第7話 安く使い潰す方が、実は高くつくんですよ
数日後。
俺は、リゼの店の机に、紙を広げていた。
「帳簿、教えてくれないか」
俺が頼むと、リゼは目を丸くした。
「帳簿、ですか?」
「セオドールっていう文官を、数字で説得したいんだ。
でも、この世界の帳簿の書き方が、俺にはわからない」
リゼは、少し考えて、うなずいた。
「わたし、帳簿は得意です。
両親から、教わったので」
彼女は、店の帳簿を取り出した。
「一緒に、やりましょう」
*
俺たちは、数字を並べていった。
まず、ゴードン工房の「使い潰し」のやり方。
徒弟が倒れる。
倒れると、しばらく働けない。
その間、生産が止まる。
さらに、倒れた徒弟が辞めると。
新しい徒弟を雇う。
一から教える。
その手間と時間が、かかる。
「これ、全部お金にすると、けっこうな額ですね」
リゼが、計算しながら言った。
「一人辞めるたびに、募集と教育で、これだけ損してます」
数字が、はっきりと出た。
*
次に、俺の改善したやり方。
倒れる人がいない。
だから、生産が止まらない。
辞める人が減る。
だから、採用と教育の費用がかからない。
「長い目で見ると、こっちのほうが、ずっと得ですね」
リゼが、二つの数字を並べた。
「安く使い潰すより、大事に使うほうが、
お金が残るんです」
俺は、その表を見つめた。
前世では、誰も、これを計算しなかった。
「人はいくらでも替えがきく」
そう言って、使い潰していた。
でも、本当は。
替えるほうが、高くついていたんだ。
*
数日後。
俺は、その表を持って、財務局にセオドールを訪ねた。
「証明しに来ました」
俺は、机に表を広げた。
セオドールは、無言で、それを見た。
一行ずつ、指でたどっていく。
「これは……採用と教育の費用ですか」
「はい。使い潰すと、辞める人が増える。
そのたびに、新しく雇って、教える。
その費用を、計算しました」
セオドールの指が、止まった。
「使い潰すより、大事に使うほうが、
長い目で見て、利益が大きい」
俺は、言った。
「安く使い潰す方が、実は高くつくんですよ」
*
セオドールは、しばらく表を見ていた。
長い沈黙だった。
やがて、彼は、静かに口を開いた。
「……見事です」
初めて、彼の声に、感情がこもった。
「感情論だと、思っていました。
ですが、これは、数字です。
反論できません」
彼は、表から目を離さなかった。
そして、ぽつりと言った。
「私は、昔」
声が、少し低くなった。
「部下を、効率のために、働かせすぎたことがあります」
俺は、黙って聞いた。
「一番優秀だった者が、倒れました。
そして、戻ってきませんでした。
私は、それを『仕方ない』と、記録しました」
彼の手が、わずかに震えていた。
「数字だけを見て、人を見なかった。
その結果です」
*
「後悔、してるんですか」
俺が聞くと、セオドールは目を伏せた。
「毎日。ですが、認めたくなかった。
認めれば、私のやり方が、間違いだったことになる」
彼は、俺の表を、もう一度見た。
「あなたは、それを、数字で示してくれた。
感情ではなく、数字で。
だから、私は、認められます」
彼は、顔を上げた。
その目から、冷たさが消えていた。
「ハルさん。あなたのやり方を、
一つの工房で終わらせるのは、もったいない」
彼は、まっすぐ俺を見た。
「制度として、街に広めましょう。
私が、力を貸します」
*
俺は、驚いた。
敵だと思っていた相手が。
味方に、なろうとしていた。
「本当に、いいのか」
「ええ」
セオドールは、うなずいた。
「私は、同じ後悔を、二度としたくない。
あなたのやり方なら、それができる」
俺は、差し出された手を握った。
冷たい手だった。
でも、その握力は、真剣だった。
「よろしく頼む、セオドール」
「セオで、けっこうです」
彼は、初めて、かすかに笑った。
*
店に戻って、俺はリゼに報告した。
「セオが、味方になった。
街全体に、広めてくれるって」
「本当ですか!」
リゼが、飛び上がった。
「やりましたね、ハルさん!」
俺は、一人の労働から。
仕組みを、社会に広げる。
そんな視点を、初めて持てた気がした。
前世では、想像もできなかったことだ。
「一つの店を救うより、でかい仕事になりそうだな。
……まあ、やっとくか」
俺はそうつぶやいて、拳を握った。
でも――
その夜。
工房区の暗がりで。
一つの影が、こちらをうかがっていた。
改革の波を、恐れる者。
ゴードンが、次の手を、動かし始めていた。




