008
「私、百目鬼なんだよね」
明くる朝。
喫茶店でモーニングコーヒーで一服していた僕に遅れること十五分、制服姿で現れて僕の正面にポスンと腰を落とした百目鬼は、出し抜けにそんなことを言った――ちなみに、今日は本来は登校日だったが、事情が事情ということで僕らは揃って学校をサボった。
別段真面目な生徒というわけでもなが、特別不真面目な生徒というわけでもない僕にとって、学校をサボタージュするなんてスリリングな経験だったけど、それに関しては、満場一致で『真面目な生徒』である百目鬼の方がサボタージュに対するハードルは高かったと予想される。
それに、同じクラスで同じ委員のふたりが同時に無断欠席しているという事実が、どういう風に学校内で解釈され、そして膾炙されているかについても気にならないことはない――僕単体のことだったら気にもしないのだけど、百目鬼の風評に関わることだと、話は変わってくる。
まあ、それらは追々対処すればいいことだろう。さすがの僕も、学校内での立ち位置と人命を天秤にかけるほどの人間ではない。
だから、それよりも今は、百目鬼が放った第一声についてである。
「? ああ。お前が百目鬼であることは知ってるけど?」
しかし考えてもみると、僕はいつから彼女が百目鬼小夜であることを認識したのかは不明だ。
初めて見かけたのは教室だが、初めて会話したのは夜の公園――名前はいつ交換したのだったか……僕は最初、彼女のことを『お前』としか呼んでいなかったと記憶しているが、いつから名前を呼ぶようになったのだっけ?
そんな風に思考をそっぽに向けてしまった僕に、百目鬼はゆるゆると首を振って、
「そうじゃなくて、百目鬼っていう怪異なの。鬼の怪異なの――化け物なの」
と、言った。
告白するような口調だった。愛の告白ではなく、罪の。
化け物。
その単語を、彼女は自虐的に、あるいは諧謔的に使った。
魑魅魍魎、百鬼夜行、妖怪変化。
自分の正体はそれなのだと、彼女は言う。
僕はそれがなんでもないことかのように振舞って、鷹揚に頷いて見せる。コーヒーをひと口含んで、余裕を見せることも忘れない。
「人間じゃないって、言ってたな」
「……それは、未来の私がそう言ってたの?」
猜疑に細められた瞳が、僕を射貫く。
なんというか……場違いな感想であることはわかっているのだけど、ちょっと興奮してしまう自分がいる。たったひとりの友達から疑われているという現状に、どうしようもないほどのスリリングを感じてしまう。ジェットコースターより肝が冷える。
こんな現状を楽しんでいる僕自身が本当の化け物なのかもしれない――なんて、そんなよくある諧謔は意味をなさなくて、この場合、僕は人間で間違いないし、百目鬼が化け物であることも間違いない。本人がそう自己申告しているのだから。
「話は順番に処理しよう。まずはその『百目鬼』っていう鬼について教えてくれ。僕の事情はそのあと必ず話すから」
「……うん。わかったよ」
ひとまず頷いてくれた百目鬼は、なにより先に、自分の分の飲み物を注文した。
ウインナーコーヒーだ。
浅学な僕はウインナーコーヒーなるものがどんな飲み物なのか知らなかったが――コーヒーカップにウインナーが突き刺さっている画を想像した――ウインナーコーヒーとは、熱いブラックコーヒーの上に冷たいホイップクリーム乗せた飲み物のことをいうらしい。
「学校をズル休みしてクラスメイトの男の子とこうして喫茶店で駄弁ってるなんてさ、なんか、変な感じだね。ちょっと、悪いことしてるみたいな気分」
「悪いこと、ね……」
「イケナイこと、かな。なんだか逢引してる気分だよ」
似たような会話をした記憶が、僕にだけある。僕にあって、彼女にはない記憶。
それは、なんだか不思議な気分だった。
違和感のような、不快感のような、寂寥感のような。
しばらくして、ウインナーコーヒーが運ばれてきた。
思ったよりもホイップクリームの量が多い……。
てっきり、付属のスプーンでコーヒーとホイップクリームを混ぜて飲むのかと思ったが、百目鬼はそのままカップに口をつけてコーヒーを啜った。
上唇についたホイップクリームをペロリと舐めとるその仕草は、どこか妖艶だ。
「空木くんは、藤原秀郷って知ってる?」
「?」
「俵藤太っていう別名でも有名な人なんだけど」
「……いや、ちょっとわからないな。名前の感じからして昔の人なんだろうってことはわかるけど、授業でやった内容か?」
「まあ、日本史の教科書に名前がないわけじゃないけど、そこまで深く勉強する人物でもないから、覚えてないのも無理はないかな――平将門を討ち取った武将なんだよ」
平将門なら、僕でも知っている。
