第2話 一晩で百人分、やってみました
翌日の、昼過ぎ。
アニカに連れられて、俺は工房区に来ていた。
木を削る音。
金属を打つ音。
あちこちの工房から、働く音が響いていた。
「ここだよ」
アニカが足を止めたのは、小さな店の前だった。
看板に『カーウェン商会』とある。
でも、店の様子はよくなかった。
棚は半分空っぽで。
床には木箱が積み上がっている。
「リゼー! 連れてきたよ!」
アニカが扉を開けて叫んだ。
奥から、赤い髪の女の子が飛び出してきた。
そばかすのある顔。
年は十代の後半くらいか。
「アニカさん! 本当に来てくれたんですね!」
早口だった。
言葉の端々が、ていねいだった。
「あ、あの、あなたが……その、噂の?」
彼女が俺を見た。
「三上ハル。ハルでいい」
「三上さん……あ、じゃあ、ハルさんで!
リゼ・カーウェンです! この店の店主です!」
勢いよく頭を下げる。
「ハルでいい」と言ったのに、彼女は「さん」をつけた。
きっと、人を呼び捨てにできない性分なんだろう。
そう思わせる、律儀な子だった。
でも、その顔には疲れが見えた。
目の下が、少し暗い。
(この子、寝てないな)
前世の俺と、同じ顔をしていた。
*
事情を聞いた。
リゼは早口で、でも一つずつ説明してくれた。
「明日の朝までに、木箱を百個。
それと、壊れた荷車の修繕を五台分。
街の商会に納めないといけなくて」
「百個と、五台」
「はい。でも、間に合わなくて……」
リゼは床の木箱を見た。
「今できてるのが、三十個です」
俺も木箱を見た。
残り、七十個。
普通なら、無理な量だった。
「間に合わないと、どうなる?」
俺が聞くと、リゼの肩がぴくりと動いた。
「契約違反で、違約金です。
そうなったら、この店……」
彼女は言葉を切った。
そして、絞り出すように続けた。
「もう、続けられません」
店の奥に、小さな絵が飾ってあった。
男の人と女の人。
二人とも、優しそうに笑っている。
「あの絵の人は?」
俺が聞くと、リゼの視線がそこに向いた。
「わたしの、両親です」
声が少し、震えた。
「二年前に、流行り病で。二人とも」
リゼは絵を見たまま話した。
「この店、借金があって。
でも、両親が大事にしてたから。
わたしが、継ぎました」
だから、潰せない。
そう言っているのが、わかった。
彼女の握った拳が、白くなっていた。
*
俺は木箱を一つ、手に取った。
作りかけの、ふたのない箱。
(七十個。五台の修繕)
前世の俺なら、頭を抱えた量だ。
でも。
「リゼ」
「はい?」
「これ、俺がやる」
リゼが目を丸くした。
「え……で、でも、七十個ですよ?
それに修繕も。一晩じゃ、とても」
「一晩でやる」
俺は言った。
リゼは信じられないという顔をした。
無理もない。
俺だって、前世の常識ならありえないと思う。
でも、俺の体はもう、前世のものじゃない。
「条件がある」
俺は指を一本立てた。
「今晩の宿代と、飯。それでいい」
「そ、それだけ、ですか?」
「それだけ」
金なんて、まだよくわからない。
でも、寝る場所と食べ物があれば、生きていける。
それに――
この子の顔を、放っておけなかった。
前世の俺と、同じ顔をしていたから。
誰も助けてくれなかった、あの顔を。
「まあ、やっとくか」
俺は袖をまくった。
*
日が落ちた。
リゼが手伝おうとしたけれど、俺は止めた。
「君は寝て。明日、納品するんだろ」
「でも、わたしの店なのに」
「寝不足で商談するのか?」
リゼが黙った。
「俺は疲れない。君は疲れる。
だったら、役割を分けたほうがいい」
彼女はしばらく迷って、それから小さくうなずいた。
「……お願い、します」
そして、奥の部屋に下がった。
俺は一人になった。
ランプに火を入れる。
木材を並べる。
そして、手を動かし始めた。
*
板を切る。
釘を打つ。
角を合わせる。
ふたをつける。
一個。
二個。
三個。
俺の手は止まらなかった。
腕が痛くならない。
指がしびれない。
夜が深くなっても、俺の集中は切れなかった。
前世で身につけた、一つだけの取り柄。
「同じ作業を、正確に、延々と続ける」
ブラック企業が、俺に叩き込んだこと。
それが今、役に立っていた。
皮肉な話だった。
でも、不思議と嫌じゃなかった。
窓の外で、月が動いていく。
十個。
三十個。
五十個。
俺は荷車の修繕にも取りかかった。
車輪を外す。
軸を直す。
組み直す。
手が覚えていく。
二台目からは、速くなった。
夜明けが近づいてきた。
*
朝。
奥の部屋の扉が開いた。
リゼが出てきて、店の中を見て、立ち止まった。
木箱が、きれいに積まれていた。
百個。
その横に、修繕された荷車が五台。
「……え」
リゼの口が開いたまま止まった。
「全部、終わった」
俺は最後の箱を積んだ。
「間に合ったよ」
リゼは木箱に駆け寄って、触った。
ふたを開けて、中を確かめて。
それから、修繕された荷車を見て。
彼女の目に、みるみる涙がたまっていった。
「本当に……本当に、全部……」
「泣くなよ。納品、これからだろ」
「はいっ……はい……!」
リゼは涙をぬぐって、笑った。
疲れの中に、光が戻っていた。
*
納品は、無事に済んだ。
商会の人が木箱を検分して、うなずいて。
代金が、リゼの手に渡った。
店に戻る道で、リゼはずっと箱を抱えるように歩いていた。
「ハルさん」
「ん?」
「この店、両親の店なんです。
潰したくなかった。それだけで、必死で」
彼女は俺を見上げた。
「あなたがいなかったら、今日、終わってました」
朝の風が、彼女の赤い髪を揺らした。
「あの、お願いがあります」
リゼは思い切ったように言った。
「うちに、住み込みで働きませんか?
食事も、部屋も出します。
給金は……まだ多くは出せませんけど」
俺は少し考えた。
宿はいる。
飯もいる。
それに、この店には、両親の絵が飾ってある。
守りたいものが、はっきりしている店だった。
「いいのか。俺、素性もわからないぞ」
「一晩で、店を救ってくれた人です」
リゼはきっぱり言った。
「それ以上の素性、いりません」
俺は笑った。
「じゃあ、世話になる」
*
その日から、俺はカーウェン商会で働き始めた。
疲れない体で、注文をさばく。
すると、噂が広がるのに時間はかからなかった。
「あの店に、眠らない職人がいるらしい」
「一晩で百個の箱を作ったって」
工房区で、俺の話が飛び交うようになった。
悪い気は、しなかった。
でも――
数日後の夕方。
店の前に、大きな影が立った。
恰幅のいい、いかにも高圧的な男。
腕を組んで、俺を見下ろしていた。
「おまえが、噂の眠らん職人か」
低い声だった。
俺は、この男をまだ知らない。
でもその目つきに、俺は前世で嫌というほど見た「あの目」を感じた。
人を、道具として値踏みする目だった。




