015
「やあ、空木くん。そのあと、どうしてるかと思っての往診だよ――というのはもちろん嘘だ。君の表情を見れば、ここでこうして唐突に降って沸いたかのように都合よく現れた僕に、君がいったいなにを期待しているのかはなんとなく察しがつくけど、それは過剰な期待だと先回りして答えておこう。こうして再開できたのはただの偶然だよ。奇遇だね、空木くん」
水無月先生はジャングルジムから飛び降りながらそんなことを言った。
痩せぎすの医者の見かけには寄らない、なんとも身軽な挙措だった。
奇遇。
奇遇と言ったか――この、町が壊滅した現状で、ループ能力者(推定)である僕と、吸血鬼である葛霧の前にこうもドラマチックに、もしくはドラマツルギーに、都合よくも探していた陰陽師が姿を現したことを奇遇だと思うほど、僕も寝惚けてはいない。
「いや、だからそれが過剰な期待なんだよ」
と、水無月先生は心を読んだように言う。
あるいは、モノローグを読んだように。
「過剰な期待で、過度な期待だ。まあ、君も百目鬼ちゃんあたりから僕の副業については聞いているだろうし、今は腹の探り合いなんて馬鹿みたいな化かし合いをしている場合ではないから、ここは素直に手札を全部オープンで行こう――そうだね、一昨日の晩、君に大沼湖のことを訊いた時点で、僕はこの惨事を予想していた。そのことは否定しないよ。うん、だから、こうして無惨にも幾人もの命が奪われてしまったことに対する責任が僕にあることも否定しない」
「いえ……別にそこまで気負う必要があるとも思わないですけど……」
「ありがとう。言葉だけ受け取っておくよ。でも、こう見えて医者の端くれだからね、人命に対する責任から逃れることはできないんだ――見積りが甘かった。まさかこんなにも早く動き出すなんて思いもしなかったんだよ、言い訳だけどね」
それが言い訳なのかどうなのかも、僕には判断できない。
この男……なにをどこまで知っている?
人魚については? 葛霧については?
百目鬼の正体については知っているらしいが……。
なら、僕のループ能力については?
『君のゲーム脳は才能だ』――そんな意味深なことを僕に言っていたのは、この瘦せぎすの医者ではなかったか?
「まあ、その責任を取るために、こうして柄でもなく君に接触を図っているんだけどね、空木くん。『責任を取るため』というか『もみ消すため』という方が正鵠を射ているのかもしれないが」
「?」
「だから、君のループ能力だよ。僕はそれを大いにアテにしてここに来たんだ。不覚にも僕の不注意によって失った命を取り戻すために、人魚伝説の解決のために――君の力を貸してはくれないか、という、まあ、これは君へのお願いなわけだ」
「解決……できるんですか? あなたになら」
と、馬鹿みたいな質問をしてみると、水無月先生はニヒルに笑った。
「僕にはできない。君が解決するんだ」
真っ直ぐと僕を見て、言う。
ちなみに、ここには僕と水無月先生の他にも葛霧がいたが、彼女はすっかりと影だった。影のない彼女が影だった。水無月先生も、葛霧を無視しているというわけではないのかもしれないが、仲間外れとなってしまった彼女は不満げな表情だ。
「僕が?」
「そう、君が――どうやら君は自分のループに二回目があるのかどうか不安がっているようだけど、それについては杞憂だと断言しておこう。君はもう一度戻れる、安倍晴明の末裔である僕が保証しよう」
安倍晴明?