知ってる名前が出てくると、安心感というか、親近感が湧いてくるのはなぜなのだろうか。
現状、百目鬼の説明がどこへ向かっているか定かではないが、しかしここは、流れに身を任せて聞きに徹そうと思う。彼女がこの状況で意味のない話をするはずがないだろうという信頼、あるいは友情に、ここは身を委ねた形だ。
「でね、その藤原秀郷は平将門討伐以外にも、妖怪退治でも有名な人なんだよね」
「妖怪退治? 平将門を討った人ってことは……実在の人物だよな? その……藤原秀郷って」
「実在の人物に妖怪退治の逸話があることなんて、珍しくもないよ。なにせ千年近くも前の話だし――藤原秀郷の大百足退治の伝説って知らない?」
「寡聞にして知らないな。よければ教えてもらえるか?」
「いや、大百足退治の話は今回は関係ないから割愛するね――本題は、この藤原秀郷は行った別の妖怪退治、鬼退治の逸話にあるんだよ」
鬼退治と聞くと、桃太郎のせいかどうしてもチープなイメージを抱いてしまうが、しかし実際問題として、鬼という怪異が日本を代表する存在なれば、その鬼退治という業績は計り知れないものなのかもしれない。
鬼退治……鬼の怪異か。
「これは栃木県宇都宮市に伝わる民話なんだけど――」
と、前置きしてから、百目鬼はホイップクリームをスプーンで掬って口に運んだ。
甘味が程よかったのか、彼女は少し頬を綻ばせて、それから言葉を続ける。
「秀郷が宇都宮に館を築いていた頃、白髪の老人に兎田っていう馬捨場で待っていてほしいって言われるの。秀郷が言われた通りにすると、一丈、つまり三メートル以上の大鬼が現れて、死んだ馬を貪り始めるわけ」
「えっと……つまり、その白髪の老人が実は鬼でしたっていう話か?」
「さあ、どうだろ? とにかく、鬼に行き逢った秀郷は満月のような弓を引き絞って、鬼の胸を射た――っていう、そういう話」
「ふうん。じゃあ、その鬼は……それで退治された――つまり、死んだのか?」
「伝承によれば、鬼は明神山の方へ逃げていって、身体から炎を、口から毒気を吐いて苦しむから、秀郷はそれ以上近づけなくて、その場は引き上げたみたい。そして、翌朝にはその鬼は消えていたらしいよ」
つまり……つまり、退治はされたが殺されてはいないということなのだろうか。
殺されてはいない――って。
判官贔屓というか、友達贔屓というか、鬼の目線に立ってものを考えてしまっている自分に苦笑する。
「実はこの話には後日談があってね、それから約四百年後、本願寺っていうお寺で怪異現象が続いたから高僧の智徳上人が住み込みで説教を行ったの。すると毎日、その説教を聞くために美しい娘が通うようになるんだけど……その美しい娘の正体が四百年前に秀郷に胸を射られた鬼で、智徳の話を聞いているうちに改心して、角と爪を智徳に捧げたらしいよ」
「………」
「そしてその鬼が百の目を持っていたことから、その怪異は『百目鬼』と呼ばれていて、その本願寺があった付近――宇都宮市塙田の辺りを百目鬼って呼ぶようになったんだって」
昔話はこれでおしまい。
と言って、百目鬼はスプーンでコーヒーとホイップクリームを混ぜ始めた。
「つまり百目鬼……お前はその、改心した鬼の――百目鬼の末裔ってことなのか?」
「そういうことになるかな。目は百個もないけど」
そして背丈も三メートルはない――いや、百目鬼の身長がもし三メートルもあったら、いくらボンクラな僕でも人間じゃないことくらい気づく。普通に気づく。
百目鬼の背丈は、女子として平均的なそれだ。
体型も筋骨隆々というわけではなく、女子らしい嫋やかな細腕。
しかし、怪力無双ではある。
そのことを僕は知っている。
「ん? いや待てよ……お前が鬼の末裔なら、お前の親も鬼の末裔だよな? えっと、その、鬼の血はどっちからなんだ? お母さんか……」
それとも、離縁したお父さんか。
鬼の血というと、まるで百目鬼の家族を鬼畜呼ばわりしているように思えて心苦しかったが、しかし、それ以外表現のしようがないので、仕方がない。
鬼の血は鬼の血だし。
鬼畜は鬼畜だ。
「鬼の血筋がどっちのものかはわからないんだ。私の鬼としての特性は先祖返りみたいなものらしくて、鬼の血を引いていることはわかっても、両親のどっちから流れてきたものなのかは特定できないの――あるいは、両親ともに鬼の血を引いている人で、その間に私が生まれたから先祖返りが起きたんじゃないかとも言われた」
「言われた?」
誰に? という意味での反駁だったが、しかし、答えるつもりはないということなのか、百目鬼はコーヒーカップを傾けて、僕の言葉を華麗にスルーした。
無意識に、僕もコーヒーを傾ける。
エスプレッソだ。
