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012

 明くる日――明くる、といっても百目鬼が人魚を掃討した時点で時刻は天辺(てっぺん)を回っており、だから、日が明けたというよりは日が昇ったと表現するべきなのだが……とにかく、四月二十一日。


 新たに、さながら新章開幕のごとく『吸血鬼伝説』なるものがこの町に流布していることが明らかになったところで、それでもまだ人魚伝説の方が完全解決に至ったわけではない。

 人魚が一匹しかいなかったなら、それを殺して「はい終了」と言うことはできただろうが、三匹もいたなら話は変わってくる。三匹いたならもっといると読むべきだ。つまり人魚にはなにかしらの発生条件があると見るべきであり、その『根本』を解決しないことには事態の終了は宣言できない。

 つまり、今夜――僕が前周では経験できなかった二十一日の夜にだって人魚が町に現れる可能性はあるわけだし、なんなら昼の内から出没する可能性だってないわけじゃない。町の人々を守りたい気持ちは僕にだってあるが、だからといって、これから毎夜のごとく百目鬼と夜の町をパトロールするわけにもいかないし、それこそいたちごっこだ。


 というわけで、二十一日。

 この日も登校日だった僕たちは、さすがに二日連続ズル休みは忍びないと(そんなことは僕は一切のごとく思っていなかったが)登校して、本来は昨日(こな)すはずだった図書委員としての仕事も終わらせて――そして、ふたり連れだって大沼湖を訪れていた。

 西日が眩しい、夕暮れ時の話である。


「で? 水無月先生とはまだ連絡つかないのか?」


「だから、連絡をつける方法が存在しないんだって。基本的に、会えたときしか話せない人だから」


「『スマホは人権』だとか『持っていて当たり前』だとか、そういう風潮には異を唱えたい僕ではあるけど……とはいえ、連絡手段を持ってないって、普通に迷惑行為なんだな……」


「『持ってないのが迷惑』なんて、それこそ迷惑なものの考え方かもしれないけどね」


 まあ、その理屈はわからないでもないが。

 しかし、現にこうして僕らが迷惑をこうむっているわけで、大人のマナーとして、やはりスマートフォンの一台くらいは所有していてほしかった。


 というか、電子機器に弱いのかなんなのか知らないが、連絡手段を持たない水無月先生は、どうやって表向きの仕事である医者業を熟しているのだろうか。いや、まあ、どっちが表でどっちが裏なのか知らないが――基本的に、僕のときのように紹介された人しか診ないのだろうか。

 それで食っていけるとは思えないし、かといって、陰陽師としての仕事が儲かるとも思えない。

 考えれば考えるほど、その実態が杳として知れなくなっていく不思議な人だ。


「それより、空木くん、本当に家に帰らなくてもいいの? 昨日だってほら、結局家に帰らなかったじゃん」


「ま、夜もいい時間だったしな。人魚がさらに現れないとも限らなかったし、数時間寝るためだけに家に帰る意味も見出せなかったというか」


「いや、数時間寝る意味はあったでしょ。空木くん、授業中に爆睡かましてたじゃん」


「授業なんて、起きててもどうせ頭に入ってこないから問題ない」


「それはそれで問題しかないけどね……」


「百目鬼こそ、家に帰らなくてよかったのか?」


「むしろそっちの方が喜ばれたんじゃないかな? なんか昨日は、あの人のことを連れ込んでたみたいだし」


 ああ、そういえばそうだったか。

 あの人。

 百目鬼のお母さんの『好い人』。


「だから、それこそむしろ、空木くんこそよかったの? 妹ちゃんを待たせてるんじゃない?」


「待ってるわけねぇだろ」


「寂しがってるよ、きっと」


「だとしたら、いい気味だと言うほかないね」


 冷たく言い放った僕を、呆れたような目で百目鬼が見た。

 どうにも、なにか言いたげな目だ。


「なにか?」


「……あのさ、外からこんなこと言われたくないだろうけど……妹ちゃんとの関係、そろそろ見直した方がいいと思うよ」


「外からそんなことは言われたくない。百目鬼だって、お母さんと仲良くした方がいいとか、()()に言われたくないだろ? 言われたくなさそうだから、僕は言ってないんだ。家族関係っていうのは、家族の中で完結してるものなんだよ。外野が口を出せる問題なんてなにひとつない」


「それはそうかもしれないけど…………でも、空木くんと妹ちゃんって、喧嘩するじゃん。それも暴力を伴って。我が家にはない、ドメスティック・バイオレンスがあるじゃん。そこまで不仲だと、口も出したくなるよ」


「喧嘩するほど仲がいいって言うだろ」


「でも、仲良くないじゃん」


 さて、それはどうかな。

 僕らの喧嘩は、つまりは不仲は、根っこのところで、僕らの強い絆が関係している。強すぎた絆の反動がきているのだ、今、思春期絶頂の僕たちに。あるいは代償か。なんでもいいけど、僕らは『喧嘩するほど仲がいい』というか『仲がよかったが故に喧嘩する』関係なのである。

