013
というわけでロケットである。
あまりにも脈絡のない展開に『ロケット?』となった方もいるであろうこと請け合いだが、しかし、ロケットなのだから仕方がない――横着せずに一から説明すると、まず、先述の通り、僕らは囲まれていた。水辺が近かったもので背水の陣なんて言葉を遣ってしまったが、状況としては四面楚歌とか八方塞がりとか、そういう言葉の方が相応しい。
そんな四面だか八方だかを四方八方から塞がれてしまった僕らは、仕方なく、ロケットのように跳び上がることによってその包囲網から脱出した。
二次元的にではなく三次元的に逃げたのである。
ということを認識したときには、僕は既に上空数十メートルにいた――『上空』という単語の後につくにしては『数十メートル』はちんけかもしれないが、しかし、僕にとっては馬鹿にならない高さだった。むしろ馬鹿になりそうなくらいの高さだった。
ちなみに、どうやって数十メートルもさながらロケットのごとく地表から射出されたのかというと、それはもう、シンプルに百目鬼の人外パワーに頼った。
頼った、というか――である。
気がついたら、百目鬼に抱えられて高度数十メートルにいた。百目鬼は僕になんの相談もなく(相談している時間はなかったのだけど)勝手に僕ごと地面から飛び上がったのだ。
「ど、百目鬼……っ⁉」
と、僕は情けなく彼女に抱き着く。
ちなみに、彼女は僕の左側面から右の脇の下に腕を通すように、さながら拘束するように抱き締めていて、だから、僕は左腕一本でしか彼女に縋りつくことができなかったのだけど、それがまたスリリングだった。
安全バーが上がった状態でジェットコースターに乗ってる気分だ。
「私は百々目鬼じゃないよ」
そんなことわかっとるわ、とツッコミを入れるか悩んだ末、黙っていた。くだらないことをいって舌を噛んでは報われないと思ったのだ。
身体を襲う空気圧だか風圧だかが収まっていく。
やっとこ、信じられない速度での上昇が終わって……終わって、落下が始まるのだろう――これ、着地はどうするんだ?
そこもまた、百目鬼の鬼としての能力に頼ることになるのだろうけど、その着地の衝撃に、僕の人間の身体は果たして耐えられるのか?
というか、である。
というか、百目鬼の鬼パワーはそこまで強力だったのか? そりゃ、怪力無双であることは聞いていたし知っていたけど、人ひとりを抱えてここまで高度のある跳躍ができるほどの膂力があったのか?
そんな疑問を胸に、僕は百目鬼のことを見た。
理由として、数十メートルの高さから下々の世界を見るのに耐えられなくなっていたからである。普通に怖い。
だから、安心するために、安心できる友の顔を見ようと、僕は百目鬼に目を向けた。
そして、見た。
百目鬼の顔――その額、そこに開眼した、彼女の三つ目の眼を。
「お、お前……その額……え? 第三の目? お前、ヨガマスターだったのか⁉」
「馬鹿なことは余裕がある時に言ってね」
百目鬼は言って、少し目を細める。
第三の目も、同じように。
「まあ、先祖返りってやつだよ、これも。私の先祖は、百の目を持つ鬼だったわけだから」
「でも、お前……百個も目はないって」
「三個ないとも言ってないでしょ? これはね、まあ、私の本気モードってやつかな」
か……かっけぇ。
本気になると第三の目が開眼する設定、かっけぇ……。
厨二病なら誰でも好きなやつだ。男の子なら誰でも好きなやつだ。
本気を出すと身体変化が現れるやつ。スーパーサイヤ人しかり、ギア2しかり、最後の月牙天衝しかり、本気を出したときだけ見せる姿ってやつに、僕たち男子はときめかざるを得ない……!
