説について調べている、として……。
「――そういえば、噂の人魚の目撃があったのって……」
ここで。
またしても見つけた、もうひとつのミッシングリンク。
「……水無月先生がどこにいるのか、わかったかもしれない」
「本当?」
本当も嘘もないのだけど。
こうしてみると……なんだか、結局はなにもかも目の前に提示されていて、僕はその上で踊らされていただけなのだな、と思えてきて、いっそ気持ちが冷める思いだ。
シナリオの出来が悪いゲームをプレイしているような気分になってくる。
伏線を張り過ぎた駄作。
そんな風に思えてくる。
ただ、今回に限ってはわかりやすい伏線を張ってくれていてよかった。
おかげで、僕のようなナマクラでもその可能性に気づけたから。
「たぶん、水無月先生は大沼湖にいるんだと思う」




