表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者と魔王は終焉を誓う――世界を壊す共犯者  作者: たつき


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/5

魔王は、勇者の笑い方を知らない

 白い光が引いた時、リュゼは自分の身体が床へ崩れるのを見た。


 正確には、あれはもう自分ではない。黒い角も、長い髪も、胸に埋まった魔王核も同じだが、中にいるのはアシュだ。


 そしてリュゼの手には、勇者の大剣があった。


 重い。


「こんなものを毎日振っていたの?」


 声までアシュのものだった。低く、少し掠れている。


 向かいで魔王の身体に入ったアシュが両手で頭を押さえた。長い爪が黒髪へ食い込む。


「うるさい……」

「何が聞こえる?」

「何百人も同時にしゃべってる。痛い、寒い、助けてって」


 魔王核が民の苦痛を拾っている。リュゼには慣れた雑音だったが、初めて浴びれば立っていられない。


 自分の方も静かではなかった。


 ――勇者様、娘を助けて。

 ――夫を戦場から帰して。

 ――魔族を一匹残らず殺して。

 ――どうして、うちの子ではなくあの子が助かったの。


 人の祈りは、整列して順番を待ってはくれない。願いと恨みが同じ声量で頭の内側へ流れ込んでくる。


 リュゼは奥歯を噛んだ。


「あなたも、大概ね」

「俺のせいみたいに言うな」

「勇者の身体の話よ」

「あとで聞く」


 玉座の間の扉が、外から大きくへこんだ。


「勇者殿!」


 騎士団長ガイルの声がする。三つ目の鐘と同時に、ようやく正しい扉へ着いたらしい。


 リュゼは大剣を持ち直した。アシュの身体に残る感覚を探る。柄を握る位置、腰の落とし方、振り下ろす前に息を止める癖。筋肉は覚えていても、使う者が違えば全く同じにはならない。


「倒れて」

「言い方」

「急所は外すわ」

「それは当たり前だ」

「動かないで。私、この剣を使うのは初めてなの」

「先に言え!」


 扉が破られ、人間軍がなだれ込んだ。


 リュゼは大剣を振り下ろす。


 刃が魔王の胸へ入った。心臓から指二本分、右。深さは見た目より浅くしたつもりだったが、アシュの顔が引きつる。


『深い!』


 魂の奥へ直接、彼の声が響いた。


『魔王を倒したのよ。服だけ斬っても信じてもらえないわ』

『だからって限度があるだろ!』

『あなたの身体は丈夫なのでしょう?』

『今刺されてるのはお前の身体だ!』


 床の亀裂が広がる。魔王の身体は石床ごと地下へ落ちていった。


「勇者様!」


 人間兵がリュゼを囲む。


 穴の下からアシュの気配は残っている。死んではいない。胸の痛みまで細く伝わってきた。


 ガイルが崩れた床をのぞき込む。


「魔王は?」

「落ちたわ」

「追撃を」

「必要ない」


 アシュならどう答える。


 リュゼは大剣の血を振り払い、周囲を見た。人間兵の顔には疲労と恐怖、それから信じたいという色がある。勝ったと言ってやれば、彼らは剣を下ろせる。


「魔王は倒した」


 一拍遅れて歓声が上がった。


 魔王城の壁が震えるほどの声だった。抱き合う者、膝をつく者、神へ祈る者。その祈りがまたリュゼの頭へ流れ込む。


 ――これで家へ帰れる。

 ――魔族を追い詰めて、今度こそ全部終わらせて。


 終わっていない。


 始まったばかりだ。


          ◇


 王都へ続く街道は、花びらと人で埋まっていた。


 魔王討伐の知らせは軍馬より速かったらしい。城壁の外から中央広場まで、窓にも屋根にも人がいる。馬車の車輪が進むたび、乾いた夏草の匂いと、踏まれた花の青臭さが混ざった。