「気持ち悪いって思われるかなって思って隠してたんだけど、それは杞憂だったみたいだね」
「むしろカッコいいぜお前。最高に――でも隠してたのはグッドだ。ナイス判断だ。お前の判断力を見込んで三塁ベースコーチに任命したいくらいだぜ! この緊急時に唐突に、ご都合主義的に見せるからこそ価値があるんだよ、そういう変身って!」
「テンションが高いのは結構だけど、舌噛まないでね。そろそろ落下が始まるよ」
いっそこれだけの時間を上昇し続けていたのだから本当に驚く。数十メートルとは言わず、百メートルくらいあるんじゃねぇの、これ――という高さから、落ちる。というか堕ちる。
ぐんぐん加速する。
遊園地にあるフリーフォールを絶叫マシンとして二度と楽しめまい、というくらい、その落下は絶叫ものだった。フリーフォールよりフリーフォールだった。ていうか、ただの自由落下だった。
「百目鬼! お前、その本気モードなら、あの人魚の大軍を殲滅できたりするか? 僕としては、まず安全に着地して、それから人魚を千切っては投げ千切っては投げの怪異撃退カーニバルを期待してるんだけど……」
「さすがに多勢に無勢かな。袋叩きにされたら、普通に勝てないかも……」
「口吻的に、ワンチャン勝てたりする感じ?」
「わかんないけど、空木くんを守り切るのは無理かな――そろそろ入水するよ!」
「じゅ、入水⁉」
「間違えた! 着水!」
「そんな間違え方すんなやぁ!」
そして、ドボンッ――と、入水……じゃなくて着水。
高度百メートルから水面に叩きつけられれば、それはもうコンクリートの地面に叩きつけられるのと変わらないとかうんとかかんとかあるが、まあ、そこは百目鬼が僕を庇ってくれたおかげで一命をとりとめた。
一命はとりとめたが、しかし、難は去っていない。
水中……水の中だ。
コンクリートと変わらないとはいえ、しかし、さすがに地面に墜落するよりは水に着水した方がマシだったから仕方ないとはいえ、水の中はマズいのだ――ここは、人魚の領域である。
まさしく水を得た魚。
人魚の影(人影? それとも魚影?)が、程よく濁った水の中で縦横無尽に駆けまわっている。
忘れてはならない。
百目鬼には瞬殺されていたが、しかし、僕は一周目の世界で拳銃を手にしたにも関わらず、なにもできずに人魚に殺されている。それも陸地で。それくらい、奴らは凶暴で強力なのだ。
ましてやここは水中。
百目鬼にだって、勝ち目はあるかどうか……。
「……?」
と。
百目鬼から反応がない。僕の左腕に抱き込まれた百目鬼は、虚脱したまま沈んでいく。
……気絶している。
ああ、そうか……鬼は怪力無双でも、防御力は高くない。水面に激突したときの衝撃で、気を失ってしまったのか――というのも、まあ、僕の希望的観測っていうやつで、実際のところは、命を落としてしまったのかもしれない。
気絶か、死亡か。
それらの可能性を選り分ける方法は、今、手持ちにない。
そして沈み行く百目鬼の向こう――水の底、湖底。
そこになにかの影が蠕動した。
人魚……じゃない。もっと大きく、もっと異形な。
蛇?
なにかはわからない。
なにかはわからないが、なにかいる――そのことを認識した瞬間。
僕は百目鬼にキスをした。
断っておくと、生きることを諦めて、最後は美少女とキッスをしようとか、そういうことを画策したわけではない――僕はそんな風には逃避しない。
最大の努力と最良の選択により最善の結果を求める。
それが僕の人生哲学だ。
人生哲学というか、行動原理というか、設計理念のようなものなのかもしれないけど。
とにかく、キス目的でキスをしたわけではない。
僕が百目鬼の――友達の、その泡が溢れる唇に自らのそれを合わせたのは、もちろん、人工呼吸のためである。人工呼吸器、あるいは循環呼吸。僕の吐いた空気を直接的に百目鬼の肺に叩き込むことで、気を失った百目鬼の蘇生を図ったのだ。
もちろん、百目鬼が既に先のショックで落命している可能性はあった。その場合、僕の行動はまるきりの徒爾な作業となっていることだろう。
ただし、その場合――百目鬼が既に死んでしまっていた場合、僕に助かる道はどうあれない。
だから、僕にできることは百目鬼が死んでいないことを祈って蘇生を試みることだ。それが最大の努力であり、最良の選択である。
「……っ!」
果たして。
果たして果たして。
ここまでことあるごとにアンラッキー続きの僕だったが、しかし、禍福糾える縄のごとしということなのか、人間万事塞翁が馬ということなのか、ここでは天運が僕に味方した――ショック気絶に対するショック療法というか、僕との接吻がそれほどにショックだったのか、百目鬼はすぐに目を醒まして、第三の目も再び開眼させて、僕から受けとった酸素を有効活用して、水を思いっきり蹴った。
技術もへったくれもないただの跳躍みたいなキックだったが、それでも鬼の本気か、水から抗力を得た百目鬼の身体は、僕の襟首を掴んだまま水面に向かって一直線に上昇を始めた。
まったく……上がったり下がったり、下がったり上がったり忙しいぜ。
なんて思っている間もなく、僕らは水面から顔を出すことに成功する。