 もちろん、そのことを百目鬼に説明するつもりはない。

 中学まで妹とキスしてたとか、友達に話せるような話じゃないしな。


「妹に暴力を振るうなって話なら、生憎だけど、ループする前の前周でもう既にした――大丈夫。僕は妹との喧嘩にはちゃんと手加減してるし、うっかりやり過ぎることなんてありえない。だから心配するなよ、他人なんだから」


「他人とか言わないでよ。それに、心配もさせて――友達なんだから。空木くんだって、妹ちゃんと喧嘩することに、そして暴力を振るうことに、まったく罪悪感を抱いていないわけではないんでしょ? 空木くんがなんて言おうと、その問題、解決した方がいいと思うなぁ」


「お前は僕の良心が作り出した第二人格なのか? 友達でも踏み越えてはいけない一線は守ってくれ――それに目下、家庭内事情なんてどうでもいいくらいの問題があるだろ。目の前に広がってるだろ」


 と、顎をしゃくって僕は大沼湖を示す。

 ここまで長々と会話をしていて、その描写を一切していなかったのはこちらの不手際だが、僕らがそんな会話をしていたのは大沼湖の畔だった。


 今日も変わらず、誰もいない。

 そして、それは別に不思議でもなんでもない。

 別に景勝地でもなんでもない、ただの湖なのだ。


「しかし、これだけ手の付いていない自然が、これほどまでに『なんでもない』っていうのも、逆に不思議だよな。普通、これだけの自然地形、否が応でも美しくなっちまうだろ――そこのところ、ただの湖でしかなくて、ただのデカい水たまりでしかないこの大沼湖は特別だよな」


「そんなところで特別視されても、喜ばしくないけどね」


「景勝地というか観光地というか、名所になるとは言わないまでも、湖と、その周りに歩ける道があれば、普通デートスポットくらいにはなるだろ。なんで誰もいないんだよ」


「そもそも、この町にそれほど人がいないというのは、要素として小さくはないだろうけどね」


「ああ、まあ、そうだな。この町の人口って何人くらいだっけ? 十人くらい?」


「そこまで限界には過疎ってない。ていうか、別に過疎ってないよ、この町は。都会じゃないっていうだけで、田舎なんて評したら、本当に田舎な町に住んでる人に怒られちゃうよ」


 別に怒られたところで構いはしないのだが。

 しかしまあ、そういうところでもこの町は面白みがない。都会ではなく、限界集落というわけでもなく、娯楽が充足しているわけでもなければ、自然が雄大なわけでもない。

 本当につまらない町だ。

 この町の出身で地元愛を持っている人間なんて、たぶん誰一人いないだろう。

 大人になって街に出て行ったら、二度と帰ってこない自信がある。

 こういう場所を、限界集落予備軍と呼ぶのだろう。


「湖ね……僕の予想が正しければ、この湖と人魚伝説は確実に関係しているんだが……そうだ、百目鬼、お前って語感も人間より鋭いんだろ? なにか水の中に見えたりしないか?」


「さすがにこの透明度じゃね……それに、薄暗いし。西日がいい感じに水面に反射して、なにも見えないよ」


「水の中を確認するには、水に入ってみるしかない……か――ところで百目鬼、ちょっと水浴びしたくないか?」


「したくないし、水着も持ってない」


「水着くらいならその辺で僕が買ってやるさ。お前は知らないかもしれないが、なかったことになった一周目の世界で、お前は制服の下にビキニを着ている系女子になると言っていたぞ。僕に向かって、そう宣誓していた」


「その嘘八百しか言わない舌を引っこ抜いてあげようか? 鬼の怪力で」


「怖すぎる」


「嘘を吐いたせいで鬼に舌を切り落とされた、みたいな怪談だってあるんだから、そこら辺は気をつけた方がいいよ。空木くんが今こうして楽しくお喋りしているのは、友達であって人間でない、鬼の怪異なんだから」


「………」


 それはたしかに、よくよく覚えておかなければならないことなのかもしれない。

 鬼だからって――言い換えて、人ではないからといって、そのことをコンプレックスに思っているとは限らない。無理に人扱いすることこそ無粋で、それが縁の切れ目に繋がっては悲しい話だ。

 百目鬼は怪異。

 友達であって人間ではない。

 胸に刻んでおこう。


「なら、怪異の百目鬼に訊くんだけど――なんか、怪異としての超感覚で、この湖が怪異現象と関係しているのかどうかとか、なんとなくの感覚でわかったりしないのか?」


「そんなあやふやな指示を出されてもね……まあ、なにも感じないよ。アニメとかならあるあるな設定だけどさね、怪異が怪異の気配を感じ取れるみたいなの。でも、私にそういう感覚はないかな。あったら、小さい頃から自分が人間じゃないことに気づいてたはずだし」