 その中心を、リュゼはアシュの身体で歩いていた。


「勇者様!」

「息子を助けてくださって、ありがとうございます!」

「次は北の魔族を!」


 表の声へ、言葉になる前の願いが重なる。


 この子だけは。

 うちの村を先に。

 あの家より、私たちを。


 リュゼは人数を数えた。沿道に約六千。護衛の兵が百二十。群衆が押し寄せた場合、南側の路地へ逃がせるのは半分。勇者として笑うより、事故が起きない配置へ兵を動かしたかった。


「勇者殿」


 隣を歩くガイルが声を落とす。


「南の柵を二列にして。子どもが前へ押されている」

「承知しました。ですが、その前に一つ」

「何?」

「笑ってください」


 リュゼは口角を上げた。


 最前列の子どもが、母親の背中へ隠れた。


 ガイルは咳払いをした。


「もう少し、柔らかく」

「笑っているけれど」

「今の顔では、勝利の報告より処刑の宣告が似合います」

「失礼ね」

「いつもの勇者殿なら、ここで『元の顔が悪い』と私のせいにします」

「元の顔は私のものでは――」


 危ない。


 リュゼは言葉を切り、アシュの記憶から表情を探した。目尻を少し下げる。口を大きく開かない。誰か一人ではなく、道の端まで見る。


 歓声が強くなった。


 彼は陽気だから笑っていたのではない。笑えば、目の前の人間が一晩だけ安心して眠れると知っていたからだ。


 全員を救うなどという無謀な言葉を、なぜ捨てられなかったのか。


 少し分かった。


 理解したからといって、賛成する気はなかった。


 城門をくぐる前、神殿の神官が銀色の鏡を掲げた。凱旋した勇者の身元と祝福を確認する《真名鏡》だ。


 鏡面へアシュの姿が映る。


 その輪郭の奥で、一瞬だけ黒い角が重なった。


 リュゼの背中に冷たい汗が浮く。


 鏡の脇に立つ最高司祭オルディスが、すぐ白布をかけた。


「戦闘の魔力で曇っております。正式な確認は後日に」


 穏やかな声だった。


 だが老人の目は、布ではなくリュゼを見ていた。


          ◇


 アシュの家は、勇者の住まいにしては小さかった。


 王から与えられた邸宅を断り、孤児院に近い家を選んだらしい。庭には乾ききっていない洗濯物が揺れ、玄関には片方だけの靴が転がっている。


 扉を開けた途端、少女が飛び込んできた。


「お兄ちゃん!」


 避ける暇はあった。


 リュゼの身体なら、敵の矢でも避けられる。けれど今の身体は、少女を抱き止める準備を勝手に始めていた。腕が少し上がり、足が衝撃を受ける形へ開く。


 身体に残った習慣が、持ち主より先に妹を知っている。


 ミアが胸へ顔を押しつけた。


「よかった……」


 リュゼの両腕は宙に残った。


「お兄ちゃん?」

「何?」

「そこ、ぎゅってするところ」


 仕方なく腕を回す。


 細い背中へ触れた瞬間、別の少女の感触が重なった。十八年前、出征前夜に抱いた妹セナ。あの時も、強く抱けば帰れなくなる気がして、すぐ手を離した。


 リュゼはミアから一歩離れた。


「苦しいわ」

「ご、ごめん」


 ミアは目元を拭い、笑った。


「ご飯できてるよ。お兄ちゃんの好きなの、ちゃんと残してある」

「先に食べればよかったでしょう」

「一人だと、味しないもん」


 リュゼは返事をせず、靴を脱いだ。


「剣」

「何?」

「いつも玄関で外すよ。また壁を削ると大家さん来ちゃう」


 言われた時には、鞘の先が漆喰を削っていた。


「……見なかったことにして」

「それ言う時、謝るの私なんだけど」


 食卓には豆のスープ、薄く切った肉、丸い焼き菓子が並んでいた。


 ミアは向かいに座り、リュゼの顔を見た。


「魔王って、どんな人だった?」

「厄介な女」

「お兄ちゃん、女の人の悪口は言わないよ」

「魔王よ」

「魔王でも女の人でしょ」


 リュゼは焼き菓子を一つ取った。


 ミアの目が、その手へ落ちる。