呼吸、呼吸、呼吸……。
緊急事態ゆえ息苦しいとは思っていなかったが、しかしそれなりに長時間水中にいたのか、呼吸を再開すると肺が潰れそうになるほど過呼吸になっていた。
「はぁ…………はぁ………百目鬼、助かった………」
「まだ…………まだ、助かってない!」
お互いに息を切らしながら、そんな言葉を交わす。
そう、まだ助かっていない。
空気は確保したとはいえ、いまだここは水の中――人魚の掌の上だ。
「ひとまず……湖岸まで――」
「そんな暇は……ないよ!」
そんな暇はなかった。
人魚の影が迫りくる。これこそ魚影だった。名作パニックホラー映画に『ジョーズ』というサメ映画が存在するが、その有名シーンによく似た状況だった。
「ど――」
百目鬼の名前を呼ぼうとして、失敗した。
百目鬼が姿を消したのだ――水中に潜ったのである。それも、僕の襟首を掴んだまま。
なにをしているのかと一瞬疑問に思ったが、百目鬼が水中で身体を丸めて、僕の腹にその足を当てた瞬間、僕は彼女がなにをしようとしているのか察した。
察したところで、もう遅い。
百目鬼は僕を蹴り飛ばした――蹴り飛ばしたというか、脚力を使って投げたという方が事実に則しているかもしれないが、とにかく僕は吹っ飛ばされた。湖岸まで。安全圏まで。
僕だけ。
さながらカタパルトのように、比較的浅い角度で射出され、水面を数回バウンドした末に、僕は土の地面に激突していた。痛いかと問われれば痛かったと答えるよりないが、痛いよりも先行する感情もあった。
「どめ…………き…………」
今度は彼女の名前を呼ぶことができた。
地面に激突した際に吐き出した空気を、再び吸う間もなく彼女の名前を呼んだ。
それだけ献身的に友達のことを想っても、彼女の方から返事が来ることはなかった。既に、湖の中心部、百目鬼がいる辺りには、人魚が群がっていた。さながら、餌に群がる池の鯉のようだったが、そんなにかわいいものでもなかった。決してなかった。
「クソッたれ……」
あれはさすがに死んだ。
さしもの百目鬼も死んだであろう――さて、ここで立ち返る。
僕は自殺すべきなのか、というあの疑問に立ち返る。
僕はやり直せるのか?
一回目があったなら二回目があってもいいと思ってもいいのか?
すぐさまそんな風に切り替えられてしまう自分の性質が殺したくなるくらい嫌になりそうだったが、嫌になっている場合ではない。
選べ。
このまま尻尾巻いて逃げるか、死ぬか。
逃げた。
この場で、その二択を吟味するほど僕も冷静さを失ってはいなかった。
この場はいったん逃げておいて、あとでデスループを試行すればいいだけの話なのだ。それが最大で最良の選択肢に思えた。まったく疑問を抱くこともなかった。
強いて言うなら、人魚に集られている親友に背を向けて逃げ去ること――その選択肢をまったく躊躇なく、非人間的に、即座に選ぶことができる、自分自身のどうしようもないゲーム脳に嫌気がさすくらいだった、が、一方で、これが最善の結果だという確信もあった。
逃走。
とにかく湖から離れようと走った――しかし、十メートルと進むこともできず。
「……さっきから思ってたんだけど、お前ら統率取れ過ぎじゃね? 百目鬼は雑魚とか言ってたけどさ、僕みたいな一般人からしたら、お前らも充分化け物なんだから――だから、強ぇ奴が群れるなよ。卑怯だろ」
人魚に囲まれていた。
先ほど湖畔で見た数百の人魚のほとんどは、今は百目鬼に群がっている。しかし、その争奪戦にあぶれた人魚だって当然いるわけで、そのうちの十数匹が僕を取り囲んでいた。
「――死んだな、これ」
それを悟るにも、理性が必要な状況だった。
というのも、その人魚ども、一切の殺気を放っていないのである。いや別に、僕だって殺気を感じ取れるほどの特殊な訓練を受けた人間ではないのだけど、にしても、なのだ。にしても、この人魚ども、あまりにも普通然としている。
思い返してみればずっとそうだった。
初めて、あの晩に人魚と遭遇したときも、僕と百目鬼は目視するまであの異形に気づくことができなかった。それほどまでに気配がない。
まるで、意思を持っていないかのように。
意思を持っていない。殺意もない。故に気配もない。
これから僕はまず間違いなく死ぬというのに、そのことを理解するのに多大な理性を必要としてくる。たとえば、朝自分の家のベッドの上で目が醒めて、いの一番に『ああ、今日死ぬかもしれないな』なんて思うことなどないように、普段、人が自分の死を意識なんてしていないように、現状もまた、死の意識が難しい。
しかしてしかし、現実は現実。僕の感性なんて知らねぇよとばかりに、人魚は迫る。
ゆるりと、その円を狭める。
確実に……確実に、獲物を仕留める動きだ。
距離が確かに縮まる。
触れられるほどの間近で観察してみると、なるほど、これを瞬殺できる百目鬼はどうにも人間ではなかったらしいと思わされる。
百目鬼。
僕のために死んでくれた、あの友達であって人間ではない、彼女のことを想う。
「百目鬼……必ず僕が、お前のことを助けるから!」
そして、振り上げられ人魚の拳が僕の頭部を砕く――