聞き覚えが、あるようなないような……。
「水無月先生は……僕のデスループについて、なにか知っているんですか?」
「デスループ? それはちょっと外した名前だな――質問に答えると、知っている。でも、今はそのことについて説明している時間がない。こうしている間にも、いつ人魚の大軍が押し寄せてくるとも限らないんだ。結界は張ってあるけど、それも絶対の保証じゃない」
「結界……」
「君が気にするべきはそこじゃない。とにかく君は、死ぬことによって過去に戻れる存在だと思っていればいい。だから、君がすべきことは、今、僕から人魚についての情報を聞き出して、そしてそれを過去に持ち帰り、この四月二十一日の夜に起こる惨劇を回避することだ」
「四月十九日に戻って、水無月先生を頼るのはダメなんですか?」
「僕は君の問診を終えてすぐにこの町を出てしまったからね。君が戻った先で僕を探しても、僕はもうこの町にはいないと思う。心苦しいけどね――注釈を付け加えておくなら、探しても僕を見つけることはできないと思うよ」
「……わかりました。なら、人魚について知っていることを教えてください」
僕がそう言うと、水無月先生は目を細めた。
意味ありげな微笑。
でも、その真意を問うている時間は生憎なことにない。
「いいね・君のそういう現実直視型の思考は、非常に好感が持てるよ」
「ちょっと、リンネ――ええの? こないな怪しい人、信じて」
ここでは、さすがに空気を呼んで沈黙を保っていた葛霧も口を挟んでくる。
「そのループとかなんとかだって、私には信じられやんのやけど」
「でも、もう町はこうして壊滅してしまったんだ。信じるしかないだろ。信じるしかない人を疑うのは時間の無駄だ」
そう、僕には他の選択肢など用意されていない。
信じるしかないのだ――信用できなくても、全ベットするしかないときは全ベットするしかない。それこそ、騙されたと思ってやってみるしかないのだ。
「だから――教えてください、水無月先生。人魚について」
「もちろん――といっても、あれは厳密には人魚ではないのだけどね。人魚であって、人魚でない。もっと言うと、怪異現象であっても怪異ではない」
「……持って回った言い方をするんですね。時間がないんじゃなかったですか?」
「ああ、すまないね。これは僕の悪い癖だ――そう、時間がないから端的に説明しよう。あの人魚は人魚ではないし、今回この町で起こった怪異現象の本体でもない。なら、本体とはいったいなんなのか……その答えは、空木くん、既に君も持っているんじゃないのかな?」
「……どうしてそう思うんです?」
「いや、これはただの初歩的な推理だよ――なんて、一度言ってみたかったんだよね。ドイルの愛読者なんだ、こう見えて。なんだったかな……ああ、この怪異の正体か。空木くん、服が濡れているということは、湖に入ったんだろう? なら、見たはずだ。その湖底に潜む『なにか』を」
フラッシュバック。
そう……そうだ。
湖底に、いた。なにかいた。なにかの影を、僕はたしかに見た。
「たしかに、とても大きな蛇のようななにかを……見ました」
「蛇、ね。悪くない審美眼だよ。君が見たそれは大蛇であって龍でもあるんだが……ところで、『三湖伝説』は知っているかな?」
「三湖伝説?」
「東北地方に伝わる伝説でね。十和田湖、八郎潟、田沢湖を舞台としたものなんだが――葛霧ちゃんはどうかな?」
「知らん」
「ああ、そう……意外と有名でもないのかな? まあ、概略を説明する時間くらいはあるか――空木くんも、知らないものには対策の打ちようがないだろうし、知らないものに立ち向かうのも怖いだろうから、知っていて損になるということはないだろう」