「食べないの?」

「今、食べているでしょう」

「一個だけ?」

「十分よ」

「お兄ちゃんが?」


 心底おかしいものを見た顔だった。


「戦いのあとは節制するものよ」

「しないよ。三個食べて、夜にお腹痛いって言う人だもん」

「勇者として問題があるわね」

「自分で言うの?」


 リュゼは二つ目を取った。


 ミアは指を一本立てる。


「あと一個」

「食べられない」

「甘いものは別のお腹だって」

「その理屈を採用した覚えはないわ」


 ミアの指が止まった。


「今日のお兄ちゃん、変だね」


 笑顔のまま言ったが、目は笑っていない。


「魔王を倒した直後よ」

「うん。疲れてるよね」


 それ以上は聞かなかった。


 食後、リュゼが寝室へ入ると、ミアも水差しを持ってついてきた。大剣を左側の壁へ立てかけたところで、背後から声がする。


「そっちに置くんだ」

「どちらでも同じでしょう」

「お兄ちゃん、右にしか置かないよ。寝ぼけて左へ手を伸ばして、壁を殴ったことあるから」


 随分と具体的な失敗だった。


「今日は間違えただけ」

「そっか」


 ミアは水差しを机へ置いた。


「お兄ちゃんって、困ると耳を触るんだよ。知ってた?」


 リュゼの指は、すでに左耳へ伸びていた。


 ミアの笑顔が消える。


「でも、そっちじゃないんだよね」


 少女は一歩下がり、腰の後ろから小さな果物ナイフを抜いた。震えてはいるが、切っ先を下げない。


「お兄ちゃん、今どこにいるの?」

「生きているわ」

「本当?」

「胸を刺されて、城の地下へ落ちたけれど」

「それ、生きてるって言っていいの?」

「死んでいない」


 ミアは唇を噛んだ。


「お兄ちゃんしか知らないこと、聞くから」

「私は答えられない」

「どうして」

「私はお兄ちゃんではないから」


 リュゼがそう言うと、ミアの刃先がわずかに下がった。


「ごまかさないんだ」

「ごまかして信じさせても、あとで困るでしょう」

「誰が?」

「主に私が」


 ミアはナイフを握ったまま、しばらく考えた。


「何者なの」

「今は言えない」

「味方?」

「アシュを元へ戻すまでは」

「そのあとは?」

「分からない」


 正しい答えを用意してやることはできた。妹を安心させるための言葉なら、アシュの記憶にいくつもある。


 だが、この少女は都合のいい言葉を欲しがっていない。


「呼べば、外に兵がいるよ」

「そうね」

「私が叫んだら、あなたを捕まえる」

「おそらく、あなたより先に私が何人か倒すことになる」

「脅してる?」

「事実を言っている」

「そういう言い方、すごく怖い」


 ミアは目元を乱暴に拭った。


「今は叫ばない。でも、信じたわけじゃないから」

「賢明ね」

「毎日、三つ食べてもらう」

「何を?」

「月輪焼き。お兄ちゃんのふり、ちゃんとして」

「監視の方法がおかしくない?」

「分かりやすい方がいいもん」


 ナイフをしまい、ミアは扉へ向かった。


「お兄ちゃんを帰して」


 背中を向けたまま言う。


「何でもして、とは言わない。誰かを殺して帰ってきても、お兄ちゃんが喜ばないから」


 リュゼは答えられなかった。


 ミアは扉を閉める直前、振り返った。


「あと、その剣。右」


 扉が閉じた。


 リュゼは大剣を右側へ置き直した。


 机の上には、ミアが忘れた紙が一枚残っていた。


 騎士団長ガイル殿へ。

 帰ってきた兄が、兄ではありません。


 そこまで書かれ、続きは空白だった。


 リュゼが紙を手に取った時、右手の甲に黒い紋様が一瞬だけ浮かんだ。


 魔王印。


 すぐに消えたが、窓の外から別の気配を感じた。


 向かいの神殿塔。その最上階で、最高司祭オルディスがこちらを見ていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