コーヒーの味なんてわかるはずもない僕だが、わからないなりにわかってる感を出すためにこれを注文した。典型的な、カッコつけてブラックコーヒーを飲んでいるタイプの少年なのである、僕は。
「次は、空木くんの番」
「ん?」
「聞かせて――その、未来の話」
「……たぶん、信じられないと思うけど」
僕がそう言うと、百目鬼はまたも首を振りながら言った。
信じるよ、と。
だから僕は語って聞かせた。
これまでのことを――あるいは、これからのことを。
百目鬼の、あのショッキングでグロテスクで凄惨な死に様にまでは言及しなかったけど、しかし、殺されてしまったことはきちんと伝えた。
人魚のことも。
「……そっか」
百目鬼はすべてを聞き終えた後、そう呟いた。
色々と、含みのある呟きだった。
「ありがとう、空木くん」
「ん? なにが?」
「だって、空木くんが戻ってきてくれなかったら、私はそのまま死んでたってことなんでしょ? だから、私のことを助けてくれてありがとう」
「いや……」
助けられたのは僕の方だし、そして、その助けられた命を棒に振ったのも僕の方だ。
命懸けで助けてもらったくせに、呆気なく死んでしまったのが僕。
ありがとう、なんて、言われる価値もない。
「僕の意思で戻ってきたわけじゃないし……死んだら勝手に時間が巻き戻っただけだ」
「それも不思議な現象だよね。鬼よりも人魚よりも、ずっと不思議」
「いや、あんな気持ち悪い生き物と並べて較べられるのは、さすがに不服ではあるんだが……」
「気持ち悪い生き物? そんな……空木くん、私のことそんな風に思ってたの?」
「そんなわけねぇだろ。ふざけんな。僕がお前のことを気持ち悪いと思うわけねぇだろ。気持ち悪いわけがねぇ。むしろ気持ちいいとすら思ってるわ。いい加減にしろ」
「だから……『いい加減にしろ』はこっちのセリフなんだけど……」
「僕が言ってるのは人魚についてだよ。あの、気持ちの悪い半人半魚についてだ」
「半人半魚ね……」
百目鬼は呟くようにして、とはいえ僕にはっきりと聞こえる声で囁く。
そして、スプーンを弄り回しながら、
「人魚は、人の形をした魚なのか、魚の姿をした人間なのか」
と、言った。
それは覚えのある言葉だった。
「……そういえば、その哲学がまだだったな」
「?」
「だから、それについてだよ――実際、どうなんだ? あの人魚野郎は、魚なのか人間なのか、どっちなんだ?」
そのどちらか如何によっては、僕のこれからの行動も変わる。
いや、行動は変わらないかもしれないけど、心持ちが変わる。
魚を殺すのか、人を殺すのか。
そのどちらのつもりでこれから行動すればいいのか、ここではっきりさせておきたい気持ちが僕にはあった――人を殺すのならば、その覚悟をしておきたい。断じてゲーム感覚で殺すのではなく、ひと思いに、そして人想いに殺したい。
「そんなに深く考えなくていいんじゃないかな? 人魚は人魚。所詮は怪異。私と同じ、化け物だよ。生き物ですらない。『殺す』なんて強い言葉を遣わないで『倒す』って表現すればいいんじゃないかな?」
「だから、そういう風に考えたくないって話なんだけど……」
倒す、だなんて、そんなゲームみたいな。
それが嫌なのだ。
そんな自分が嫌なのだ。
「空木くんがなにに悩んでいるのか、やっぱりよくわからないけど…………うん、なら、専門家に聞こうか。人魚のことも、空木くんのループのことも」
と、百目鬼は軽い口調でそんなことを言った。
専門家、だと。
またぞろ知らない単語が出てきたと、僕は警戒心を露にする。
「専門家? なんの?」
「不思議の、あるいは怪異の専門家――この日本という国においてこれよりないくらい由緒正しい不思議の専門家、陰陽師に訊いてみよう」
「陰陽師? そんな人がいるのか?」
そして、百目鬼はそんな人と知り合いなのか……いや、それ自体は別におかしなことでもなんでもないのか。
彼女自身、怪異の血を引いているわけだし。
先の、彼女の血筋に関する推察が伝聞形式だったのも、その陰陽師とやらに聞かされたのだとすれば納得できる。
「陰陽師はいるよ。空木くんも知ってる人」
「僕が知ってる人? 誰だ?」
こういうときに自分で推理をしないタイプの人間を、僕はゲーマーとして嫌っていたはずなのだけど、考えることが多すぎて、聞けばわかることに脳のリソースを割きたくないというのが偽らざる本音だった。
が。
まあ……後になって思えば、百目鬼に問い返すまでもなく、その僕らの共通の知り合いであるところの陰陽師とやらが誰であるのか、推理は容易かったのかもしれない。
ミッシングリンクはそこら中に散らばっていた。
百目鬼はわざとらしくコーヒーカップを傾け、最後まで中身を飲み干す。
そして答える。その名前を。
「水無月先生」