まあ……説明してくれるというのなら、聞くのもやぶさかではない。
焦る気持ちがないこともないのだけど、しかし逸ったところで問題は解決しない。僕の、そしてこの町の命運は、現状、水無月先生の掌の上にあるのだ。
誰かに生殺与奪の権を握られているというのも、なかなか落ち着かない。
「昔、陸奥国の八郎太郎という若者が川で三匹の岩魚を獲って食べたら、喉が焼けつくように渇き、谷水を飲むうちに身体が大蛇になってしまった。
八百比丘尼伝説に附随して、百目鬼ちゃんから常陸坊海尊の逸話を聞いているかな? 海尊は赤魚を食べて不死身となったわけだけど、八郎太郎は岩魚を食べて大蛇と、あるいは龍となってしまったんだ。まあ、こういう『なになにを食べてなになにに成った』という逸話は、さほど珍しくもない。それこそ、人魚を食べて不死身となった、みたいな話だ。
さて、岩魚を食べて龍となった八郎太郎だが、もちろん、そうなっては人としての生活は捨てなければならない。仕方なく、八郎太郎は十和田湖に住むことにした。
ちなみに、十和田湖は青森県にある。美しい景観が広がっているから一度行ってみるといい。ヒメマスも美味しいしね。
まあ、そんな十和田湖に八郎太郎は住み着いたわけだが、それからかれこれ約百年後――名門藤原家の一族の南祖坊という修行僧が十和田湖にやってくる。南祖坊は、紀州で修行中に、権現様から鉄の草鞋と錫杖を受け取り『これを身につけ諸国を巡り、草鞋が切れ、錫杖が折れたところを住処にせよ』というお告げに従って日本を行脚していたわけだ。で、草鞋が切れ、錫杖が折れた場所が十和田湖だった。
ところが、十和田湖には既に八郎太郎が住んでいる――棲んでいるという方が正確だね――というわけで、ふたりは湖を巡って激しい戦いを繰り広げた。この血湧き肉躍る戦いついては割愛するとして……とにかく、八郎太郎は南祖坊に負けて、湖を去ることになった。
十和田湖境内の熊野神社には南祖坊の草鞋が奉納され、十和田湖に向かう道には、南祖坊を祀った十和田青龍大権現碑が現在も残っている。青森県に行く機会があったら、是非訪れたいポイントでもあるよね。
ちなみに、南祖坊に敗北した八郎太郎は秋田県の方向に逃げて、そこで大地震と大洪水を引き起こして湖を作り、新たにそこの主となったんだ――なんとなくわかるだろう? その湖が、八郎潟だ」
長ぇ。
面白い話だったけど、長い
なにが時間がないだよ、余裕綽々じゃないか。その時間があるなら、僕のデスループについて教えてくれてもよかったじゃないか、と思ったものの――まだ話は終わっていなかったようで。
「で、その十和田湖と八郎潟と、そこに田沢湖の伝説を絡めて『三湖伝説』というんだ。田沢湖の伝説はこう――
昔、田沢村に辰子という美しい娘がいた。娘は己の美貌が永遠に続くよう、不老不死にしてほしいと観音様に願うと「山の奥の清水を飲めば願いが叶う』というお告げがあった。そのあと、辰子が山に入り川で獲った山女魚を食べたところ、喉が渇いて渇いて仕方ない。
そう、八郎太郎の話と一緒だ。
辰子は岩間から流れていた清水を飲むが、飲んでも飲んでも渇きが癒えない。そうして水を飲むうち、辰子の身体は大蛇となってしまう。すると天が荒れて山は崩れ、激しい豪雨で辺り一面が湖となってしまった――これが現在の田沢湖だ。辰子はそのまま田沢湖の主となる。
その伝説に肖って、今でも田沢湖の畔には『たつこ像』というブロンズ像が立てられているんだよ。観光名所にもなっているから、それくらいは君でも知っているかな?