 その言葉尻を捉えるなら、やっぱり百目鬼は人生の途中までを、おそらくはほとんどを人間として過ごしているようだし、そして、鬼であることを自覚したのも最近であるらしい。

 友達であって人間ではない。

 自らが人間ではないことを自覚したときの彼女の心境とは、いかなものだったのだろう……。


「ひとつ、答えのわかりきってる質問をしてもいいか?」


「どうぞ」


「百目鬼が鬼であることは……お母さんは知ってるのか?」


「知らないよ」


 当たり前じゃん。

 と、彼女は切って捨てた。

 その通り――当たり前だった。


「不機嫌になるなよ、やりづらいな」


「言うよね。一応、今のは空木くんの無神経だったと思ってるんだけど?」


「さっき折紙との関係について言及されたことに対する意趣返しだ。これでおあいこ。家族のことについて、痛くもない腹を探られる不快さが伝わっただろ? まして、痛い腹なら尚更のこと」


 百目鬼は言葉を返さなかった。

 返す言葉もなかったのかもしれないし、言葉を返すまでもないと思われたのかもしれない。


 気がつけば、空が紫色になっていた。

 太陽が地平線に沈み、空の青と夕日の赤が交じり合って、幻想的な紫を演じている。

 これを幻想的と捉えるか、狂騒的と捉えるかは、意見の割れそうなところではあるが。


「日本ってさ、日の出を見る習慣ってあるけど、日の入りを見る習慣ってあまりない気がするよな」


「それは不吉だからじゃないかな?」


「不吉?」


 ああ、まあ、言いたいことはわからないでもない。

 太陽の運行をひとつの生命活動と捉え、日の出を誕生、日の入りを死とする概念は、いくら不勉強な僕でも知っている。


 それに、そうだ。

 日の入りの瞬間、この太陽もなく星もない薄暗いこの瞬間のことを、人々は『逢魔時』と呼び、恐れたのではなかったか……。


「……っ⁉」


 と。

 そんな思考をしたまさにその瞬間だった――逢魔時だった。

 まさしく僕らは、魔に行き逢った。


 ズルリッ――と。


 大沼湖の水面が不自然に膨らみ、そこから――ああ、なんてことだ、この距離で見るのは、今や懐かしい――人魚が這い出てきた。

 這って、出てきた。

 相も変わらず気持ちの悪い、グロテスクな容姿をしている。

 生憎あまり知識はないが、クトゥルフだったら、見ただけでSAN値チェックが入りそうだ。

 それくらいに、それほどまでに――醜悪。


「どめ……………」


 百目鬼、やっつけてくれ。

 という、そのなんとも情けないセリフが口から最後まで出てこなかったのは、決して、僕が自らの情けなさに挫けたからではなく、まして『やっつける』という単語を『殺す』という単語に差し替えるべきか悩んだわけでもなく――単純に。

 単純に、人魚が這い出てきただけでは終わらなかったからである。

 一匹、這い出てきただけでは。


 水面がボコボコと波打ち。

 二匹目が、三匹目が、そして未曽有の四匹目が、それで終わらず五匹目が、キリよく終わらず六匹目が、まだまだ終わらず七匹目が、八匹目が、九匹目が、十匹目が――。

 それでも終わらず。

 次々と。

 次々と、次々と、次々と、次々と、次々と、次々と、次々と、次々と、次々と、次々と、次々と、次々と、次々と、次々と、次々と、次々と、次々と、次々と、次々と、次々と、次々と、次々と、次々と、次々と、次々と、次々と、次々と、次々と。

 際限なく、水面から人魚が沸き上がってきたのである。


 あっという間に。

 瞬きする間に。


 その数、百や二百では済まされない。

 さすがに千ということはなさそうだったが、しかし、さしもの一鬼当千を謳う百目鬼とて、この数の人魚を相手にできることはあるまいというほどの数。


「百目鬼……逃げ――」


「動かないで!」


 逃げようと、ここで余計な漢気を見せて百目鬼の腕を掴んだ僕を、しかし、百目鬼は一喝した。

 引いた腕は、ピクリとも動かない。


「……もう囲まれてる」


 その言葉に振り返ってみると、たしかに、いつの間にか背後にも人魚の群れがあった。既に囲まれているのだ。逃げ場は、もうない。

 背水の陣。

 その背後の水からすら、人魚は沸き続ける。


 僕たちを円陣を組んで囲む人魚どもは、じわりとその輪を小さくした。

 いきなり飛び掛かってこないあたりが、どうにも賢い。

 怪物が……それも魚の怪物が、一丁前に知性なんて持ってんじゃねぇよ、と思う気持ちもあるが、舌を打ったところで、ピンチがチャンスになったりはしない。ピンチはピンチ。詰みは詰みだ。


 そして――ぞろりと。

 蠢くようにして、鱗に夕闇を反射させながら、人魚たちは迫る。

 迫る。

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