さて、八郎太郎の話に戻るけど――八郎潟の主となっていた八郎太郎は、田沢湖の噂を聞いて辰子に惚れてしまう。だから、毎年秋の彼岸から翌年の春の彼岸までは辰子のもとを訪れ、冬を越すようになる。そのため、田沢湖はどんなに寒い冬でも氷が張らず、逆に主が不在の八郎潟は、冬の間は湖面が必ず凍りついたそうだ」
「湖面が……凍る?」
「そう……だから、君にこの町の湖が凍らないと聞いたとき、僕はすぐにピンときた――大沼湖には龍が棲んでいるんだとね」
ああ、なるほど……こういう形で話が繋がるのか。
なんて。
僕は妙に納得してしまう。
「人魚伝説の話に戻ろうか――うん、だから、あれは人魚じゃない。考えてもみれば、君だって疑問を抱くだろ? 『人魚にしては強すぎやしないか』って、君も思わなかったわけではないだろう? だから、人魚じゃないんだよ。あれは大沼湖に棲みついた龍の、その眷属だ」
「眷属……」
「まあ、簡潔にいうと奴隷のようなものだよ。龍の奴隷だ。だから、妙に統率も取れているわけだし……怪異そのものではなく、その眷属でしかないから、殺気もない」
と、ここで――水無月先生はなにかに気づいたように片眉を上げた。
それから、小さく舌打ちをして、
「……もう結界が破られたか」
と、呟いた。
結界が破られた? よくわからないけど、それは一大事なのでは? というか、まるで敵を賞賛するような口吻だけど、それは単にあなたの昔話が長すぎただけでは――と、思いはしたが、口にはしなかった。マナーとして。
「今度こそ本当に時間がないから、簡潔に事を説明するよ、空木くん――人魚は龍の眷属だ。だから、人魚をいくら殺しても意味はない。でもね、逆に考えればいいんだよ。龍を殺しさえすれば、その眷属である人魚も死ぬ、とね」
「僕は……じゃあ、あの湖の中に棲む龍を倒せばいいんですか?」
「殺せば、いいんだよ」
水無月先生は頷く。
僕も、頷き返した。
水無月先生が視線をそっぽに向ける。なんとなくその視線を追うと、そこに、いた――人魚だ。いや、人魚ではなく、龍の眷属なのだっけ……今さら呼び名を変えるのも面倒だから、今後も人魚で通そう。
「ひとつ質問してもいいですか?」
「どうぞ」
「今、大沼湖に棲みついている龍は、その八郎太郎と関係があるんですか?」
「いい質問だね」
人魚に囲まれてなお、余裕を崩さない水無月先生は口端を少し緩めた。
いい質問?
「ないことはない――こう言うしかないけど、この言葉はとても重要だ。よく覚えておくといい」
「?」
「さあ、もう限界だ。空木くん、あとは任せたよ――葛霧ちゃん」
「な、なに?」
と、ここで急に話を振られた葛霧は、慌てふためきながら返事をした。
「空木くんを殺してほしい。なるべく、苦痛のないようにね」
「なに言うてんの⁉」
「葛霧、僕からも頼む」
葛霧がキッとこちらを睨む。なかなかどうして、迫力のある目だ。
だが、こちらも引けない。緊急事態だ――負けずに睨み返す。
「……ほんまに、戻れるん?」
「戻れる」
正直なところ、僕とて確信はなかったけど、しかし、ここは言い切った。
合理的虚飾というやつである。
日和っても仕方ない。退路は既に断たれたのだ。
あとは前に進むのみである――あるいは、過去に戻るのみ、か。
「じゃあ、リンネ……戻ったら私を頼って――」
言いながら、葛霧は自らの手首に爪を突き立てた。
そして溢れ出す赤い血液が、空中で物理法則を無視した動きをし、最終的に剣の形に成す。
「必ず助けるから」
「そのときは、葛霧ちゃんに君の血を飲ませるといい。吸血鬼の吸血は相手の存在を喰う。空木くんの記憶を葛霧ちゃんに見せることもできるだろう」
そ、存在を喰う?
それはちょっと、怖いけれど……まあ、それは追々、後々というか前々で考えればいいことだろう。
「じゃあ、葛霧――頼む」
僕は葛霧の目を見て頷いた。葛霧も僕の目を見て頷いた。
思えば、不思議な縁だ。
僕は葛霧のことをよく知らない。けど、こうして運命を託す相手となってしまっている。まったく人生、なにが起こるかわからないものだ。
楽しませてくれるゲームだぜ。
「リンネ」
「ん?」
「信じてる」
「ん」
そして……一閃。
僕の首が刎ね飛んだ。




